37 夢の解釈(8)「屋台の夢」

前略

 今朝の夢は、厳密な意味では明晰夢ではなかったが、通常の夢のスケールを大きく逸脱するものだったがゆえに、特筆に値する。詳しい分析は後に回すが、この夢にはぼくのこれまでの明晰夢の経験とそこから得た洞察が強く影響している可能性がある。

 夢の中で、ぼくは街頭に立っていた。連れはいなかったように思う。ぼくは交差点で信号待ちをしていた。そこは、歩行者と車両の通行が分離された、いわゆるスクランブル交差点だった。

 やがて、信号が青に変わり、大勢の歩行者が道路を渡り始めた。自分がどこに向かおうとしているのか不明だったが、ぼくもつられて歩み出していた。ふと、交差点の中央に、ラーメンの屋台が立っているのを見つけた。ちょうどお腹もすいていたので、ぼくは屋台に入ってラーメンを食べることにした。

 ぼくは席に着いて、梁のところにあるメニューを見た。ぼろっちい屋台なのに、ラーメンが一杯千円もした。チャーシューメンはなんとその倍の二千円だった。薄っぺらいチャーシューがのるだけで千円増しだなんて、どれだけぼったくるつもりかと、ぼくはあきれた。ぼくは腹ペコで、本当はチャーシューメンが食べたかったのだけれど、あまりに高かったので、ふつうのラーメンでいいかと思った。

 ぼくは屋台の主人に向かって「ラーメンひとつ」と声をかけた。しかし、主人はそっぽを向いたままで、ぼくの声が聞こえなかったらしい。今度はもう少し声を張り上げてみた。やはり聞こえていない。いや、聞こえていないはずがなかった。本当は聞こえているが、聞こえないふりをしているのだとぼくは思った。

 屋台の主人は、もみあげに白髪の混じった中年の男で、一見したところ人が良さそうな人物に見えるが、その実、たいへん狡猾で、欲深い人物であった。これは、印象や経験知ではなく、インスピレーションである。屋台の主人は、隅っこの席に座っていた若い女性客(いつからそこにいたのかは知らないが)に、しきりにちょっかいを出していた。この助平男は、客の注文を無視して、女性客を口説こうとしていたのである。

 ぼくは頭に血がのぼって、「聞こえないのか、このハゲ!」と怒鳴った。すると、さすがの助平男も若い女性との話を中断して、さも迷惑そうな顔でぼくを見て、さも迷惑げな口調で、

「お兄さん、うちは女性限定の店ですよ? 看板にちゃんとそう書いてあるでしょ。日本語が読めないんですか?」

 まさかと思って、外に出て看板を確認してみると、たしかに「女性限定」と書かれている。先ほどは目につかなかったが、ばかでかい文字で、確かにそう書かれていた。

 ぼくは屋台の中に引き返して、大声で店主を怒鳴りつけた。

「こんな人通りの多い場所で、そんなばかな話があるか!」

 すると、男は人を見下した様子でため息をついて、例の女性客に向かって、

「まったく最近の若いやつには、困ったものですよ。お嬢さん、変な邪魔が入ったし、今日のところは、おいらのおごりにしとくよ」

 中年男は、年甲斐もなく、下心丸出しのにやけ面で、女性客にそう言った。それを聞いた女性のほうも、儲けたと言わんばかりに、男に同調した様子で、まるで変質者でも見るような侮蔑交じりの視線をぼくに投げてよこした。

 それを目にした瞬間、ぼくはいよいよ激昂して、とっさに女性の左腕をつかんだ。ぼくは女を羽交い絞めにした。

 このとき、ぼくの怒りがどうして男ではなく、女のほうに向かったのか。察するに、ぼくは、女性のほうにも怒りを感じていたし、男が口説き落とそうとしている女を力ずくで自分のものにすることで、二人の人間に同時に復讐を遂げようと考えたのであろう。

 だが、女はぼくの腕をふりほどき、その場から逃げ去ってしまった。

 ここからはもう、ただの衝動的な行動にすぎなかった。ぼくが屋台を飛び出すと、そこはもう、もといたスクランブル交差点ではなく、大勢の人が行きかう街路であった。ぼくは人ごみの中に美しい女性を見分けると、その女性に襲いかかった。ぼくは多くの人が見ている前で、女性を道路に押し倒し、衣服を剥ごうとした。シャツのボタンを力任せに開き、ブラジャーに手をかけ、女性の乳房が露出しようとしたとき、ハッと目が覚めた。心拍数があがったことで、睡眠が解除されたらしい。

 さて、夢の分析に移るが、これまでの手紙では、それが夢だと気づいている夢を「明晰夢」と呼んできた。言い換えれば、明晰夢は、自分はいま夢を見ているという自覚が伴われたかぎりでの夢と定義することができる。その意味では、確かに、今朝の夢は明晰夢ではなかった。しかし、今朝の夢の中でのぼくは、それが夢だと漠然と気づいていたようにも思われるのである。もっとも、その気づきは、認知と呼べるほど明晰に意識にのぼっていたわけではない。「不完全な明晰夢」という言い方は矛盾したように聞こえるが、今朝の夢の内容を解釈してそのように呼ぶことは、それほど的外れではあるまい。

 ぼくが今朝の夢をそう呼びたくなる理由は、夢だという漠然とした気づきが、その夢の中でのぼくの行動にとって構成的であったように思われるからである。もっとわかりやすく言うと、今朝の夢の中でのぼくのアブノーマルな行動は、その気づきを前提しなければ説明のつかない性質のものであったと思われてならないのである。

 この分析を、言い訳がましい自己弁護と取り違えないでいただきたい。きみは内心こう思っているかもしれない。『本当のところ、ぼくという人間は、自分が思っているよりもひどい人間であるにちがいない。ぼくは自分がどんな人格をしているのか自覚していないだけなのだ。』あるいは、『かの鬼畜な所業は、脳の深い領域にしまいこまれていた野獣の本能が夢の中で目を覚ました結果であり、幸いにもぼくは、これまでの人生で、そうした経験にたまたま出くわさなかっただけなのである。ヒューマニストきどりのぼくは、人間の本性にそうしたものが横たわっていることを認めたくないだけなのだ』と。むろん、本能的欲求がからんでいることは否定しがたいし、ぼくが本当は大悪人である可能性もゼロではあるまい。が、ぼくはそもそも夢の中での行動を弁護したり、正当化したりすることには、一切興味がないし、意味があることだとも思っていない。それにぼくは、かの夢が不完全な明晰夢であると主張しているのであり、意識の関わりを弱めるどころか、むしろ強めようとしているのであるから、言い訳がましい自己弁護という非難は、まったくもって的外れであると言えよう。

 ぼくが主張しているのは、夢の中でぼくはそれが夢だと暗に気づいていたということだけであり、そうでなければあのような行動をぼくはたとえ夢の中であれとらなかったであろうということなのである。

 ぼくの考えは以上であるが、きみの意見も聞きたい。公正なる判定者として、きみにはぼくの考えが正しいかどうか判定する責務があるのである。きみのお返事を心待ちにしている。   草々

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