〈2〉余韻

「ほ、本当に初心者なの……?」


「剣道初めて二週間の子に引き分けるなんて……」



 互いの礼を終えて陣地に戻った東沢の選手たちは、一様に苦い表情をしていた。あっけらかんとしているのは姫芽香たちを知る凛と、顧問の美由紀くらいか。



「なんだお前、余裕そうだな。『慧眼』とやらで見通してたのか?」



 紅葉の嫌味に、美由紀は眼鏡を指で直しながら、可笑しそうに笑う。



「買いかぶりすぎ。鍋山さんと村山さんには喰われるだろうと思ってはいたけれど、あなたの教え子とはいえ、初心者にここまで苦戦するのは予想外。……何を教えたの?」


「オレはなんにも教えてねぇよ、やったのはあいつら自身だ。なんでも、例の『初心者』たちがこれまで修めてきた他武術の長所を、剣道に取り込むんだと。面白いだろ?」



 腹を抱えてくっくと笑う紅葉に、眼鏡の奥の瞳が見開かれた。



「前代未聞じゃないの。下手をすれば愚弄も甚だしいわ、大顰蹙を買うかも……」


「んなこたぁ解ってるよ、オレもあいつらも。当然やりきるさ、これは剣道に対する革命だ」


「ふふっ、今のあなたを、『女王』と『羅刹』が見たら何と言うかしらね」


「あー、先生はともかく、あの馬鹿はほっとけ。ろくなことにならん」



 心底嫌そうな顔で手を払い、互いに噴き出す。そんな二人の下へ、李桃たちが集合した。



「お願いします!」



 李桃の座礼に倣って、瑠璃たちも頭を下げる。稽古をつけていただいた後などには、こうして師の下へ走り、反省点などの教えを乞うことが通例となっている。


 お前から話せと目配せで振られた美由紀は、肩を竦めて笑った。



「せっかくの持ち味を消してしまいそうで怖いわよ。強いて言うなら、もっと声を出すことかしら。他の武術をやってきた興梠さんや川添さんには馴染みがないかもしれないけれど、声は単に有効打突の条件ってだけじゃあない。全身に湧いてくる気迫に気づけば、虜になるわよ」


「「「はいっ!」」」



 元気のいい返事に満足そうに頷いた彼女は、紅葉へとパスを戻した。



「今日の試合は二十点だ。本当にズブの素人ならまだしも、剣道以外でも脱力は基本だし、まして剣道の経験が長い李桃たちまで肩がガチガチに硬かったら論外。慢心は禁物だよ」



 紅葉の指摘に、李桃たちの表情が重くなる。


 団体戦の勝ち点だけ見た結果は二対〇。実質、李桃と姫芽香がいたから勝ったようなものだった。瑠璃たちが試合を落とすことはなかったとはいえ、せっかく先取した一本を経験で取り返されているのが現状である。美由紀の言葉を嫌味抜きで借りるならば『村山地区の中の下とタイを張るのが精いっぱい』の相手とでこれでは、全国どころか県の上位すら難しいだろう。



「あら手厳しい。さすがは『悪鬼』ね」



 不意に入れられた横槍に、紅葉は「茶化すなよ」と鼻を掻いて、



「まぁ、初戦にしてはよくやった。帰りにそこの道の駅で、アイスでも奢ってやろう」



 直後、わっと歓声が上がった。打って変わっての喧噪である。



「やったー、ウチはローズヒップソフト!」


「甘酸っぱくて美味しいですよね」


「……ジェラート。蕎麦焦がしキャラメル」


「い、頂けるのならば、バラ味にしようかしら」


「に、『二色』は料金に入りますかっ!?」



 現金にはしゃぐ李桃たちと、羨ましそうにこちらを見ている東沢剣道部員の視線に晒された紅葉は、軽はずみな自分の発言を後悔した。



「ああもう分かった好きにしろ! 美由紀もマイクロバスを出せ、どうせなら全員で行くぞ」


「えっ、私も奢るってこと!? 部員の数は倍よ、倍!」


「うちの初陣に立ち合った記念とかで納得しろ……三人分なら出してやる」



 公式戦ではないとはいえ、伊氏波高校剣道部の初戦白星である。両校のトータル人数を割った妥協案を提示すると、紅葉は財布の中身に舌打ちしながらも、どこか上機嫌に立ち上がった。






 * * * * * *






 畑のど真ん中。国道をまたぐ巨大な陸橋通路が特徴的な『道の駅むらやま』の施設は、大きく三つのスペースに分かれている。駐車場から入口までに軒を連ねる数々の露店、施設内の物販コーナー、そして施設の奥にあるフードコートだ。



