ラジオ

ぬぬ

ラジオ

聞き慣れないサイレンが、しかも遠くからではなく学校のスピーカーから流れた。続く声は古いラジオのようでどこか間が抜けており、教室は笑いに包まれた。しかしその笑いは5秒も続かず、次に耳に入ったのは家鳴りのような小刻みの振動音と授業中だった国語教師の

「隠れろ!!」

という怒号だった。普段は温厚で優しいおじいちゃん教師の初めて聞く声に頭が冷える。地震だ。とそこで思い至った。そこまでわかれば小学生の頃から刷り込まれてきた知識はなんとか机の下という場所を思い出させてくれた。6年間以上半笑いで済ませてきた避難訓練というお遊戯にも意味はあったのだなと私は内心どこか冷静に笑っていた。


揺れは確かに大きかったが、気づけば終わっていた。今日の学校生活はこれで終了であるくらいの大地震だということは理解していた。ほんの一年前まで小学生だった周りの生徒達はしかしこの一年弱で少しは非常時をそれと理解できるように成長していたようで、台風で学校が休みになることを期待するような浮ついた空気はあまり感じられなかった。一部のひそひそ話を除けば自宅や家族を心配していることが伺える緊張のため息か、逆に息を詰めている気配がほとんどだった。おじいちゃん教師の誘導と隣の席の〇〇ちゃんに手を引かれるのに従って校庭に避難すると、既に避難していた他のクラスの生徒が不安そうなざわめきを漂わせていた。隣にいる〇〇ちゃんも不安感を隠しきれてはいなかったが、私に悟られまいとしているのも同時に隠しきれていなかった。屋外に出るといつも感じられる「外の音」さえも気の所為か普段よりも不自然な静けさがあるように感じられた。そんな中不用意な教師同士の会話から漏れ聞こえた情報はまたたく間に生徒たちの間に伝わっていく。

「震度5もあったって」

震度5と言われたところで何がわかるのか。私には不思議でならなかった。

普段はみんなあまり変わらないようと思っていた教師もこうなると違う顔を見せる。さっきあっちに行ったと思ったらまた戻ってきて同じ報告をしている浮足立った若手の声と、落ち着きながらも集めるべき情報をまとめ上げ学年主任に伝えるおじいちゃん教師を比べ、年の功というものはこのようなところにあるんだなぁと、私はクラスの列に並んだままぼんやりとそんなことを考えていた。


おじいちゃん教師はしっかりしていたが、その報告を受け取る学年主任や更にそのお上の教育委員会などはそうも行かないようで、方針が固まるまでのかなりの時間私達生徒は余震と寒さの中放って置かれた。子供を預かる責任上仕方がないことだとわからなくもないが、寒い中にただじっと待たされた私達のことも考えてほしかった。子供なのだから心のなかで文句を言うくらいは許してもらえるだろう。なによりもせかせかと土埃を立てて歩きまわっていた先生たちのほうが確実に私達より寒くはなかったはずだ。

私はいつもよりたくさん落ちている木の枝に躓きながら帰路を歩いた。〇〇ちゃんはいつものように一緒に帰ろうとしていたが、迎えに来た彼女の母親の反対と、その親に怯える教師たちの声を振り切ってそう遠くはないものの彼女の家と反対方向の私に同行するほどの力は彼女自身にはなかった。


私は自身が物心ついて以来の地震が起こったことは理解していたが、それが更に何を起こすのかにはあまり想像がついていなかった。今の私にわかるのはいつもより木の枝が落ちていることと、授業中に地震は起こったのに結局帰り道はいつもより遅い時間で寒いことくらいだった。

躓きにくいように足を蹴り出すようにして歩きながら私は想像した。きっと停電はしているだろう。地震が起こると母はいつもテレビをNHKのチャンネルに切り替えて速報を待つが、今日のような一番情報がほしいであろう地震のときにはそれができないのは少し皮肉っぽくて面白い。頃合いを見て思いついてもいないであろうラジオの存在を知らせてあげよう。電気がないとなるとファンヒーターも使えない。上着と仲良くすることになりそうだ。


家に着くと母は、というか誰もいなかった。弟を迎えに小学校に行っているのだろう。もしかしたらその足ですれ違いに私を迎えに中学校に行ってしまっているかもしれない。家の中も帰り道と同じようにいつもより躓くものが多かったが、それでも家の中の空気のにおいは外のようにざわついてはいなくて、私は小さく息をついた。そこで初めて、私は自分が気を張っていたらしいことに気づいた。当然といえばそうなのかもしれない。人よりも情報が少ないから現実感がわかないのかと思っていたが、知ることができないというのはそれそのものが恐怖たりうるのだということを私はよく知っていたはずなのに、そんな事にも思い至らないくらいには動揺していたようだった。


私は白杖をいつもの場所に立てかけると、自分の部屋に向かい母の帰りを待たずにラジオのスイッチを入れた。母にとってメディアとはテレビ一択だろうが、画面もその中の誰の表情も見えない私にとっては周りの他人と受け取る情報が変わらないラジオのほうが気楽だった。いつもの周波数のままでいいだろう。今はきっとどこの局も同じことを言っているに違いない。予想通りどこでも流れていそうな停電の範囲や津波の被害予想などの情報が流れ出した。どれもなんの役に立つわけでもなかったが、聞き慣れたノイズ混じりの、しかしいつもと違った緊迫感を持った情報は私に大震災の事実をやっと伝えてくれた。

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ラジオ ぬぬ @Nunu1733

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