23 夢の解釈(3)決断状況

前略

 ぼくが前の手紙で書いたことは、あくまで通常の夢の話であって、きみが言うように、明晰夢ともなれば、夢の中の自分の行動にある意味で「責任」を持たなければならないであろう。なぜなら、明晰夢においては、自分の意志で決断したり、行動の目標を立てたりすることが前提となるからである。自分で意図して犯罪的な行動をとったのならば、明らかにその罪は重い。無意識にやったことだという言い逃れはもはや通用しないからである。

 ただし、明晰夢においても、次のような問いが成り立つ。何らかの特定の行動(例えば、犯罪的な行動)へと誘惑するような状況が繰り返し夢に現れてくるならば、それをその人の無意識の願望とみなしてよいのか。もしみなしてよいとすれば、明晰夢において人は、無意識の願望と直接相対して、決断に迫られることになろう。

 この決断状況は、悪へと強く誘惑されるような現実の決断状況に似ている。だが、もちろんまったく同じではない。明晰夢の世界は、現実とは別の世界である。そこでは、法や道徳による規制が事実上無効化されるがゆえに、より悪への抵抗が難しくなる。いや、実際には不可能であるとすら言えよう。なぜなら、道徳を本当に無効化してしまったら、もはや善と悪をみわけるいかなる基準もなくなってしまうからである。

 ここに非常に厄介な問題がある。もし明晰夢において、現実の視点から見れば不道徳と思われる行いに走りがちであるとすれば、その人は本来的に悪への性向をもっているということになるのだろうか。言い換えれば、法や道徳に抗いたいという無意識の願望をもっていることになるのだろうか。

 率直に物事を考えようとする人ほど、「なる」という結論に傾きがちであるが、正直に言って、これはかなり疑わしい結論である。なぜなら、法や道徳を抜きにして語られる「人間」というものが、果たして人間と呼べる存在なのかどうか、ぼくには確信が持てないからである。ホッブズに共感を持つ人々ならば、そのような「人間」を、確信をもって人間と呼び続けるだろう。それどころか、そのようなあり方こそ、人間の本来の姿なのだと主張してはばからないかもしれない。現に、アメリカではかつて一部の社会生物学者がそのように主張して、哲学者や社会学者らと大論争を巻き起こしたことがあった。

 きみがこの問題にどのような態度で向き合うつもりかは知らない。だが、人間存在の根幹にかかわるこうした問題に確信をもって答える用意がなければ、明晰夢において「自分探し」をするという企ては、かなり危険である。結局のところ、明晰夢における決断状況が人間心理のいかなる局面を反映しているのかは、深すぎてよくわからない問題なのである。

 以上で述べたことをきみにもよく考えてもらいたいので、今日はこれで筆をおくことにしたい。それでは、よい夢見を。悪い夢がきみをそそのかして、まちがった結論に導きませんように。   草々

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