愚か者

第一の客 二


「俺が今まで見た事のないような女を描け」


「····················。はぁ」


 中に入った途端、狭いだ汚いだ。茶も出せんのか! と騒いでいた男だったが、鋼牙が依頼内容を問うと、そのような返事が返ってきた。


 今まで見た事のないような女。


 それはあまりにもザックリとしたもので、それ迄笑顔を崩さなかった鋼牙も困ったように首を傾げる。


 町一番の女を描けや、こんな雰囲気の女を描け。と言われれば見えずとも触ったり、聞くことによって大体は分かるが、今まで見た事のないような。の場合、男が今までどのような女を見てきたかで大きく変わる。


「揶揄いの為に訪れたな」


「噂のまま」


 鋼牙には見えていないが、陸奥と少女にはハッキリと、男のにやけ顔が見えていた。


 大方噂を聞き、描けぬ依頼を与えて笑ってやろうと訪れたのだろう。

 少女は感情の消えた表情で男を見ているが、陸奥の額には先程以上に青筋が浮かび、到底童子とは思えぬ顔つきになっている。


「そうですね、せめて貴方が出会ってきた女性の特徴を教えて貰えますか?」


「そうだな··········。はっ、色んな女とヤってきたからな、一々覚えてねぇわ。あんたは一生経験ないだろうがな」


「殺そう」


「諾」


「こらこら。いけないよ二人とも」


 あからさまな挑発に、少女と陸奥が動き出すが、すぐに鋼牙が窘め、代わりに筆と紙を持ってきてくれるように頼む。


「私は今まで女性を見た事がないので、想像のままに描かせてもらいますね」


「いいぜ。あんたが夢の中で相手してもらってる女でも許してやるよ」


「ははは。そのような相手は居りませんよ」


 男の口汚い話にも、鋼牙は一切表情を変えない。

 すぐに少女によって筆と紙が用意され、墨の付いた筆が鋼牙の手の中に収まる。


 瞬間。


 今まで緩い弧を描いていた鋼牙の口元から表情が消え、周囲の空気が張り詰める。

 男も突然の変化に何かを察したのか、にやけ顔は消え、じっと鋼牙の右手に集中する。


 紙の上を滑るように動く筆。

 両の眼には包帯が巻かれ見えていない筈なのに、その動きには一切の迷いがない。

 木の板の上に載せて抱えるように描いている為、男には何が描かれているか分からず、好奇心と期待に目が輝いている。


「完成しました」


 鋼牙が筆を持ってから、置くまでの時間は数分。たった数分で男が依頼した絵を描きあげたというのだ。


「み、見せろ!!」


「そんな急いでは破けてしまいますよ」


 我慢できないと鋼牙から絵を奪う男は、完成した絵を見て言葉を失う。

 そこには確かに女性の絵が描かれていた。振り返るようにこちらを向き、口元は優しさに溢れている。

 まるで必死に後を追いかける子を見守る母のような微笑み。


「坊や」と今にも喋りだしそうな迫力の絵に、男は魅了され、同時に畏怖した。


「見えてない奴がこんな絵··········」


「鋼牙は特別だからな」


 絵に釘付けになっている男に反して、陸奥はしてやったりの顔で腕を組み、機嫌がいい。


「だがよ。この絵は未完成じゃねぇか!肝心の目が描かれてねぇぞ!!」


「私は瞳を描くことはしません」


「何言ってやがる!!こんなもんに金払えるか!!」


「貴様噂を聞いてやってきたのだろ。ならば知っている筈だ。盲目絵師は決して瞳を描かないとな」


「っ··········」


「不要だというのなら絵を破り帰れ。鋼牙は他の絵も描かねばならんからな。忙しいのだ」


 仕事が無くて明日の飯をどうするかと話していたのに、さらりと嘘を吐く陸奥に鋼牙は困ったように笑うが、口を挟むことはしない。


「さぁどうする」


 腕を組み強気の陸奥に対し、納得がいかないが絵を破り捨てることも出来ない男。

 完全に形勢は決まった。


「ちっ!! おめぇ等タダじゃ済まさねぇからな!!」


「あ」


「っ!」


 男は勝ち目がないと察したか、近くにあった紙を鋼牙達に向けて放り投げると、走り逃げていった。


「紙が破れる音と扉が壊れるような音がしたが、陸奥と皐月(さつき)は平気かい?」


「安心しろ。扉は辛うじて無事だ」


「陸奥と私も無事」


 眉を下げ、両手で空をかくようにして、二人の安否を確認しようとする鋼牙の右手に陸奥が、左手に皐月と呼ばれた少女が己の手を乗せると、鋼牙は分かりやすく安堵の息を漏らす。


「でも逃げられた」


「ちっ。またタダ働きだ」


「お前達が平気ならいいよ。それに····················。彼との縁はまだ途絶えてないよ」


 鋼牙の意味深な言葉に、寄り添っていた双子はじっと男が出ていった外を見つめていた。

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