三、死 神

 マタヨシはまったくの暗闇に置かれた。

 そこがどこなのか、どうすればそこから出られるのか、

 彼にはてんで見当が付かなった。


 彼は絶望して叫んだ。


「ああ、これは悪い夢だ!!」


 すると、暗黒の淵から、彼に答える声があった。


『いや、これは夢ではない』


「いや、これは夢だ。

 夢にちがいない。

 おれは死んだ。若くして死んだ。

 未練を残して死んだ!」


『ああ、そうだ。

 おまえは死んだ。若くして死んだ。

 おまえは未練を残して死んだ。

 しかし、これは現実だ。

 おまえは眠って、

 夢を見ているのではない』


「おお、暗黒の淵から、わたしに答える神よ! 

 どうか教えて下さい。この闇夜は、

 わたしにとって、永遠に続くのですか?」


『この闇夜は、おまえにとって、

 永遠に続くだろう』


「おお、畏怖すべき異教の神よ! 

 わたしは途方に暮れています。

 ここには何もありません。一切が無です! 

 どうかわたしを、どこか他所に

 連れて行って下さい」


『マタヨシよ、一体どうしたというのだ? 

 この漆黒の闇が、おまえには見えないのか? 

 ここにはすべてがあるぞ?』


「いいえ、何もありません……。

 ここにあるのは、まったくの無です!」


『いや、ここには無がある。

 すべてを飲み込む無がある。

 すべてを創り出した無がある。

 ここにはおまえのすべてがあるのだ』


「いいえ、ここには何もありません。

 目の前にあるのは、まったくの無です!!」


『聞け、マタヨシよ。

 ここには何もないとおまえは言うが、

 それはおまえの心が空っぽだからだ。

 おまえの喉が乾かないのは、

 おまえが飲み物を欲していないからだ。


 おまえがもし一滴の水にあこがれ、

 うろつき、探し求めるならば、

 おまえの喉はたちまちのうちに焼けつき、

 地獄の苦しみを味わうだろう。

 おまえの目の前には、澄んだ水を湛えた、

 美しい湖が、遠くにかすんで見えてくる。

 それは幻であって、近づいたと思ったら離れ、

 離れたと思ったら近づく。


 おまえの渇望を刺激しつづける幻が、

 おまえを永遠の地獄へと連れ去るだろう。

 有るものへの渇望が、無を地獄へと変えるのだ』


「おお、神よ、どうか見捨てないでください。

 わたしはどうすればよいでしょうか……」


『よく聞け、マタヨシよ。

 おまえは何も欲してはならぬ。

 他人の持ち物になど憧れるな。

 おまえの思うがままに、

 一切を無から創造せよ。

 しかるに、無は欠如ではない。

 

 おまえ自ら創ったものは、

 永遠におまえを裏切らない。

 ここにおまえの家をつくれ。

 おまえの女をつくれ。

 そして、子供をつくり、増えよ。


 おまえには、わからないのか? 

 ここには永遠の無が有る。

 おまえのすべてがここに有るのだ』


 マタヨシは異教の神の言に従った。


 彼はそこに、屋敷を作った。

 それから、使用人を作った。

 畑と家畜を作り、雲と雨を作った。

 そして、最後に、昼と夜を作った。

 しかし、女は作らなかった。

 

 マタヨシはそこに三年住んだ。


 そのあいだ、彼は辛抱強く待った。

 彼のもとを訪ねてくる者はないか?

 彼に便りを寄こしてくる者はないか?

 彼は心待ちにしていた。


 しかし、誰も訪ねてくる者はなかったし、

 手紙を寄こしてくる者もなかった。


 あるとき彼は決断した。

「そろそろ立って行かなければならない」


 彼は立って、後始末をつけた。

 家畜を屠り、使用人をすべて殺した。

 そして、屋敷を焼き払った。

 彼の作ったすべてが、灰も残さず焼けた。

 あとには空しさだけが残った。


 マタヨシは神に呼びかけて言った。


「畏怖すべき異教の神よ。

 わたしはこの辺獄を発ちます。

 わたしは裁きを受けに行きます。

 わき道にそれたのが、

 そもそものまちがいでした。

 そろそろ本道に帰らなければ」


 神は答えて言った。


『待て。おまえはここからは出られん。

 おまえが道を求めれば、道は逃げていく。

 ここはそういうところなのだ』


「ああ、神よ! お力添えをください。

 わたしは行かなければなりません」


『待て、マタヨシよ。

 聞くが、おまえは本当に行きたいのか? 

 ここにはおまえのすべてがあるのだぞ? 

 おまえは何を求めて行く?  

 わざわざ苦を求めて行くことはない。

 余の元にあれば、おまえは一生気ままに、

 安楽に暮らせるのだぞ?』


「わたしはそれでも行きます。

 いかなる苦難が待ち受けようとも、

 わたしは自分の足で立って、

 行かなければならないのです!」


『――わかった。

 おまえの気の済むようにしろ。

 行け。立って行け。

 不屈の男よ。ここに道がある。

 おまえはただがむしゃらに

 歩を進めるだけでよい。

 さすれば、おまえはおのずから、

 そのところに導かれるであろう』


「感謝します、神よ」


 マタヨシは深々とお辞儀をして去った。

 あとには、永遠の闇が残った。


 マタヨシが去ると、異教の神プルートーは、

 暗黒の淵から姿を現して言った。


「あの小僧――。

 人間にしては、中々手ごわい。

 ここを地獄と見破ったのは、洞察か?

 それとも、ただの勘というやつか?


 あの男には興味が湧いたぞ。

 閻魔のおやじに引き合わせる前に、

 人間どもの流した血の池の前で、

 その鼻面を引きまわしてやる。


 さすれば、いかな不屈の男といえども、

 慄き、取り乱して、わが前に平伏し、

 わが慈悲を請うであろう」

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