覚醒

 「こっちです」

 アスファルト舗装されたばかりの側道をやや小走りに進みながら、工事関係者然とした作業服の男が警官二人を誘導している。

「こんなとこですか?」

 出来上がって間もない高架橋は、風雨に傷んだ様子もなく堅牢に見える。

元は山林と田畑が広がっていた地域に、マンションやビルなどが乱立し始めたことで舗装途中の小道には日が入らず、リニアモーターカーが走る高架下の溜池は昼前なのに薄ら寒い。

「人が倒れてるように見えたんだから、警察に届けないといかんでしょう?」

「確かにそうですが……」

 気が急いているのか恐れのためか、工事関係者は歩みの遅い警官たちを足踏みをして待つ。

彼は知る由もないが、彼の通報で駆け付けた警官二人には近辺で起こった奇妙な病院襲撃事件の情報が入っており、ただでさえ人気の無い場所で『人らしきものが倒れている』と通報されれば、薄気味悪さが先に立ってしまい、警官が慎重になるのは当然の話だ。

「この向こうです」

 工事関係者は鍵の束を探りながら、立入禁止のフェンスのさらに奥を示して警官を前に立たせようとする。

「そこから行けるんですか?」

「ええ。ちょっと待ってくださいよ」

 死体を見たかもしれないという恐怖と、フェンスの潜戸くぐりどを早く開いて身を隠したい焦りで、工事関係者の手元はおぼつかない。

「お願いします!」

 ようやく解錠に成功した工事関係者は、潜戸を開きつつ警官にペコリと頭を下げた。

「じゃあ、確認したらすぐ戻りますから、近くにいてくださいよ。おい」

「はい」

「おねがいしゃす」

 警官達がフェンスの向こうに進むのを、祈るような気持ちで工事関係者は見送る。

 あいにくの曇天のために、高架橋の下は普段よりも影が濃く感じられ、どこかで滴る水漏れの音が、尚更気味悪くさせる。

 と、規則正しく並んだ柱の根元に、人間の足のような白い塊が見えた。

「あれか?」

「……らしいですね」

 薄暗い高架下の不気味さの中に、やたらと白い表面が際立っていて、工事関係者の慌てぶりが少し納得できた。

「こっちから回るから、そっちから」

「分かりました」

 警官達は互いに声を掛け合い、二方向から回り込むように近付いていく。

 自然と手は腰に指してある警棒に伸び、足音も忍ばせて徐々に進む。

 二人の警官が、どちらからも五歩くらいで人らしきものにたどり着くというところで立ち止まる。

 やはり異常に肌が白いが、姿形は人のように見える。ただし、衣服を身に着けていない。

 先輩らしき警官から後輩らしき警官にうなずきかけ、後輩はうなずいて一歩前へ進む。

「そこで何をしている? 具合が悪いのか? 寝ているのか? 意識があるなら返事をしなさい」

 一歩を踏みしめながら先輩警官が声をかける、が、人らしきものは返事をしない。

「我々は警察だ。ここは私有地になる。理由は聞くが、直ちに退去しなければ罪になるぞ」

 後輩警官も歩みを進めつつ声をかけるが、対象は身じろぎもしない。

 とうとう反応がないまま、警官二人はそれのすぐそばまで近付いてしまう。

 再び目を合わせてうなずき合い、先輩警官は警棒でそれに触れてみた。

「……よし」

 もはや人であると確信し、あとは生死の確認をしなければならず、先輩警官は警棒を腰に戻してゆっくりとしゃがんでいく。

「寝たふりとかは無しだぞ。趣味の悪い悪戯も罪になるんだからな」

 声に出してから、先輩警官は人らしきものの足に触れた。

 途端――

「うわああああああ!」

「ひい!」

「動くなっ! 警察だ!」

 飛び退くように体を丸めて柱の影に隠れようとする人らしきものに対し、後輩警官は引きつった声を上げながら警棒を構える。

 先輩警官は辛うじて右手を差し伸べ、左手で警棒を探りながら警察であることを告げる。

「なん、だ? 子供、か?」

 警棒を突き出して威嚇する後輩警官とは対象的に、先輩警官は幾分落ち着いて対象を観察できた。

