〈4〉副将戦――エスクリマ

 内村は目を疑っていた。あまりに言葉を失ったためか、下唇が痙攣気味に揺れている。



「……これはどういう冗談だ、凪ィ! 俺様は何か難しい事を言ったか!? 腫瘍の切除やバイパス手術を命じたか!? 違ぇだろうが。ただ斬るだけ、成功率百パーセントの仕事だろう、こんなの落第研修生ドロップアウトの連中にもできることだぞ! 辞めちまえ、親父が医者ってだけのヤブが! !」



 陣地へと戻ってきた榊原を一瞥すらすることなく、腕を組んで怒鳴り散らす。



「茉莉奈! 奴らを必ず潰して来い!」


「――嫌です」



 熱が急速に冷えた気がした。今、自分の耳に入った言葉は聞き間違いだろうか。



「……なぁにぃ?」



 首を回して声の主を見ると、彼女はコートの端に立ち、今から戦う相手の方をじっと見つめている。こちらに振り返る様子は微塵も感じられない。



「団体戦のスコアでは既に負けが決定しています。それに瑠璃さんは、私の全力を以てぶつからなければならない相手ですから」



 失礼します、と呟くように出て行った茉莉奈を、内村は呆然と見送るしかなかった。






 * * * * * *






 泰然自若とした足取りでやってきた茉莉奈に、瑠璃は眉を曇らせた。



「いいんですか? あんなこと、先生に……」


「ああ、後で殺されるじゃ済まないかもしれないね」



 可笑しそうに返される。面を被っているのだから、変化は顔の表情だけだというのに。やはり、目の細め方一つとっても、その仕草は流麗だった。



「けれど、君は気にしなくていい。君が気にするべきは、私との戦いだけだ」


「……はい」



 これが、自分が倒さねばならない相手。団体戦としての決着がついたというのに、緊張に腰が引けそうになる。蹲踞の体勢から、そのまま後ろに転んでしまうようだ。

 しかし、堪える。真正面から茉莉奈を見据える。



「始めっ!」



 試合開始の号令で、瑠璃は二刀をそれぞれ所定の位置につけた。


 二刀流は特殊な部類に入る構えだが、その奇襲性は存外低いと言ってもいいだろう。上段の構えなどは、蹲踞の時点では中段の構えの選手と同じ一刀の動きであるため、不意打ちができる。また、同じ一刀である性質から、試合中に中段と上段の切り替えも可能である。


 しかし、二刀流はそうもいかない。何せ、お互いに礼をする段階から、二振りの竹刀を持っているという情報を相手に与えてしまうのだ。

 勿論、一刀の選手が試合の最中に二刀へ切り替えることはできない。滅多にないことだが、竹刀が壊れた等で引きさがった際に竹刀を二刀用のそれに切り替えることは可能かもしれないが、相手に準備の時間を与えるという点では同じだ。


 やはり、茉莉奈は躊躇う様子もなく飛び込んできた。すらっとした長身からのリーチを活かした、伸びのいい太刀筋だ。



「くっ……」



 瑠璃は咄嗟に小刀を翳しながら間合いを詰め、組み合う。距離が近くなることで、その身長差が一層広がって感じられる。


 迷うな。気圧されるな。相手が心も体も大きいことなど、とうに知っていたことだろう。



「やああああああっ!」



 鍔迫り合いもそこそこに、大刀で面、小刀で鍔元を打ちながら間合いを切る。惜しくも攻撃は面金に防がれてしまった。考えまいと思っても、やはり身長差がいちいち煩わしい。


 瑠璃は焦っていた。しかし一方で、茉莉奈には動きを阻害するものが何もない。

 連続技が売りの妹とは対照的に手数自体は少ないが、その分キレも伸びも申し分なかった。こちらの二刀に隙間を見つければ、間髪入れずに狙ってくる。


 内村桜花の門下生ということを抜きにしても、素直すぎる剣だと思う。



――私は宮崎茉莉奈、大江実業体育学部のスーツアクター志望だ。



 脳裏を過った言葉に、はっとさせられた。自分がどうしてここまで意地になっているのか、どうして彼女に負けたくないと思っているのか、その理由が解った。

 それは、茉莉奈がすでにヒーローであろうとしていたからだ。自分はただ憧れているだけのオタクでしかないのに、彼女は直接子どもたちに笑顔を与える役を担おうとしている。


 そう振る舞っているからこその、素直な剣。



「(わたし、だって……)」



 ヒーローになりたかった。ヒーローでありたかった。



――して、何を守る?



