第一章 電子計算機は死んだ君と出合う
第2話<ストレスフリー化した町で>
「
この空だけはいつだって綺麗で、僕を裏切らない。空を見上げている時間だけが僕に嫌な現実を見ないようにしてくれる。
<2100年4月13日 朝 7:50>
そろそろ、電車が来る。僕は静かに椅子から立ち上がりながら、視界内に表示されたデジタル時計ホログラムを指で小さくする。それを掴み、視界の端に投げた。その後、タイムラグもなく、
<~まもなく電車が参ります~黄色い線の内側で乗車準備をしてください~>
と視界内に電車到着通知ホログラムが流れて、消えた。僕は黄色い線に自分の両足を合わせる。
こういう所に、性格が表れてしまう事。それを少しだけ、恥ずかしく感じる自分がいた。
到着した電車がレールが軋む音一つもさせず、ホームに入ってくる。僕は乗り込み、乗車口からすぐ近くの一人用の席に座った。
この席は前々からのお気に入りだ。
いまや、電車の騒音問題はここ、山梨において0になっている。この静かな電車、通称〈サイレント〉は2030年に前進的に山梨に普及した。急激な普及スピードだったそうだ。その背景には、民営化されていた電車業界に国が強引に介入、買収し、従来のレールを走る電車を廃止し、リニアモーターカー技術を応用した管の中を高速で移動する水素で動く新しい電車が開通させたという事がある。当時は、「政府の横暴だ。民主主義を守れ」という反発の声があったが、その声以上に、鉄道の廃線が告げられた限界集落の方たちの声、水素エネルギーで動くという環境面からの支持をする方の声が大きかった。国際連合からも称賛される運動だったそう。今では鉄道はおろか、バス、飛行機、車などの交通網は全て国営化され、AIによる自動運転が導入された。
現代っ子の僕らには当たり前すぎて、なぜ反発があったのかピンと来ない。
<~次は甲府、甲府です~>
という車内アナウンスホログラムが流れた。このホログラムは事前に設定した自分が降りる駅しか表示しない。音声のアナウンスは随分、昔に廃止された。車掌が乗っていないのだから、当然と言えば、当然。それ以上に、この山梨はストレスフリー化が進められているからだ。
電車は徐々にスピードを落とし、ホームに到着した。
プシューと管の扉が開き、僕は電車から降り、ホームのコンクリートに足を置く。
少量の風がホームに吹き、僕の制服の間を通り過ぎた。風にいたずらに乱された黒い前髪がうっとおしい。
ふと、後ろから子供の声が近づいてきて、あっという間に僕を追い越していった。それを遠目に見ながら、
「きっと子供の目にはこの世界は輝く世界、希望に満ち溢れた未来が映っているのだろう」
と過ぎ去ったものを想う。
僕にも確か、あんな少年時代があった。
「この世界は美しいもの、優しいもので出来ていて悪はすぐに消えてなくなる」
と考えていた時期があった。だが、年を重ねるごとに、心の習字紙に墨汁がポタポタと落ちるように、目の前はくすんでしまった。
汚れを知り、自分自身が汚れになっていくこと、それが大人になるという事なのだろうか。高校生という子供と大人の境界にいる僕にはよく分からない。
子供の頃は何にだって目を輝かせていたのに。お腹が少量の痛みと共にギュルっと鳴った。
僕は止まってしまった足を前へ前へと運び、電車から降りた群衆の中に混ざった。朝の甲府駅は通勤の人や学生で溢れかえっている。
駅から出ると太陽光がやけに眩しい。僕は視界内のアイコンの一つをタップして、サングラスモードに電視を切り替えた。目の色が少し暗めになる。
しばらく歩き、大きいスクランブル交差点で信号を待つ。すると丁度、僕の正面にある甲府駅前の大型モニターに3D広告が流れていた。
ここ、甲府は2019年に中核市に認定された。昔はフルーツ王国として栄えていた山梨だが、地球温暖化など自然問題の影響でフルーツ栽培地が徐々に北上してしまった。
今は長野がその名を冠している。それにより山梨は、フルーツ産業を捨て、新たな産業を立ち上げなくてはならなかったのだ。それが2029年の事。
そこで目を付けたのが機械産業だった。有り余る土地に外部から大手の企業を誘致し、大学、研究所も新たに建てた。
今や『機械工学を学ぶなら山梨に行けば確実』とまで言われている。
そして、丁度50年前の2050年に東京、大阪に続く第三の経済特区にまでなった。
それから、半世紀が過ぎた今では政治の東京、食の大阪、技術の山梨と呼ばれている。昔、山梨が田舎と呼ばれていたなんて、都市伝説になっている。
サングラスモードを解除してモニターを見ると、流れているのは電視の広告だった。最近人気のタレントが画面から飛び出しながら話し始める。
「2090年に突如として広まった電視を紹介しよう。電視とはストレスフリーな社会を実現するために開発された義眼型デバイスだ。このデバイスは常にネットワークにつながっていて、視力回復はもちろん、サングラス機能、カメラ機能、拡張現実機能ARを持っているんだ。電視によって世界は大きく変わった」
この「変わった」という言葉を僕はこう言いかえる。「変えてしまった」
「よく、人間は『見たいもの』だけ見ると言われているよね。でも皆さん、実際は『見たくないもの』を見て生きていますよね。それ、見えなくなったら助かりませんか。なんとこのデバイスには非表示機能が付いています。ストレスの原因だった『見たくないもの』を見えなくしてくれます。是非、電視メディカルセンターにおこしください。即日、手術ですぐに電視を手に入れられます。あなたもストレスフリーな社会で生きましょう!」
「何がストレスフリーな社会だよ!」
僕は吐き捨てるように言い放つと、サングラスモードに電視を戻す。信号が変わり、道端のコンクリートの欠片を蹴りながら、交差点を渡った。周りからはきっと、僕が虚空を蹴っていたように見えていただろう。
辺りのビルの壁は反抗期の小中高生によって描かれたであろう落書きで埋め尽くされている。訳の分からない
多分、僕以外の人には綺麗なビルの壁が見えているのだろう。落書きをした張本人たちも非表示にされると分かって描いているのだ。
(なんで僕だけ……)
この町は大人に似ている。
汚い素顔を隠して周囲に美しく整って見えるように嘘をついている。
そう考えながら、学校に向かう。
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