 やたらと肌が白くて粉をかぶったような印象だが、柱の影で身をすくめて怯える様は、小柄で痩せているように見える。

 十代前半、十三〜四歳と見た。

 髪の毛は黒黒と茂っているが、眉やスネ毛は見当たらず、チラチラと覗く陰茎から男子と分かるが、その根元にも毛はない。

「おい、よせ。子供じゃないか」

「ひ、へ? あ、はい」

 先輩の注意に少し冷静になれたのか、後輩警官は警棒を下げて警戒を緩める。

 先輩警官も帽子のツバを上げ、顔が見えやすいようにして話しかける。

「ここで何をしていたんだね? 警察は怖くないよ。話はできるかい?」

 笑顔を作り手を差し伸べる警官に、それも警戒を解いたようで、すくませた体から少し力がぬける。

 そして粉をかぶったような白い肌がボンヤリと薄く光るように見えた。

《ツルンとしてうす気味悪りぃな》《なんかあったら警棒でぶっ叩く。なんかあったら警棒でぶっ叩く》

 警官二人の思惑をそれが感じた瞬間、突風に吹き飛ばされたように警官二人の体が近くの柱まで弾き飛ばされ、玉子を握りつぶしたような音を立てて柱に張り付いてしまった。

「ひぃぃ!?」

 潜戸のそばでフェンスに隠れて覗き込んでいた工事関係者は、警官達が吹き飛ばされたことに驚いて悲鳴とも呼吸ともつかない音を出しながら尻もちをつき、身を隠そうとフェンスに這い寄って体を丸めた。

「うわああああああ!!」

「助けてください!助けてください!助けてください!」

 誰が発したか分からない嬌声に、工事関係者は更に怯える。

 死体を見たかもしれないという怖れから、死体が警官を弾き飛ばしたという驚きと、次は自分が攻撃されるのではという恐怖で体中が震え何度も命乞いを口にした。

「助けて! 助けて。助けてください。助けて……。へ? あれ?」

 どのくらいの時間が経ったか分からないが、周囲が静まり返っていることに気付いて工事関係者は口をつぐみ、恐る恐る顔を上げる。

 相変わらずどこかで雫の垂れ落ちる音がする他に、目立った音もしなければ人の気配もない。

「……お、お巡りさん?」

 悪い予感を感じながらフェンスから奥を覗くと、死体のように転がっていた白い肌の人型のものは姿を消しており、自分が連れてきた警官が倒れているだけになっていた。

「…………ひえ!」

 倒れたまま動かない警官から血が流れているのを見て、工事関係者は再び腰を抜かし、もう一度110番するために後ずさりながらスマートフォンを取り出した。


「鯨井先生はどちらかな?」

 中島病院新館脳外科病棟二階の病室にスーツ姿の四人組が入ってきて、鯨井の所在を聞いてきたので、野々村美保は緊張で身を固くした。

「……はい。何でしょうか」

 美保は鯨井が寝かされているベッドサイドの丸椅子からゆっくり立ち上がり、声が上ずらないようにひと呼吸おいてから答えた。

「ああ、こちらの御仁でしたか」

「貴女は、鯨井氏の関係者?」

 周囲の人々に気を配らない態度にムッときたが、場所をわきまえて美保は小声でやり返す。

「ここは病室です。ご配慮下さい」

「そんなに無礼なことはしていないつもりだけどな」

 先頭の濃紺のスーツの男が慇懃無礼に返してきたので、美保は徹底抗戦を決意する。

「あなた方は、どちらから来られた何者なんですか」

「ああ、失礼。こういう者だ」

 先頭の男をはじめ、後に続く三人が順に警察手帳を開いて身分を明かすが、美保はジッと先頭の男を見据える。

 美保の祖父野々村穂積は学会や財界の著名人との親交が厚いため、初見の人物との礼儀に関して厳しく、名刺交換などで身分を表す際は必ず口頭で名乗るまで応じるなと美保に教え込んでいた。

 特に、任意の聴取や同行を求める警察関係者には必ず名乗らせなさいと念押しされていた。

 実際、警察関係者は所属と姓名を明かさずに公務を行うことが多く、警ら中のやり取りがトラブルに発展した際に、一般庶民が警察関係者側を特定できずに泣き寝入りさせられるケースは少なからずあるし、とかく警察権力は所属や姓名を伏せて頭ごなしな態度を取ることが多い。

