人ならざる悪

 大江戸の沖合、江戸湾の一角に大台場という人工島がある。

 天の民の居住区であり、彼等の技術によって作られた人工島だ。

 その大台場の中央部某所に、クサーフィという宇宙商人の邸宅がある。


 一見すればただの半球状でしかない彼の邸宅。

 しかし地下部分こそがその本領だ。

 そして地下の底は三階にある。

 この三階には、限られた人物しか足を踏み入れられない。

 この場所こそが、彼の『悪』たる部分だからである。


 他の階よりも深く構成されたこの場所では、常に女が嬌声を上げている。

 彼が買い上げた女が敷き詰められ、天の技術で調教されているのだ。


 今宵。クサーフィは嬌声を環境音楽として、一人の男を迎えていた。

 女が敷き詰められた『牧場』の上に橋がかかり、そのど真ん中に食卓があった。


「大江戸の女性にょしょうが奏でる声は、なんと趣深いものか……」


 クサーフィは笑みさえも浮かべて特製の酒をあおる。

 大江戸では天酒と呼ばれる、特殊な製法で作られた酒だ。


「う、うむ……」


 しかし招待した相手の反応は薄かった。

 譜代の藩主で、クサーフィの人身販売の得意先である。

 どうやら売った娘の末路を耳目にして、良心がとがめていると見える。


「食が進んでおりませぬな、藩主殿」

「あ、ああ……」


 クサーフィはそっと、探りを入れた。

 この程度で良心が疼くようでは、付き合いを程々にしておかねばならない。

 今宵は取り繕えても、どこかで必ずボロを出すからだ。

 引きつった笑みに、たどたどしい言葉。こういう男は、必ずそうなる。


 だからこそ、言葉のそこかしこを使って釘を刺す。


「ふむ……。私としましては、悪事を共有する楽しみをお伝えしたかっただけなのですが」

「い、いや! 楽しめぬ訳ではござらぬのだ!」


 すると遮りの声が入る。

 藩主は非礼をわびつつも、良心がとがめていることは否定した。


 また同じか。

 クサーフィの感想は、ほぼこの瞬間に決定した。

 しかし顔には出さず、優しく忠告するに留める。

 藩主への、彼なりの善意だった。


「貴方はお立場をよく考えたほうが良い。我々と貴方は一蓮托生なのですぞ? まさか、コトが発覚したら家老辺りにでも押し付けて逃げる腹づもりでありましたか? そのようなことをされますと、我々も困るのですよ」


 逃げ道を塞ぎ、絡め取る。

 共犯であることを刻み込む。

 目の前の男が、カタカタと震える。


 クサーフィは、右こめかみからの触手を伸ばした。

 撫でるようなしぐさで、動揺を鎮めんとする。


「さあ、酒肴を味わって下さい。酒はある星に住む絶世の美女。その涙を百年掛けてしたものです。肴はある星に住む最凶の種族を五年追い回して、最高の状態になるまでその血で漬けたものです。絶品ですよ?」


