二十、不喜処

 それから、プルートーは牛頭に命じて、

 等活地獄に付随する十六の別処へと雲を走らせた。


 マタヨシはそこで、ありとあらゆる

 責苦に苛まれる人間たちの姿を見た。


 屎泥処しでいしょでは、どろどろに溶けた銅と

 糞尿の河を泳がされる人間たちを見た。


 瓮熟処おうじゅくしょでは、熱く焼けた鉄板の上で

 豆のように煎られる人間たちを見た。


 刀輪処とうりんしょでは、鉄の柵の中に入れられ、

 刀の雨で全身を刺し貫かれる人間たちを見た。


 それから、闇冥処あんみょうしょ衆病処しゅうびょうしょ

 空中受苦処くうちゅうじゅくしょなどを見て回った。


 折にふれて、プルートーは

 マタヨシに「どうか?」と聞いたが、

 彼は何も答えなかった。


 それは、カワバタがずっとおしゃべりを

 やめなかったせいでもあった。


 不喜処ふきしょの上空に差し掛かったときのことである。


「旦那、ここはいちだんと熱いですねえ。

 罪人がうまく焼け焦げたところを、

 頃合いと見計らって、化物じみた犬が

 食い荒らしてやがる。

 あれは生前、どのような罪を犯して、

 ああなっているのでございましょう? 

 因果応報と申しますから、受苦より

 罪の内容が推し計られるわけでございますが。

 あれは、なんともまあ、

 奇妙奇天烈とでも申しましょうか? 

 旦那、勿体つけねえで、

 あっしにも教えてくださいまし。

 ここはどんな罪を犯した者が

 堕ちるところなんです?」


 プルートーは言った。


「ここは、生前、騒がしかった者たちが

 堕ちるところだ」


「へえ、そんなことで地獄に

 堕ちたりするもんなんですかい。

 そりゃあ、地獄に堕ちるくらいだから、

 さぞ騒がしかったんでしょうねえ?

 おや――、あそこにいる鳥は、

 なんという名前の鳥でしょう? 

 全身が紅がかって、

 嘴から火を噴いてやがる。

 あんな美しい鳥に食われて死ねたら、

 罪人としても、地獄に来て、

 本望でしょうなあ」


「あの鳥をもっと近くで見たいか?」


「ええ。そりゃあ、是非とも」


「そんなに見たいなら、

 あんただけ行って見なさい」


 プルートーはカワバタを

 雲から突き落としてしまった。


「おい、なんてことをするんだ!」


 マタヨシが驚いて叫んだが、

 プルートーは涼しい顔で、


「心配しなくても、後でちゃんと

 引き上げてやります」


「悪気はなかったんだ。

 いますぐ引き上げてやれ」


「いまは無理です――。

 熱くて近づけないから。

 あとで、涼しい風が吹くと、

 気温が下がって、

 近づけるようになる。

 それまでまだ時間があるから、

 別の場所を見に行くとしましょう。


 まあ落ち着いて。

 そうかっかしなさんな。

 大丈夫。死にゃしませんって」


 小一時間ほどたってから、

 マタヨシたちは不喜処の上空に戻ってきた。


「熱い……。こんなに離れているのに、

 熱で体がひりひりする。

 さっきよりひどくなっているではないか!

 助けるというのは、嘘だったのか?」


「まだ少し時間が早かったから。

 じきに風が吹いて、涼しくなります」


「本当だろうな? それにしても、

 なんという酷い有様だ。

 やつはどこだ?」


「やつなら、ばらばらになって、

 その辺に転がっていますよ」


 そのとき、雲の先頭にいた牛頭が、

 プルートーに何か合図をした。


「突風が来ると言っています。

 しっかりつかまって、

 雲から落ちないように」


 突然、前方にある高い山から、

 冷たい風が激しく吹き下ろしてきた。


「くっ、なんという冷気だ。

 とても耐えていられない」


 プルートーが牛頭に言った。


「こら、もっと地上に近づけ!」


 マタヨシたちは地上に降りて

 冷気をやりすごした。


「熱気が静まった――。

 あの風はどこから吹いてきたのだ?」


「あそこに見える高い山から

 吹き下ろしてきたのですよ。

 それより、獄卒どもが

 死者の身体を復活させ始めた。

 ――おい、牛頭よ。

 さっき雲から落ちたやつを探して、

 ここに連れてこい」


 しばらくすると、牛頭が

 カワバタのからだを引きずってきた。


 マタヨシは、ホトケとともに、

 急いで彼のもとに駆け寄った。


「おい、大丈夫か……」


 呼びかけても返事がない。 


 カワバタの虚ろな眼は、

 ぼんやりと宙を見据えている。


「体は無事のようだが、

 口がきけなくなってしまっている!」


 プルートーは言った。


「相当な衝撃を受けたんでしょう。

 これでもう、彼のご高説を賜れなくなった」


「なんというやつだ! 

 身から出た錆とはいえ、この可哀そうな男は、

 口がきけなくなってしまった。

 信じた価値観がひっくり返って、見ることも

 しゃべることもできなくなってしまった!」


 プルートーは言った。


「口は災いの元というでしょう。

 少しはそっちの男を見習えばいいんです。

 やつはとんでもない勘ちがいをしていた。

 やつは生贄の上にたかる蟻だ。

 やつにはその自覚がないのだ。

 やつは神聖な地獄の責苦を、

 卑猥な絵でも観賞するように、

 下卑た視線を送って見た。

 やつはそれを見て楽しんでいた。

 憐れな人たちが逃げ惑うのを見て楽しんでいた。

 鬼が切り刻むのを見て楽しんでいた。

 そして、得意になって、意味のない戯言で、

 わたしたちを悩ましただけでなく、

 神聖な地獄の責苦を侮辱するような発言をした。

 万死に値することです――!

 一時間かそこらで引き上げてやったことは、

 感謝すべきことだと知りなさい」


 マタヨシは首を振って、


「もう何を言ってもだめだ。

 この男は、なにも聞けないし、

 なにも見ることができない。

 信じた価値観がひっくり返った。

 この男は、おのれの犯した罪と、

 来るであろう責苦を前に、

 いまはただ怯えている――」


 マタヨシは、

 プルートーが呟くのを聞いた。


「おまえたちが考えていることは解せぬ。

 理解しようと努めてはみたが、

 結局は無駄な骨折りだった。


 これまでわたしは、世界を股にかけ、

 さまざまな民族を見てきてが、

 おまえたちほど、節操のない民族を

 わたしは知らない。


 それは、おまえたち民族が、

 真・善・美の区別を知らぬからで、

 おまえたちの頭の中では、

 この三つの宝が、まぜこぜになり、

 ひどい混乱をきたしているのだ。


 世界の真実は、美しいものばかりとはかぎらぬ。

 まずは自分が見たいと思っているものだけを

 ひたすら見続ける習慣を改めることだ。


 善い行いは、美談とは限らず、

 悲劇の真相は、人間の悪を露呈する。

 そこにはつねに、蠅や蟻がたかり、

 醜い蛆虫が這いまわっていることを知れ。


 このことをしかと見ずして、

 おまえたちは何を見ているのか!」

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