 明らかな犯罪者にはそれでいいかもしれないが、公務であっても任意の時点で礼を欠く態度を野々村穂積は認めなかった。

「……国生警察仮設署捜査一課の黒田だ」

「同じく増井です」

「南あわじ署捜査一課の長尾といいます」

「同じく、南あわじ署の加藤です」

「……鯨井先生の、婚約者で、野々村美保です」

 一瞬の逡巡があったが、教え子や知人では関係性が薄弱に感じられたので、美保は少しだけ

 言ってしまってから『交際相手でも良かったかな?』と思ったが、鯨井に指輪のサイズを聞かれたことだし、嘘ではないと心の中で舌を出した。

「鯨井先生の婚約者? 事情聴取の名簿にはなかったと思うんやが?」

「……有りませんね」

 先頭の黒田が一つ後ろの長尾に振り返って確認を求めると、長尾は警察手帳をめくって答えた。

 美保は当然だと言わんばかりに肩をすくめて答える。

「ニュースを見て駆けつけたんです。その場に居なかった私も事情を話さないといけませんか?」

「なるほど。そんな道理はないわな。……ちょっと確認したいことがあって鯨井先生を訪ねたんやが、今、話はできるんかな?」

 美保に合わせるように黒田も肩をすくめ、先程よりやんわりと問いかける。

 美保はチラッと鯨井に目をやり、しっかりと黒田の目を見て答える。

「骨折の処置をして今は眠っています。しばらくは点滴を続けて、体調が回復するまではご遠慮下さると助かります」

「事件解決のために急ぎたいんやが、怪我をされてるからしゃあないか」

「……ですね」

 困った様子で頭をかく黒田に、増井が同意を示す。

「あー、野々村さんは医療の知識があるんかな?」

「は? はあ、まあ、鯨井とは職場で出会いましたから、多少は」

「なるほど、職場で出会ってお付き合いされていると何かと大変でしょう。私ゃ独身なんやが、同僚にも似たようなのが居ましてね。周りから冷やかされたりやっかまれたりで、苦労してるのをよく見たもんでね」