 笑みさえ向けて、クサーフィは藩主を誘う。

 クサーフィは理解している。

 この藩主は今、縛られている。


 クサーフィから目をそらせば、悪は見えない。

 だが藩主が自ら売り飛ばした女の末路、悪趣味の極みの『牧場』が目に入る。


 クサーフィは理解している。

 この藩主が、己の末路について考えを至らせていることを。

 クサーフィの機嫌一つで、断絶と切腹が近付いてしまうことを。


「……っ」


 藩主は震える手で盃を取り、天酒を喉に流し込んだ。

 クサーフィは、憎たらしいほどの笑顔で見つめていた。

 藩主は口元を震わせながら、酒を褒めた。


「確かに美味だ。ほのかな苦味が舌を刺激し、旨味を引き立てる」

「お褒め頂き恐悦至極」


 慇懃無礼と言われそうなほどの笑顔の裏で、クサーフィはほくそ笑んだ。

 この天酒も肉も、人の罪悪感に反応するタイプの代物である。

 悪漢なら美味に感じるが、善人には吐き出すほどにまずい。そういう食物だ。

 それでも仕上げとして、彼は涼しい顔で藩主の取皿に肉を盛る。


「ささ、こちらの肉もどうぞどうぞ。取りました故、是非に」

「く……」


 有無を言わせずに押し付けると、苦虫を噛み潰したような顔で口へ運んでいく。

 食べる。

 藩主の表情の歪みを。吐き出しかけた表情を。クサーフィは見逃さなかった。


「おやおや。どうされました?」


 白々しい。そう言われても否定できない表情で、クサーフィは藩主を気遣う。

 藩主は震えながらも喰らい、飲み込み、言葉を返した。


「……言葉を失うくらいの、味でございました」

「重畳」


 藩主の精一杯の言葉に、クサーフィは能面のような笑みで応えた。


 ***


 会食は半刻(約一時間)程で終わりを告げた。

 藩主は暇でも、クサーフィにそこまでの暇はない。

 商人にとって、一秒は万の金に値する。ましてや宇宙を駆けるなら。


「もしもし。ええ、備州公をお願いしますね」


 大台場が作り上げたホットラインを利用して、彼は幕閣との繋ぎを取った。

 備州公は幕府でも有数の地位にあり、人事関係をほぼ一手に握っている。

 藩主を『査定』に掛けるように言ったのは、備州公だった。


「もしもし。ええ、クサーフィです。彼の査定についてですが……不合格ですね。意志はあるようですが、心が弱い。罪悪感を殺せていない。酒も肉も、酷く不味そうに食べておりました。アレならむしろ、怒りをあらわにする方が頼もしいですな」


 クサーフィはどこまでも厳格だ。

 自身が手を伸ばすべき場所を探すだけなら、追従者でも構わない。

 だがそれでは、『面白くない』。

 備州公の返事に、彼は心からの笑みを浮かべて応じた。


「ええ、ええ。そうでした。貴方は『笑い、飲み、食らった』側でした。『怒り、酒を私に掛け、立ち去った』側の方もいましたね。今は北町奉行でしたっけ?」


 問答のさなか、クサーフィは何度もうなずいた。

 両の手を大げさに広げる。自然と声が大きくなった。


「そうですか。やはり彼は優秀な人間だ。清濁併せ呑む器量はなくとも、悪を憎み行動に移せる。それだけで十分人の上に立つ才覚がある! ……失礼。話がそれましたね」


 クサーフィは興奮を起こす寸前で己を律し、口調を戻す。

 再びいくつか言葉を交わした後、彼は結論を提示した。


「ともかく、です。あの藩主を無闇に出世させても、得はしません。どこかで良心と齟齬を起こし、破綻するでしょう。それよりも適度に搾って肥やしとし、いざとなれば尻尾切りにした方が彼も幸せかと」


 クサーフィの思考は、どこまでも善意である。

 酒と肉も、自身にとっては美味いものだ。

 幕閣への提言も、必要だからやっている。面白いからやっている。

 要するに、自分にとっての善意なのだ。


「はい。はい。ええ、また天の物品と女性を添えてお伺いいたします。例の件……『へいじ』の進捗も聞きたいところですので。はい。それでは……」


 ホットラインが切れ、クサーフィは一人佇む。

 女達の嬌声と、卓に置かれた残り物だけがそこにはあった。


「私とこの食物を分かち合える者は少ない」


 彼は空間に向けて口を開く。

 残り物をつまみ上げ、ぺろりと平らげた。

 その顔に、歪みは一切ない。笑みさえ浮かべていた。


「だからこうして探すのですが……。やはり『宵闇一座』が最適ですか」


 クサーフィは一つ、ため息を吐いた。

 しかしすぐに顔を上げ、次の言葉を紡ぐ。


「さそろそろ大江戸に次の武器を送り込みましょうか。私がより利益を得るために。この星でより楽しむために。大江戸の成長のために」


 では、一座の者に会いに行きましょうか。

 一つ言葉を残した男は、即座に会食の場を後にした。

 後には辱めを受ける女達の声だけが響いていた。


 宇宙商人・クサーフィ。

 大台場における合議制の一角に立ち、技術と商品を武器に幕府と連なる者。

 人身売買を行い、天の武器を大江戸に持ち込む死の商人である。

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