「咲先輩、なにしてんのー?」



 爽やかな酸味のシロップがかかったローズヒップソフトを舐めながら、翡翠が訊ねる。彼女の視線の先では、土産用の銘菓が陳列された棚の前で、咲が唸っていた。



「ん。今週の買い出し」



 そう言って既に手に持っている購入確定商品を掲げる咲の手には、種類豊富なおしどりミルクケーキが抱えられていた。隣で一緒にウィンドウショッピングをしていた姫芽香が苦笑する。



「明らかに一週間の量じゃないのだけれど……。あくまで乳製品なんだから、お腹壊すわよ?」


「問題ない。二歳から鍛えた」


「すごーい、なんか暗殺者の毒薬訓練みたいでかっこいいね!」


「毒薬って……。それよりも、二歳でこの硬いお菓子を食べられることの方が怖いわよ」



 そんな、保護者ひめかの溜め息が零れる空間から少し離れた米コーナーでは、軽い声が響いていた。



「へぇ、興梠さんはイバラギから転校してきたんだ?」


「中学にあがる時です。それと、申し訳ないのですが……いばら『き』です。『ぎ』ではなく」


「そうなの? だってほら、イバラギで変換できるじゃん」



 おずおずと指摘した瑠璃に、凛がスマホを見せながら首を傾げる。通じさえすればさして問題はないのだろうが、米コーナーの前であることもあって、瑠璃も変な意地を張っていた。



「『いばらきぃぃぃ! ! のコシヒカリ』というCMはご存知ないですか?」


「うんにゃ、ぜんぜん。こっちで米といえば『どまんなか』だったし」


「ううっ。そう、ですよね……」



 崩れ落ちる。分かってはいたのだ。同級生にすら、このネタが通じたことはない。



「ごめんごめん、私たちが訛ってるだけだから。これからはちゃんと『き』って言うから!」


「いいんです。ローカルネタなだけで、林崎さんが気にされる必要はないんですう……」



 慌てて弁解する凛に肩を支えられて顔を上げた瑠璃は、ふと目についたポスターに目が留まる。凛は先ほど、山形の米を『どまんなか』と言ったが、そこに掲載された品名は違っていた。



「こちらは県のブランド米のようですね。『つや姫』ですか」


「あれっ、知らない? 稲も強い、味もいい、山形県の超新星。ちょっとお高いけど、何年か前に命名された弟分の『雪若丸』ともども絶賛売り出し中のお米だよ」



 美味しいんだけどねー。なんて苦笑した凛は、ふと、納得したように手を打った。



「品名やロゴが決定したニュースがバンバンやってた時期って、多分興梠さんが引っ越してくる前だ。モンテディオのユニフォームに載ってるけど、サッカー観ないと知らないでしょ?」


「すみません、情報に疎くて……」


「いいっていいって。ローカルネタだから!」



 けらけらと背中を叩いてくる凛と顔を見合わせて、瑠璃も思わず噴き出した。

 彼女たちから、さらに離れて。壁沿いに設けられた地酒コーナーは幾分か大人しい。



「今日は初勝利を祝って、酒でも買ってくかな」


「年中呑んでるくせに。それに、今は生徒を引率中なんだから、酒類の購入は禁止よ」



 手に取った朝日町産のスパークリングワインを美由紀から棚に戻され、紅葉は舌打ちをする。



「先生先生先生っ! くーれはせんせぇ~!」



 いや、大人しくなどはなかった。乱入してきた李桃の手には、薄いクリアブルーの瓶が美しい、濁り酒のような白い地酒が握られている。



「面白そうなお酒見つけたよ! ヨーグルト味だって!」


「ったく騒がしいな。お前はこっちに来ていい歳じゃねぇだろうが」



 呆れたように嘆息しながら、ちゃっかり瓶を受け取って目を通す紅葉。鳥海山の牧場で採れたという生乳から作られたヨーグルトリキュールは、度数も八度とあって飲みやすそうである。

 しかし、肝心の商品名を見てしまった彼女は、思わず瓶を落としそうになった。辛うじて思い留まり、たたらを踏んだ紅葉の肩越しに覗きこんだ美由紀も、すっと目を逸らしてしまう。



「『子宝』って……李桃、お前な。オレに喧嘩売ってんのか……」



 わなわなと肩を震わせて、紅葉は瓶を突き返した。



「すぐ戻して来い! さもなくばお前の股ぐらに瓶ごとブチ込んで種付けしてやるからな! !」


「ふぇええ、ごめんなさぁぁぁいっ!?」

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