 急な話題の転換に美保は戸惑ったが、怪しまれないように口を合わせる。

「どこも似たようなものなんですね」

「ははは、いや全く。では我々は一旦引き下がりますわ。お大事に」

「ありがとうございます」

 振り返って手を振りながら愛想を言う黒田に、美保は丁寧にお辞儀を返す。

「……ああ、そうそう。鯨井先生が目覚めた時に、我々と話がしたいと仰られたら、国生警察の黒田宛に一報下さい。飛んできまっさかい」

「は? はあ、分かりました」

「では」

 今度こそ黒田は出入り口に向かって歩き出し、とっくに病室から出ていた同僚たちと共に去っていった。

「…………変な言い方。バレてたのかな?」

 刑事たちが居なくなって、たっぷり三十秒ほど間を開けてから美保は鯨井にささやいた。

 鯨井から、警察が来たら寝たふりをするから適当にあしらって帰ってもらってくれと頼まれていたぶん、一つ役目を終えて美保はゆっくりと息をついた。

「かもしれんな。なかなかの曲者か、キレ者なのかもな」

 たぬき寝入りをやめて鯨井も小声で答えた。

「そうなの? クジラさん、何か知ってるの? 事件のこと」

「いいや。……けど、この後、俺がしようとしてることに興味があるんやないかな、あの刑事さんは」

 いつも以上に真面目な顔を見せる鯨井に違和感を覚えつつ、美保は丸椅子に座り直して元の通り鯨井の手を握る。

「ふうん。……怪我してるんだから無理しないでね」

 心配そうに見つめてくる美保に鯨井はニカッと笑顔を返す。

「なに、俺は医者だから調べるのと治すのが仕事だ。危険なことは警察がやってくれるよ」

 祖父の警察嫌いが刷り込まれているせいか、さっきの黒田達の態度のせいか、美保は微妙な笑顔を作って鯨井を見つめた。

「それより、婚約者とは大きく出たなぁ。指輪もしてないのに」

「あら、違った? 指輪はもらってないけど、プロポーズされたと思ってるんだけど」

「いや、そのつもりだよ。俺は美保ちゃんのもんだよ」

「逆でしょ? 婚約したんなら『お前は俺のモノだ』くらい、言ってあげなさいな」

 美保が言い返すより早く別の女が鯨井を叱った。

「…………播磨先生、聞いてらしたんですか?」

「播磨ちゃんも人が悪いの」

 美保が握り合っていた手を離そうとしたのを、鯨井は逆にしっかりと繋ぎ直してシーツの上に晒す。

 一瞬だけ強張った播磨医師の表情を美保は見逃さなかったが、嫉妬や怒りを感じなかったので、播磨医師の心境を察知すべくなおのこと播磨医師を注視した。

「二人だけの世界を作っておいてずいぶんな言われようね。警察の監視から逃れて動くのって大変なんですよ?」

「お! さすがやな。準備は整っとるわけやな?」

「クジラさん、まだダメよ」

 起き上がろうとする鯨井を、すかさず美保が押し止める。

「んあ? 一刻を争うかもしれんのやが……」

「いいえ、ダメよ。あと一本点滴を討って、警察が引き上げてからよ」

「クジラさんは怪我人なんだからね。お医者さんの言うことは聞かなきゃだよ」

 できたばかりの婚約者と昔関係を持ったことのある女から同時にたしなめられ、鯨井は仕方なく従うことにした。

「しゃあないな。けど、メシはいいもん食わせてくれよ?」

「「入院食で我慢なさい」」

「うげ……」

 二人の女性が全く同じ間で全く同じ事を口にしたので、互いにバツが悪い顔をしたが、真ん中で鯨井が子供っぽくすねた顔をしたので女性達は一瞬で笑顔に変わった。

 ――違うとこで神経使いそうやな――

 鯨井は脇を伝う気持ち悪い汗をこっそり拭った。


 智明が冷静さを取り戻したのは、とんでもない速さで周囲の景色を流れ飛ばしながら、真上に上昇しているところだった。

 リニア線の高架下で、気絶から目覚め立ち上がった自分に対して警戒を強めた警察官は、とても攻撃的だと感じた。

 警察官たちの表情や動作は明らかに犯罪者に接する警戒態勢だったし、彼らの思考も智明への攻撃を示していたのが聞こえた。

 その瞬間に発した智明の拒絶の意思は、突風ないし衝撃波となって警察官達を弾き飛ばしていた。

 智明は目の前で起こった事態に驚き、恐怖し、絶叫して『飛んで逃げたい』と強く祈った。

 瞬間に視界は大きく歪み、高架下の日陰から建築現場を経て広大に広がる街並みを遠ざけるように上昇し続け、雲を越えて真昼の太陽が輝く高空へと上り詰めたのだ。

「飛んでる、のか?」

 自分がどうやってここまで移動したかを思い出し、目にした光景に思わず言葉が出ていた。だがそのために集中が途切れ、意識を別のことに向けた途端に体と視界が智明に落下していることを教えた。

