第四章 サムライガールズ・レボリューション!
〈1〉先鋒戦――システマ
大江実業は、向こうから乗り込んできた。
あくまで格上である彼女たちに、紅葉は勝負を挑まれた側とはいえこちらが出向くと告げたのだが、古くからの慣例に則り『道場破りの形で潰す』と突っぱねられたらしい。
道場の扉が開かれると、焦げたような殺気の臭いが鼻につく。朝一番だというのに、淀むような気の圧力を振り撒きながら、千葉を筆頭に、大江実業の精鋭剣士が入場した。彼女たちは、これ程の殺気を明確にしながらも、道場やこちらの顧問・紅葉へ一礼することを忘れない。
志は違えど、剣の道。活人剣と殺人剣という単純な正義と悪の構図ではなく、互いの信じる正義と正義のぶつかり合いだということを、李桃はひしひしと感じていた。
だからこそ。李桃たちは、胸を張って大江実業の面々を迎え入れる。大自然に磨かれたボロボロの笑顔で、自信たっぷりに。この戦い、勝ちに急いだ時点で先は無い。
向かい合って並んだ千葉の目が、わずかに見開かれたような気がした。しかしそれも、ほんの一瞬のこと。彼女は狩人のような鋭い双眸へと戻ってしまう。
気のせいだっただろうか。しかし、ある程度の心のゆとりができている今なら、千葉の目を真っ直ぐ見つめ返すことができる。彼女はまつ毛が長いようだ。羨ましい。
「おーおー、雁首揃えてやがるな」
やってきた内村が、李桃たちの後ろに並んだ美由紀たち元国体メンバーを見て鼻を鳴らす。
「こいつらの力まで借りたか。『悪鬼』ともあろう貴様が、必死だなぁ、おい?」
「ほっとけ」
素っ気ない回答に、遊び相手を失った内村はんん、と喉を震わせた。そんな不機嫌さがありありと込められた表情にほくそ笑みながら、紅葉は進み出る。
「公正を期すため、他校の先生方に審判として立ち会っていただくことにした。到着し次第、試合を開始する。いいな?」
「構わぬよ。土壇場に上がるまでの時間を引き延ばすとは、貴様も大概マゾだな」
睨み合いから飛び散る火花は激しく、戦の火蓋は切られるより先に暴発する寸前だった。
やがて駆けつけた審判に互いのオーダーが提出され、スコア表が黒板に書き出されると、内村は「貴様らは白装束か」と嘲笑った。表の上段が赤襷、下段が白襷になるからである。
大江実業は先鋒・栄花聖。次鋒・宮崎麗緒奈。中堅・榊原凪。副将・宮崎茉莉奈。大将・千葉直刃。
迎える伊氏波高校は先鋒・咲、次鋒・翡翠、中堅・姫芽香、副将・瑠璃、大将・李桃の並びだ。
* * * * * *
一番槍の大役を任された咲は、李桃たちの激励に小さく頷き返し、試合コートへと足を踏み入れた。団体戦とはいえ、戦うのはあくまで一対一。気を引き締めて蹲踞する。
「残念じゃったな、ちまいの。ワシに当たったのが運の尽きじゃ」
「む。生意気」
面金越しにも、栄花の八重歯が剥かれていることが分かる、早速使うのは癪だが、苛立ちを抑えるためにも軽く
「始めっ!」
審判の号令とともに、咲はギアを即トップに切り替えた。真上に立ち上がらず、左足を蹴り出して右斜め前の方向へと回り込む。
剣道は右足が前、左足を後ろに構えるという左半身の性質上、本来は相手の死角をとるために左方向――相手にとって右側へと回り込むことがセオリーである。打突部位の一つ、小手を捉えやすいという意味でも効果的なのだ。
しかし咲は、敢えて敵の身体が対応しやすいスペースへと飛び込んだ。迎撃される可能性は十分にあるが、まず誰も行わないだろう戦法で身を捨てねば、強者相手に勝機は見えない。
滑るようにしかけた速攻に、対する栄花の動きは――緩慢だった。
ゆっくりとこちらを追ってくる剣先に、咲は怪訝の目を見張る。東沢高校の先鋒の方がよっぽど速かった。
ならば、がら空きの面を狙ってやるまで。着地したばかりの左足に、再び力を込める。
「――のろいのう」
栄花の口端が吊り上ったかと思うと、会心の一撃は竹刀に受けられていた。そのまま彼女が急速に体軸を旋回させたことで、こちらの竹刀が流れるように落ちる。今度はこちらの面が無防備に露わとなってしまった。すんでのところで、首を捻って躱す。
「何、今の……」
まるで時間が、自分を取り残して早送りになったかのような感覚だった。
「感覚の落差を利用した、簡単な錯覚じゃよ。お前さんのように、先鋒は素早いものだと決め込んでいる虫ほど、よく飛び込んできよる」
「……む」
遊ばれていたということだろう。咲は冷静さを欠いたままで飛び込んだ。
技を返されるのが嫌なら、二本以上の剣を打ち込めばいい。敵に余裕がなくなるほど、苛烈に責め立てればいい。
