十四、餓鬼の砂漠

 翌朝、マタヨシは荒地に向けて発った。


 町のはずれまで来たとき、

 カワバタが追いかけてきて、

 彼に水筒を手渡した。


「沢で汲んできた水です。

 わたしとホトケからの

 気持ちだと思って、

 お受け取りになってください」


 マタヨシは礼を言って、カワバタと

 抱き合って別れた。


 荒地をしばらく行くと、

 マタヨシは追跡者の襲撃を受けた。


 マタヨシは追跡者と激しく組み合った。

 長い格闘の末に、マタヨシは

 相手を打ち倒した!

 

 息が切れたので、マタヨシは

 水筒の水を一口飲んだ。


「うまい! なんて味の良い水だろう。

 この水を飲むと、

 生き返ったような心地がする」

 

 それから、マタヨシは

 砂漠を黙々と歩き続けた。


 ――砂漠に入って、七日目のことである。


 マタヨシは、地の上を這う

 一匹の餓鬼に遭遇した。


 その者は、焼けた砂の上に

 這いつくばり、

 砂漠をじりじりと進んで行く。

 肌は黒く焦げ、服はぼろぼろだ。

 灼熱の光線に

 全身をじりじりと焼かれ、

 炭となりつつあるかのようで、

 痛ましく無残である。


「手を貸そうか」と言うと、餓鬼は、


「かまうな」と言った。


「あなたはここで何をしているのか?」


 マタヨシが聞くと、餓鬼は、


「おまえこそ何をしているのか。

 ここは人間の来る所ではない。

 引き返せ――。

 おれのことはかまうな」


 ――マタヨシは思った。


『可哀そうだが見捨てていくしかない。

 彼もそれを望んでいる。


 おれの手元には

 仲間がくれた水があるが、

 おれがそれを分けてやろうとしても、

 彼はそれを飲むことをよしとしまい。

 水を分けてもらうなど、

 彼には屈辱的なことだからだ。


 たとえおれがこの先、井戸を見つけて、

 彼に水を汲んできてやったとしても、

 彼はそれを喜ぶまい。

 彼はそれを自分で

 見つけなければならぬ。

 そのために、彼はああして、

 がんばっているのだから……』


 マタヨシは、心を鬼にして、

 餓鬼を見捨てて行った。

 

 (マタヨシはこのように歌った。)


  彼は自分の運命を、他の何か、

  他の誰かの手に委ねることを

  拒絶したのか?

  粛々と罰を受けることをよしとせず、

  魂の荒野を延々と彷徨さまよっているのか?


  ここにあるのは、無だ。

  この絶対的孤独――。


  地獄に向かうトロッコから、

  彼は身を投げた。

  彼は亡命した。

  彼はひとりぼっちだ。

  敵も味方もいない。

  敵もまた、ある意味では、

  運命を共にした仲間である。

  地獄の鬼ですら、この世界の友だ。

  拷問による責苦は、

  人を孤独にはしない。


  おれは罰を受けることを望むか? 

  それとも彼のように、

  荒れ野を永久に

  彷徨い続けることを良しとするか?

  おれは決めることができるか?

  決心が鈍っているうちは、

  地獄に行かなくて済むのだとすれば。


 マタヨシは、餓鬼のことが心配で、

 何度も後ろを振り返った。


「どうすれば、あの憐れな餓鬼を

 救うことができるだろうか――?」


 そのとき、誰かがマタヨシの心に

 語りかけてきた。


『くよくよ悩んでないで、

 さっさとお行きなさい。

 

 手を差し伸べるなど、

 残酷な思い上がりです。

 ひどく惨めで、

 独りよがりなことです。

 なによりそれは、

 絶望的なことです。


 荒地では、助けられる者などいません。

 自分を頼りにする者だけが、

 助かることができるのです。

 人を助けることができるなど、

 幻想にすぎません。

 人間は、神ではないのですから』


 声の主は続けて言った。


『そもそも見ず知らずの者に、

 善いことをしても、

 あなたには良いことなんて

 ひとつもありませんよ?

 

 世の人たちは、善いことをすれば

 気持ちがいいだなんて言いますが、

 とんでもないことです――! 


 善行なんて、やればやっただけ、

 胸糞の悪くなるものです。

 人間は生まれつき、見返りを

 期待する生き物ですからね?

 人間だけじゃない、

 動物はみんなそうです。

 動物はみなそうやって

 生き残ってきた、

 種族の末裔なのですから』


 マタヨシは答えて言った。


「苦しいときには、

 助け合わなければならぬ」


 声の主は言った。


『助け合い――? あなたは

 彼に水をわけてやれます。

 しかし、彼は、あなたに

 何をしてくれるでしょうか?


 ありがとう、という言葉だけで、

 やっていくことはできないんですよ?


 義理も何もない見ず知らずの者に

 親切にするなんておやめなさい。

 聖書にもあるでしょう――? 

 有名な『ヨセフの物語』で、

 穀物の対価として支払ったはずの

 銀が自分たちの袋から出てきたとき、

 彼らは恐れおののいた。

 そして、相手が自分たちを

 殺しに来るだろうと怯えたのです。


 善行とは、恐ろしいものです。

 義理も何もない他人から

 親切にされたら、あなたはまず、

 敵意を感じ取りなさい。

 敢えてそういうことをするからには、

 しかるべき理由があると思いなさい。

 あなたに与えたものと同じものを、

 彼らは後でとりにくると思いなさい。

 彼らはあなたに施した以上の利益を、

 あなたに見込んで、

 そうしたのだと思いなさい。


 善意など、存在するはずがないと知りなさい。

 善行など、行われるはずがないと知りなさい。


 そうすれば、あなたは救われます。

 あなたは生き永らえて、

 多くの子孫を残し、あなたの一族は、

 繁栄を享受できるでしょう』


   (十五に続く。)

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