「ヤバイ、ヤバイ! 飛ぶ! 違う、浮く! 浮かぶ!」

 慌てて声に出して意識を集中すると、落下のスピードは収まっていき、体は中空で静止した。

「飛べる、のか?」

 両手を広げて視線を落としながら、やんわりと光る自身の手と体を見回す。

 雲海に降り注ぐ太陽に照らされて体が光っているのかと思ったが、どうやら智明自身が微弱な光を放っているようだ。

 その証拠に、太陽を背にして腹側に影を作っても、腹や手の輝きは損なわれない。

「前へ進む……。うん? 前へ飛ぶ……。違うか? アッチへ進む。アッチへ早く進む。アッチへ超早く進む!」

 自分の行いたい動作を言葉に出して、空中を移動してみた。

 何度か言葉や言い回しを変えることで操作のコツを理解し、初めてバイクを運転したような楽しさに酔いしれる。

「……もしかしたら!」

 智明は思い付きで操作の仕方を変えてみる。

 口に出さず、頭で念じてみた。

《キリモミして後ろに二回宙返り》

 だがキリモミ飛行の明確な動きや映像やイメージが足りなかったのか、中途半端にフラフラと体が揺れただけに終わった。

「ゲームか映画のイメージって使えるのかな……」

 しばらくイメージと集中の時間を持ってから、智明はもう一度同じ操作に挑む。

「……! イイッヤッホォォォォォイィ!!」

 何度も何度もイメージしては飛行し、スピードや操作を試して雲の上をずっと飛び回り続けた。

「っお? ……なんか、光が弱くなってきたな? ……腹も減ってきた……」

 どうやら空腹と体力がこの力に影響するらしいと予想した智明は、光が尽きないうちに地上に降りなければ、地面に叩きつけられてしまうと判断した。

「……さすがに永遠にずっと使えるわけじゃないってことか……」

 少し残念に感じた智明だったが、それは欲張りだとすぐに思い直した。

 満腹を維持するなり体力がもつうちは、人間離れした能力を行使できること自体が素晴らしいことのはずだ。

 ゆっくりゆっくりと雲を通り抜けながら、智明は我知れずほくそ笑んだ。

 あんなに羨ましかった真のH・Bよりも、希少で強力な力を手に入れたのだ。

 記録メモリー模写コピーは出来ないかもしれないが、恐らくサイキックと呼ばれる超能力ならばイメージさえ明確であれば実現し得ると確信できた。

「へへ。ノロノロ降りててもつまんないしな。、やってみるかな……」

 瞬間移動テレポーテーションを試してみようとして、智明はちょっと考え込む。

 一瞬で別の場所に移動すると言葉にしてみても、イメージが判然としなかったからだ。

 空をゆっくりと降下している状態から、一瞬後に自宅のベッドの上へ移動する。そこまではイメージ出来た。

 しかし、どうしても距離と時間という概念が邪魔をして、なおかつどうやって物体を離れた場所に移動させるかという理屈を考えてしまう。

 一瞬と思えるほどの高速で動く、と考えてしまうと室内まで辿り着くのにたくさんの障害があるし、物体を早く動かすためにはエネルギーも食ってしまう。

 ではSFっぽく空間を切ったり穴を開けるなりして、今居る高空の空間と自宅のベッドの上の空間を繋いで移動するというのはどうだろう?

 さっきの高速移動よりは映像としてイメージできそうだったが、空間という言葉の曖昧さがイメージを破壊した。

 ならばと、一瞬という時間を一秒に定め分解と再構築で転送させると考えてみる。

「これならどうだ」

 細かな事を言ってしまえば、人間の構造や衣服の構造なども把握していなければ、分解と再構築などという芸当は行えないが、そこは中学生のノリと勢いで押し通してしまう。

 細胞や骨や服を分子レベルまで分解して――という細かさは智明の頭脳や知識では追いつかないので、アニメやパラパラ漫画の様に考えたのだ。

 瞬間移動前のAという空間に居る自分と、まだ自分の居ないBという空間。

 瞬間移動を開始し、Aの空間にもBの空間にも自分が居ない。

 瞬間移動後にはBの空間に移動し終わった自分と、自分の居なくなったAという空間。

 キッカケ作りにスリーカウントを行って、自宅の自室のベッドを強く思い描く。

 瞬きほどの短いブラックアウトの直後に、何者かに投げ飛ばされたような勢いでクッションらしきものの上に倒れ込む。

「…………マジか」

 視界が回復してくると、見慣れた天井が知覚できた。

 体を起こして見回してみても、間違いなく何度も寝起きしている自分の部屋のベッドに居る。

「へ、へへ。イメージ出来れば大抵のことが出来る、こんなことが起こるなんてな」

 昨夜までの平凡で満たされなかった中学生の自分は、もう全く別の存在になったと思うと、自然と笑いがこみ上げてきた。

 含んだ笑いは自然と大きくなり、哄笑はあっという間に自室を埋め尽くす。

 だがはたと口をつぐみ、智明は自分の手をかざしてジッと掌を見つめる。

「……アレは何だったんだ?」

 昨夜、真とともにバイクを走らせていた際、どんどん悪くなっていく体調と原因不明の嘔吐など、これまでに経験したことのないことがたくさん起こった。

 病院らしき室内で目覚めた時は、自身の体は血に塗れ、目で捉えた範囲では筋肉や骨や臓器まで露出していたと記憶している。加えるならば、リニア線の高架下の溜池に写した自身の顔は、眼球が片方はみ出ていて、まるでゲームに登場するゾンビや怪物のようだった。