 茉莉奈の澄んだ心から放たれた言葉が、頭の中から攻撃してくる。

 このままでは外側の戦いが疎かになりそうで、思い切って間合いを外した。



「(わたしだって!)」



 エスクリマを始めた理由は、『妹を守るため』だった。父の仕事の都合とはいえ、遠く離れた土地に投げ出され、クラスメイトという怪人に手を出された翡翠を守るため。

 それは、翡翠自身がムエタイと出会ってからの努力の甲斐あって、解決した。


 この戦いに臨む理由だって『剣道を続けて行きたい』からである。突然挑まれた理不尽めいた勝負から、みんなと笑い合える場所を守るため。

 しかしこれも、咲、翡翠、姫芽香。先鋒から中堅までの仲間たちが叶えてくれた。



「(……わたし、何も守れてない?)」



 一瞬、膝から下がなくなったかのような錯覚に陥って、首を振る。

 違う。違う、違う違う!

 守るべきものがまだあったはずだ。あの合宿中、自分は何をしていた?






 『慧眼』の巧妙なコントロール戦法を前に、やがて、二刀の構えすらとらせてもらえなくなっていた。大刀を頭上に掲げようとする前に打ち込まれるからだ。



「どうしたの? もう、万策尽きちゃったかしら?」


「い、いえっ!」



 美由紀は、一度見た技を忘れないと言った。おそらく、まだ出していない二刀の技も知っているだろう。ややもすれば、彼女はエスクリマについても調べてきているかもしれない。

 だからそれは、ほんのちょっとした、賭けだった。


 相手が知らない技を出さなければ打ち勝つことができないのならば、そもそも存在しない技をでっち上げれば、チャンスがあるかもしれない。


 エスクリマの歴史の中で、接近戦に特化するために両手に武器を携えることエスパダ・イ・ダガを放棄した流派がある。そこでは攻防の稽古として、接近した状態から相手のスティックを素手で受け流し、こちらの拳撃を繰り出す流れを、延々と腕を回転させて続けるタピ・タピというものがある。

 温泉で翡翠たち相手に用いたあの技だ。これを、二刀の動きに応用できれば、あるいは。


 瑠璃は思い切って竹刀の持ち方を変えることにした。これまでの小刀を左手に、大刀を右手にしていた構えを、逆にする。剣道において、竹刀は左手を中心に持つものだと李桃から教わった。

 しかし、だからこそ気になっていたのだ。『正二刀』と呼ばれる構えにおいて、必殺の大刀を右手で持つ、ということが。エスパダ・イ・ダガも長いスティックと短剣を『正二刀』と同様のポジショニングで構えるが、それは『利き手に必殺の武器を携える』という向こうの概念だ。


