35 夢のコントロールの探求(15)

 人生では、あらゆる希望は裏切られ、計画は次々に破綻していき、まちがいに気づいたときには取り返しがつかなくなっている、それが世の常である。これは厭世哲学者ショーペンハウアーの言葉だが、確かに人生とはそういうものかもしれないと、思いたくなる時が多々あるものだ。そういうときには、人生は無目的だという考えに人は強力に傾く。しかし、そう言い切ることは、そうでないと言い切るのと同じく、無根拠で、意味のないことである。ぼくはそう思いたい。

 仏教では人生を無常だと言うが、すべてのものが無常なのだとしたら、無常という考えもまた、無常であることになりそうである。根本法則とは、概して、自分自身に対して向かった時には、矛盾をはらむものだ。仏教者もまた絶対確実なものがあると信じていなければ、すべてのものが無常だと主張できないだろう。無常とは、それ自体、不変なる法則だからである。ぼくは仏教者ではないが、中道の精神に則り、世の中には、変わるものもあれば、変わらないものもあると信じる。例えば、人権は、歴史的に生じてきた考えではあるけれども、永遠の真理である。ひとたび確立されたら、その瞬間から永遠に妥当するようなものもあると考えなければ、世の中は混沌としてしまうだろう。真理とはそういうものなのではないか。

 いきなり妙な話をして面食らわせたとしたら、たいへん申し訳ない。明晰夢の探求が行きづまってから、なぜか、形而上学的な問題に心を惹かれるようになった。ただそれだけのことだ。昨日は、ひどくつまらない作業に明け暮れながら、「変貌」とは何か、ずっと考えていた。きみの興味を引く話かどうかは不明だが、きっかけとなったのは夢の話だし、思い切って書いてみることにしよう。

 夢の世界の対象がひどく不安定な状態にあることは、きみにも納得されよう。夢の世界は、現実の世界よりもはるかに「無常」である。ちょっと目を離したすきに、物がなくなっていたり、別の物が生じていたりするのは、夢の世界ではよくあることである。夢の対象には、なんだかよくわからないものもある。それが何か、しっかり見きわめようとすると、ぼくの脳は、それなりの回答を寄こしてくれる。しばしば珍回答を。それはぼくを驚かせたり、呆れさせたりする。

 おはぎだと思っていたものが、カブトムシだったということもある。いや、確かにおはぎだったのかもしれない。ぼくはそれをおはぎだと思っていたからである。ぼくがそのように思っているということ以外に、その対象を規定する要因が他にあるとは思えない。ある時点までは確かにおはぎだったのである。おはぎが途中からカブトムシになったのである。実際にはありえないことだが、たぶん夢の世界ではそうなのである。もしおはぎだと思っている時点で夢から覚めたとしたら、どうだろうか。それは実はカブトムシだったかもしれないと疑うのは、ばかげている。夢の対象には、実体がないからである。現実でも似たようなことが言える。例えば、温厚だと思っていた人物を、凶暴だと認識しなおさなければならない事実にぶつかったとき、きみはどう思うか。もともと凶暴な人物だったのだと判断するだろうか。しかし、真実には、最初は本当に温厚だったのかもしれない。何らかの原因で、途中から凶暴な人物に変貌したのかもしれないのだ。

 もともとそうだったのなら、変貌とは言われない。もともとそうだったのか、それとも変貌したのか。このふたつは、しばしば混同されるが、ぜんぜんちがう判断である。実はカブトムシであったのと、途中からカブトムシになるのとは、まったくちがう。おはぎはカブトムシではないからである。おはぎは実はカブトムシであるという命題は、到底受け入れられない。両立不可能な性質(おはぎとカブトムシ、温厚と凶暴)を同一物に帰属させることはできない。同時にはできないし、異なる時点でもできない。なぜなら、本質的な性質が変われば、もはや同一物ではないからである。もちろん、見かけは温厚だが、実は凶暴な人物だということはありうる。しかし、本質的な性質とは、「実は」という言葉が指し示すところのものである。だから、もともと凶暴な人物だったというだけの話だ。

 変貌とは生まれ変わることである。幸い、夢の世界では、もともとどうだったかを考えることには、まったく意味がない。因果律から自由な世界では、そのときどきで確認された事実が存在するだけだからである。明けの明星は、宵の明星ではない。どういう原因でおはぎがカブトムシになるのかは、まったく重要ではないし、考える意味もない。ガラスだと思っていたものが、実はダイヤであったら、ラッキーだろう。ガラスがダイヤに変貌したら、もっとラッキーである。夢の世界は、錬金術の可能性を秘めている。ぼくはこの可能性を、幸運と不運の手にゆだねているのはもったいないと思う。それを自分の意志でコントロールできなければならない。しかし、いまのところ、そのような手立ては見つかっていない。

 ひどくわけがわからないうえに、解決の見通しが立たない話をしてしまって、たいへん申し訳ない。他力本願な望みだが、きみになにか妙案が浮かばないだろうかとぼくは期待している。それでは、お体にお気をつけて。

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