 智明は自分の掌を眺めつつ体を起こして、ベッドに腰掛ける。

 自然と掌だけでなく下腹部や足も視界に入ってくる。

「? なんだ?」

 肌が白っぽくなり血色が悪い気がするのは先程から感じていたが、体型や筋肉の付き方や膝の形が変わっているように感じた。

 わずかに生まれた不安を払拭するため、智明は全裸のまま風呂場へ向かう。

 風呂場までのドアというドアを念じて開閉することで、手に入れたばかりの能力を試したり練習しながらその習熟に満足しつつ、電灯を点けて鏡の前に立つ。

「……やっぱどっか違うな……」

 鏡に映してみると、昨日までの自分とは明らかに体の状態は変わっていた。

 少し背が高くなったような気もするし、アバラの本数や筋肉の付き方も違うように思う。

 一番の変化は額と首の後ろの二箇所にコブのようなシコリが出来ていて、頭髪で分かりにくいが頭骨も変形して見える。

「……まあ、外見なんかどうでもいいさ。骨格は変わっちゃっても、顔はあんまり変わってないから、鏡見ても違和感ないしな」

 独り言を呟きながら、智明は鏡に向かって睨んだり笑ったりふざけたりと表情を作ってみて、自分の考えが正しいと信じ込んだ。

 人間が持ち得ない能力を得たにしろ、外見が少し変わったにしろ、自分は自分なのだ。

 それよりも今はシャワーで気分を変え、腹ごしらえをしようと決める。

 どうやら能力を使おうとすると腹が減るようだし、能力の行使には体力や集中力を要するようだ。

 六月の湿気た雰囲気を洗い流すように熱めのシャワーを浴び、相変わらず母親のクセだらけのキッチンを物色する。

 ものの数分で冷蔵庫からウインナーとスライスチーズを見つけ、それから食器棚の上棚からお客様用の高いクッキーと、キッチンワゴンに無造作に置かれていた食パンを見つけ出し、自室へと運び込む。

「うんめ」

 昨夜、真の自宅近所の『くにちゃん』で夜食を摂ったが、ツーリング途中で吐いてしまったので智明にとっては丸一日ぶりの食事になる。

「ヤベ。飲み物がねーや」

 再びキッチンまで取りに行こうと腰を浮かせかけ、あることを思い付いて座り直す。

「そんな煩わしいことしなくてよくなったんだったな」

 独りごちてから目を閉じて意識を集中すると、闇色だった瞼の裏に冷蔵庫の内部が映像となって浮かび上がって来て、意識の手でコーラのペットボトルを取り上げ手元に転送させる。

 心の中で行ったスリーカウントに合わせて、軽く開いた左手の平に重みが生まれる。

「上出来だ」

 一人ほくそ笑んで智明は食事を続けた。


 朝から続く曇天と中島病院本館での事件で気分は重いままだが、バイクを走らせているうちは六月の湿気た空気を切り裂いて行けるため、真は幾分平常心に戻れていた。

 真の後ろにはバイクチームWSSウエストサイドストーリーズの田尻と紀夫が続き、紀夫の背中には中島病院看護師の赤坂恭子がしがみついている。

 午前六時過ぎに巻き起こった事件は、警察の事情聴取などが長引き、真たちが病院から出発したのは午前十時過ぎだ。

 中島病院を出てすぐに右折し、しばらく西進して126号線から三原川沿いを西淡地域に向かって走ったが、全員が徹夜明けのために空腹を感じ、榎列えなみ地区のファミリーレストランで食事を摂った。

 ここでも幼馴染みを案ずる真の心中とは真逆に、紀夫と恭子だけは恋仲の空気を醸し出していて、田尻はひたすら呆れるばかりだった。

 時刻が昼に近付き店内が混み始めた頃、少しのんびりし過ぎたことに気付いた真は紀夫のヤンチャエピソードを切り上げさせ、再びバイクを走らせて智明の自宅近くへと迫った。

 二十一世紀初頭まで田園地帯だった淡路島の平野部は、遷都をきっかけに高層マンションや商業ビルが乱立したが、小説やアニメや映画で描かれるような未来的な風景には仕上がっていない。