しかし、栄花は攻撃の全てを読み切ったように、間合いを外し、攻撃を受け流し、逆に打ち込んでくる。こちらも動き続けていることで、敵の打突は面金や肘へと外れ、有効打突は取られていないものの、
「……くっ」
咲の表情には焦燥の色が浮かんでいた。栄花は相変わらず、余裕綽々としている。
「システマとは中々面白いもんじゃのう。じゃが、惑わされるのは雑兵のみ。いくら速いとて、所詮は足捌きじゃ。お前さんが打ち込む直前、ワシへと向かう爪先だけを見ていればよい」
鈴を鳴らしたような声で煽ってくる彼女は、悔しいか、と嗤った。
「じゃが言わんかったか? ワシは情報学部じゃと。データを基に試合の流れを組み立てることは得意での。もちろん、制御するのはポンコツマシン――貴様じゃ」
「……うるさい」
我慢がならなかった。速攻が通じないことよりも、完全に舐められていることに腸が煮えくり返るようだ。
怒りの火はバースト・ブリージングの呼吸によって酸素をくべられ、炎となって燃え盛る。
制御されているというのなら、オーバーヒートを起こして予測不可能にすればいい。
しかし、飛び込もうと脚に力を溜めたその時。がくん、と、耐えかねた膝が折れた。
「……えっ?」
明らかな体の異変に、咲は目を剥いた。
「不思議じゃろう? これもお前さん自身が勝手に背負い込んだ錯覚じゃよ」
くっくっと、愉快そうに喉を鳴らす栄花。これも予定通りだというのだろうか。
「特殊な呼吸法で体力を無尽にしているようじゃが、あくまで無尽と『見せかけている』だけじゃ。ダメージを受ければ、激しく呼吸を繰り返すことでその状態を常とし、怒りに平静を失えば、その状態が平静だと体に信じ込ませる。さすが、軍人発祥のロジカルなマーシャルアーツと言ったところじゃが――」
「…………ぜぇ、はぁ」
「くく、器を溢れた疲労に限界が来ておるな。攻撃が防がれるのならばまだしも、躱され、受け流されることは体力がごっそりと削られるものじゃ。システマの防御方法もそうじゃろ?」
栄花がおもむろに上げた剣先が、ぴたりとこちらの喉元を狙ってくる。
「お前さんの負けじゃよ、ちまいの――」
一直線に突き出される竹刀に、咲は瞼を閉じた。
馬口岩での修行が、脳裏に蘇る。恐怖に身動きできなかった自分は、六日間ずっと、竹刀を構えて突っ立っているだけだった。真澄からの攻撃もなく、向かい合うだけの日々。
結局あの合宿中、竹刀を振るったのは一度きりだった。
――動くことは、止まらぬことではない。
真澄の言葉の意味がようやく理解できたのは、七日目。
一歩も踏み出していないのに、相変わらず過呼吸は続いていたことがずっと疑問だった。しかしそれは、身体の代わりに、心が逸っていただけのことだった。
「(動けないなら、動かなくていい……)」
目を閉じたままで、咲は竹刀を握り直す。
システマの四原則は『呼吸』『姿勢』『リラックス』『動き続ける』ということ。この『動き続ける』ということが最後に来ている理由を、必死で考えた。呼吸で気持ちを落ち着かせ、正しい姿勢で脱力する基本のポジションから、どう動くのかを。
――同時に不動も、動かぬことではないのだ。
対外的に見た身体の動きを捨て去って、悟った。必要なのは、仮に身動きが取れなくなっても冷静に他の三原則を順守し、心が前に出たいと叫ぶための舞台を用意することだと。
竹刀が真澄の肩に食い込んだ感触があった時には、咲の身体は急に吹いてきた横風に煽られ、柵の外へと重心が持ち上がってしまっていた。
「いかん!」
咄嗟に背中に腕を回してくれた真澄に引き寄せられ、無事に帰還する。
「ありがとう、ございます……」
「何、このような場所を稽古場に選んだのは拙だ。礼などいらぬ」
そう言った彼女は、申し訳なさそうに微笑んだ。ここまで七日間付き合わせておいて、難儀な性格である。
「掴んだな。不動の心を」
頷いた。気がつけば、岩壁からの落下をする寸前まで行ったというのに、心は穏やかだった。
そう、だからこれは『不動』から受け継いだ一太刀。
恒常性の引き上げ限界がなんだ。一本でも打ち込む余力があれば十分である。
咲はかっと目を見開いた。
「負けは、そっちの方――『
突いてくる竹刀ごと食いちぎる、脱力からの一閃が栄花の面を捉えた。真正面から牙を叩きつけられた獲物は、よろめく過程もすっ飛ばして、その場に膝から崩れ落ちる。
「面ありっ!」
審判の旗が揚がると同時に、時間切れの笛が鳴った。
「最後…………お前さんは、何をしたんじゃ」
震える足で開始線まで引きさがりながら、栄花が問うてくる。
「ん、システマ。最強」
咲は満足げに鼻を鳴らして、悠々と竹刀を納めた。
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