 今のままでは、応用したところで『竹刀で行うエスクリマ』でしかない。だからこそ、逆に剣道本来の基本を取り入れる。

 そこで初めて、李桃の唱えた『融合剣道』が完成する。



「逆二刀? いえ、これは。どうやら、起こしちゃいけないものを覚醒めさせてしまったようね」



 竹刀の持つ手を交換しただけで終わらなかった瑠璃に、美由紀は興味深そうに目を細めた。






 合宿の後で、美由紀からはあの構えの封印を命じられた。それは、現代剣道の試合において、言い訳が聞かないほどに出鱈目なものだったからだ。

 だが、大切なものを守るためだ。昨日の今日で気が早いが、今こそ使うべき時だろう。



「…………『右手に瀟洒さを、左手に気高さをマガンダ・ダガ・イ・マラカス・エスパダ』」


「ほう、これは……」



 左右の竹刀を入れ替えた瑠璃に、茉莉奈は感嘆の声を漏らしていた。

 しかし、肝心の回転の動きを加えた刹那、



「止めっ!」



 試合時間終了の笛も鳴っていないというのに、審判の号令が響き渡った。






 * * * * * *






 やはりか。紅葉は薄々、そんな予感がしていた。



「あらあら、解禁しちゃったのねぇ」


「しちゃったのねぇ、じゃねぇよ! やっぱりお前の差し金かコンチクショウ」



 隣で笑いを噛み殺している美由紀の太腿を小突いた紅葉は、



「それじゃ、ちょっくらテメェの尻拭いに行ってくるわ」



 こきこきと首を鳴らしながら、審判旗より一回り小さい、黄色の旗を持って立ち上がった。






 * * * * * *






 瑠璃は一旦納刀し、互いに九歩の間まで下がっていた。中断をかけた審判たちはそのまま『合議』に突入し、コートの中央で顔を突き合わせている。


 普段の部活で試合形式の稽古をしているうちに、一本の判定があった場合の動き方は教わっていたが、合議の説明は聞いていなかった。合議とは何だろうか。これが美由紀の言っていた、エスクリマの技を封印すべき理由だったのだろうか。


 上目遣いに茉莉奈を盗み見る。彼女はじっと目を閉じ、合議が明けるのを待っているようだ。


 やがて審判が元の位置に戻り、瑠璃も、茉莉奈の動きの見よう見真似で元の位置に戻る。開始線へ戻って構えた時、主審が近づいてきた。



「剣道において、さっきのような構えを認める訳にはいかない。今回は注意という形にするが、次は退場の措置を取る。いいね?」


「――ちょっと、待っていただけますか」



 振り返ると、紅葉が黄色い旗を胸の前で広げていた。安っぽいバスガイドのように見えなくもないが、『監督の異議申し立て』という正式な権利である。



「うちの剣道部が特殊であることは事前にお伝えしたかと思いますが、こいつの場合、これが構えなんです。どうか、このまま続行させてはいただけませんか」


「柳沼先生。しかし……」


「私からもお願いします」



 苦い顔をする審判たちに鶴の一声を投じたのは、敵であるはずの茉莉奈だった。

 彼女はこちらへと向き直って、訊ねる。



「聞かせてくれ、瑠璃さん。これが君の答え――君の構えなんだね?」



 その真剣な眼差しに、瑠璃は黙って頷き返した。精一杯、力強く。



「だ、そうです。ならば私はそれと戦いたい。お願いします」



 深く頭を下げた茉莉奈によって合議の結果は異例の不問に終わった。



「さあ、見せてくれ、瑠璃さん!」



 清々しいほどに堂々とした茉莉奈に、瑠璃の雑念は全て掻き消えた。



「はいっ。『悠久なる双刀の型エスパダ・イ・ダガ・オチョ・スタイル』!」



 8の字を描くように竹刀を回し、最強の結界テリトリーを構築する。

 茉莉奈のような剣士と戦えたことを、誇りに思おう。そして、剣を交えた二人の好敵手は、戦のあとで手を――いや、今は何もいうまい。


 右手の小刀の円運動で、茉莉奈の面打ちを絡め取る。しかし、隙のできた面へと左手の円運動で迫るも、彼女は受け流された竹刀を強引に切り上げて抵抗してきた。


 さすがに、そうは上手くいかせてくれないか。だが、エスクリマの回転は一方だけじゃない。


 瑠璃は茉莉奈へと振り下ろした竹刀を、手首と腕を逆回転させて引き戻し、再び頭上に振り被った。当然、切り上げてきた竹刀は、右手で引っかけるように弾き飛ばさせてもらう。


 李桃が『武術の融合』を提案してくれたから、それを支えてくれる仲間たちがいたからこそ、自信を持ってできること。部の一員として、友達として、今度はわたしがみんなを支えたい。


 誰がやったとかではなく、みんなで目指す剣の道。



「これが、わたしの守りたいものです!」



 円運動によって一太刀目よりも高く昇った竹刀は、身長差をものともせず、面へ沈み込む。


 旗が揚がる前から、茉莉奈は満足そうに目を閉じて微笑んでいた。

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