第三章 Don't Think, Feel.

〈1〉殺人剣

 勢いで引き受けた試合だったが、幸いなことに、部員たちは乗り気でいてくれるようだった。



「問題はこいつだな……」



 意思の表明を聞けていない者が、一人いる。紅葉が振り返ると、李桃は壁際で瑠璃と翡翠に付き添われていた。震え自体はだいぶ落ち着いているものの、足を抱えたまま動こうとしない。



「なぁ、姫芽香。あいつは昔、強敵に負けてなかなか立ち直れなかったことがあるとか言っていたよな。その強敵とやらが、千葉直刃か?」


「……はい。間違いありません」


「妙だな。立ち直ったにしては、怯え方が酷すぎる」



 隣で静かに、姫芽香が歯噛みする。彼女にも理由は解らないのだろう。

 李桃は依然として、瑠璃たちがいくら声をかけても反応を返さず、自分の殻にこもってしまっている。どうしたものかと腕を組んで唸っていると、咲に袖を引っ張られた。



「モモ、試合中に変なこと言ってた。『殺人剣』って」


「あー……そうか、成程。失念していたよ」



 その言葉を聞いた紅葉は、光明を見出した安堵と、千葉ら大江実業のことは名前を知っていただけで、実際に試合を見たことがなかった後悔とに、苦い顔で髪を掻いた。

 部を率いていなくとも、審判として大会に関われていれば良かったのだろうが、このところ剣道から離れていたことが仇になった。審判を務めるためには、県の剣道連盟に会費を払って登録する必要があるが、それすら億劫になっていたのだ。後悔先に立たずとは痛烈である。


 ならば、せめて『今』とかいう奴だけは、後ろに行かせてやるわけにはいかない。



「お前ら、李桃の周りに集合してくれ。李桃も、余裕がないなら返事をしなくていい。だが、できれば話だけは耳に入れておいてくれるか?」



 そう言って、紅葉は李桃の正面で胡坐をかくと、他の部員たちが集まるのを待った。

 足を崩して構わないと前置きした後で、ゆっくりと、口を開いた。



「咲から聞いて判った。李桃の抱える恐怖の原因は『殺人剣』だ」


「殺人剣……人を殺すための剣、ですね」



 姫芽香の呟きに、李桃の肩がわずかに跳ねた。反応がゼロではなかったことを横目で確認しながら、紅葉は、親が子供を諭すように、一言一言を慎重に置いていく。



「殺人剣と対を成す言葉を知っている者はいるか?」


「ウチ知ってる! 『活人剣』だよね、『六三四の剣』でやってた!」



 合っていることには合っているのだが、その出自に思わず頭を抱える。



「よくもまぁ、そんな懐かしいマンガを知ってるな……まあいい、正解だ。ならば活人剣が、元々は殺人剣と呼ばれる概念だった、ということは?」


「そうなんですか? 言葉の意味からは、とてもそうには思えませんが……」


「私も初耳だわ……」



 姫芽香が悔しそうな顔をした。剣道と居合。刀に関わることを二つも修練している身としては思う所があるのだろう。



「いや、普通は知らないことだ、無理はない。活人剣とは文字通り、剣を以て人を活かすということになるんだが、元々の考え方を簡単に言えば『一人の大敵を倒すことで、万人を救うことができる』というものだ」


「……なるほど。戦乱だった時代背景を考えると、納得がいきますね」


「だろう? だが、次第に刀が必要とされなくなり、現代剣道の原点でもある、竹刀を用いた稽古法を取り入れる道場も多くなった。そうした時代の変化に合わせて、活人剣の思想は、現代にも伝わるような『精神修養を通して自身を、稽古や生活を通じて他の者を高めていく』というものに再定義されたんだ。これは、お前たちも知っている剣道の根幹だな。

 ただ、そこまではいいんだが、これが厄介でな。別に元々の意味だって『元祖活人剣』とかにでもしとけば良かったろうに。殺しの味を占めた者や、食い扶持に困って殺しに走る者が多いからかは知らんが、いつしかそれは、殺人剣として忌み嫌われるようになったんだよ」



 対極にあるようで、表裏一体の概念。それが現代の活人剣と殺人剣である。字面が悪いだけで、必ずしも殺人剣イコール悪、ではないのだ。



「剣道だって、今でこそスポーツ剣道だとか揶揄されるようになってきたが、その本質は『敵を殺すための術』だ。姫芽香、居合だってそうだろう?」


「……確かに。制定居合の技でさえ、説明の最後には必ず『切り下ろして勝つ』とありますね」


「そういうことだ。『勝つ』とは即ち『殺す』。表現こそ柔らかくなっても意味は変わらん」



 紅葉はそこで一度言葉を切ると、深呼吸で自分を落ち着かせた。こんな時、バーストブリージングはどうやるんだったかなどと考えを巡らせるあたり、自分も随分と、この剣道部に入れ込んでいるのだと改めて感じる。



「正直に言うとオレも、いやオレたちも、か。活人剣と殺人剣を合わせた考え方をしていた時期がある。剣道の理念である精神修養に惹かれつつも、試合では勝つことに拘り、徹底的に相手をぶっ倒す術を模索していたんだ」



 今思えば、『悪鬼』や『羅刹』という恥ずかしい二つ名も、その剣風けんふうに因んでのことだろう。



「ある時を境にオレはそんな考え方が嫌になり、剣を置いた。一方で自分のスタイルを曲げなかったのが、大江実業の顧問、内村桜花なんだよ」



 自嘲気味に肩を竦める。こうして口に出してみると、途端に言い訳がましく聞こえるような気がしたからだ。いや、事実言い訳なのかもしれない。



「おそらく向こうは、お前たちの剣道を邪道と見なし、倒すことで、本来の剣道こそが至高であると証明したいのかもしれんな」


「うっへー、何それ八つ当たりじゃん」


「気持ちは分からなくもありませんが、なおのこと負けたくないですね」


「ん。追い返す」



 翡翠たちは拳を握りしめて、改めて闘志を燃やしていた。李桃の敗北を目の当たりにしてもなお強気でいられるのは、やはり初心者にして初心者に非ずといったところだろうか。

 剣道の中で他武術を活かし、他武術によって剣道を高みへと押し上げる。この相乗効果がどんな化学反応を起こしてくれるのか、紅葉は見届けたくなっていた。


 無謀な挑戦ではあるが、勝たせてやりたい。



「とはいえ、理屈で覚えてもイメージは湧かないだろう。明日は稽古を休みにするから、放課後は大江実業の偵察にでも行ってこい。電車代は出す」



「しかし、素直に見学させてもらえるとは思えないのですが……」



 姫芽香の不安ももっともだった。しかし紅葉は、問題ないと歯を見せる。



「体育館の裏に回ってみろ。風を通すために床ギリギリの位置に付けられた小窓がある。その右から三つ目だったかな、割れて修理した窓が、一つだけ擦りガラスじゃないんだよ」


「えっ、ちょっ、センセー、何でそんなに詳しいの!?」


「……前科者」


「違ぇよ!? 国体の選抜選手に選ばれた時、合同合宿が行われたのが大江実業だったんだよ!」



 そんなバカ騒ぎの中で、紅葉は思い出したように、声を上げる。



「李桃、明日の放課後は、姫芽香に教室まで迎えに行かせてもいいか?」



 目線こそ合わせてはくれなかったものの、数秒の沈黙を経て、やわらに頷きを返してくれた。

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