 道端に視線を向ければ二十世紀末期の東京や大阪などで目にするような汚濁は散見される。

例えば、行政に管理されていない私道のアスファルトのひび割れ。

築五十年を越えているであろう民家の壁のひび割れ。

幹線道路の拡充が優先されたため、削れて消えかけている古い県道の横断歩道の白線など、ミクロな視点でいえば都市の未来化は何一つなされていない。

 どんなに未来へと理想を託しても、生活しているのは現代と変わらぬ人間である証拠で、今後何世紀を経ても道端のゴミや側溝の詰まりは解消されないだろう。

「……!?」

 田んぼからマンションに建て変わった街並みが、昔ながらの瓦屋根の住宅街に差し掛かれば智明が暮らしているマンションなのだが、そのマンション下へ繋がる路地にパトカーが見えたため真は一旦やり過ごした。

 交差点を二つほど越えてから右折し、路地をもう一度右折して智明が住むマンションの裏手に回ったが、コチラにもパトカーと警官の姿があった。

「……チッ」

 ヘルメットの中で小さく舌打ちをし、そのままやり過ごしてコンビニの前で停車した。

 真のハンドサインに従って田尻と紀夫も続いてバイクを停め、ヘルメットのバイザーを上げて佇む真に歩み寄る。

「どうした?」

「このマンションなのか?」

 バイクを停めたコンビニの上階は確かにマンションではあるが、ベランダの造りから単身者向けの賃貸マンションだと想像できたので、田尻の問いかけは的外れだ。

「表の通りと二個前の角にパトカーが居たでしょ? あそこを入ったところが智明のとこなんすよ」

「マジか。厄介だな」

 四人とも事件現場に居合わせたので加害者や容疑者ではないが、軽くはあっても怪我を負ったので被害者とも言えるしそうでなくても関係者ではある。

 恭子は病院に勤務していただけなので智明とは無関係なのだが、真は智明と幼馴染みであり交流があったことは警察に伝えているし、真とWSSの一部のメンバーは交流がある。

 事件が発生し警察に通報されてからたった数時間で智明の自宅を訪れるのは、いらぬ疑いや勘繰りを招き四人の状況を悪くする可能性はある。

「普通に考えたら、警察はこっちに来るよな」

「確かにな。けど、せっかくここまで来たんだし、なんか方法ねえかな?」

「そうっすね。……無事かどうか連絡が取れるだけでもいいんだけど……」

 三者三様に腕を組んだり腰に手を当てたり顎に手を当てたりして、考えを巡らせる。

 田尻と紀夫は、智明を心配する真をどうにか助けてやりたいと思い、警察の注意を引くことや路地以外に目的地に到達する策はないかと案を出してくれたが、どれも妙案とはいえなかった。

 真は智明が心配なのはもちろんだが、無免許でバイクを運転しているがために、警察との接触を避けなければならない前提がある。ましてや事件現場に居合わせているというのは状況が悪くなることはあっても良くなることはない。一つアイデアが有るにはあるが、実行するためには夕方にならなければ出来ないアイデアだ。

「会いに行けないなら電話とかメールしたらいいんじゃない?」

 黙り込んで悩み始めた三人に、恭子がこともなげに告げてくる。

「その子、スマホくらい持ってるでしょ」

「あ、なるほど確かに」

 ポンと手を打つ田尻だが、即座に紀夫が否定する。

「いやでも、あの怪物みたいのがトモアキだとしたら、裸で走ってったんだぜ? 病院に忘れてるか置きっぱなしじゃないかな。まさか今時の中坊がスマホ持たずに出掛けてたとかもあり得ないだろ」

 紀夫の言葉に全員が「ああ……」と唸ったが、恭子だけは違った。

「スマホは病院に置きっぱなしかもだけど、家に固定電話あるんじゃない?」

「あ! あるある!」

「恭子ちゃん、賢いな!」

 智明の自宅を思い返し、真は表情を明るくし、紀夫は恭子の機転を褒め称えて恭子とハイタッチをする。

「なんだ、案ずるよりも生むが易しだな。真、早速かけてみろよ」

「うっす」

 警察との接触を回避できそうなことと、徹夜明けで早く肩の荷を下ろして家で眠りたいと思っていた田尻は、真の肩を軽く小突いて行動を促した。

 真も解決策が見い出せたことに安堵し、すぐさま目を閉じてH・Bを起動させて右手で仮想キーボードを操作する。

「え、ちょっと――」

「恭子ちゃん、静かに」

「まだか?」

「…………留守電になったっす」

 思わずため息をついた真につられ、田尻は肩を落としたが、紀夫は通話を終えようとした真を引き止める。

「メッセージ入れといた方がいいんじゃねーか? 状況が状況だからあっちも連絡取りたがってるかもしれないぞ」

「ああ、そうっすね。そうします」

 真は紀夫の指摘に納得し、すぐさまメッセージを記録して通話を終えた。

「智明には会えなかったけど、わざわざ付き合ってもらってすいませんでした。ありがとうございました」

 真を見守るようにしていた三人を見回し、真は律儀に一人一人に頭を下げ、感謝と謝意を示す。

「よせよ」

「家に帰るついでだったんだし、気にすんなよ」

「そうは言っても……。そうだ、丁度コンビニの前だし、ジュースでもどうっすか? せめてこのくらいのお礼はしたいっす」

 手を振って真を気遣う田尻と紀夫に、真はチームの後輩が先輩に媚びるように提案したので、田尻と紀夫は顔を見合わせ、真の心意気を買うことにした。

「そこまで言われちゃあな。んじゃ、俺はコーラ」

「俺はアイスティーでいいわ」

「はい! ……恭子さんは?」

「…………あ、じゃあ、アイスコーヒーを」

 三人からのオーダーを聞いて真はコンビニへ入って行く。が、恭子の態度が気になった紀夫は小声で恭子に囁いた。

「恭子ちゃん、どうかした?」

「うん。……これ、看護師だから見過ごせないんだけど、あなた達みんなハベってるの?」

「言わんこっちゃない」

「それは……。今はちょっと置いといてくれないか。後でちゃんと話すから」

 明らかに表情を曇らせた恭子の問いかけに、紀夫は一旦田尻の方を向いたが、田尻はそっぽを向いて紀夫に任せる素振りをしたので、とりあえず紀夫は先延ばしすることにした。

 恭子からすれば、成人としても看護師としても未成年者のH・B化に伴う危険性とリスクを学んでいるぶん、身近な者のH・B化にはどうしても過敏になってしまう。

 また、一般には明示されていないが医師・看護師・医療関係者が未成年者のH・B化に気付いた際は、保健機関へ通告する義務も課されているので、恭子の行動は正当でしかない。

 しかしここでミソとなるのが、通告先が警察ではないことだ。

 もちろん世界的な統一基準として未成年者のH・B化は禁止され罰則も規定されているのだが、この罰則は基本的に罰金なのだがH・B化してしまったことに対する罰ではなく検査や回復処置に充てられる費用という意味での罰金であり、刑事罰ではない。

 ただ、使用は刑事罰ではなくても、未成年者へ流通させることや横流しの挙げ句闇取引などを行うことは刑事事件なので、そちらは警察に逮捕され裁判を受け懲役ないし罰金が課される。

「紀夫、そっちは任せるからな」

「ああ、分かってる」

 田尻からしてみれば、紀夫が看護師を口説いたがために自分達のH・B化がバレかけているのだから、その責任をすべて紀夫に背負わせて当然と考えている。

 まあ、紀夫がそこまで承服して返事をしたかは微妙だが。

「……今は仕事中じゃないから黙ってられるけど、警察も病院も甘くないからね……」

「そこは、まあ、な」

 ここに来て十代の紀夫と二十代の恭子のギャップが垣間見えたが、紀夫はまだイケると思っているようで、恭子の手を握って笑顔を向けている。

「あの、今智明から電話かかってきたっす!」

 コンビニの袋を振り回す勢いで店から出てきた真は、慌てているのか焦っているのか、周りも気にせずに大声で田尻たちに告げていた。

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