第一話 ハロー・ブライド!? 情熱の淑女アクアレーナ(3)

 ……これは、あくまで俺自身の問題だけどさ。


 相手が心強い女だっていうのなら、俺には逆に、男として負けたくないって気持ちが湧いてきてしまうんだ。


 人生生きてる内に、気が付いたらこういう男になってしまっていたから。


 だから――。


「……逃げられるかもって、なんでそう思うの?」


 さっきまでとは違って、冷静にそう尋ね返す事が俺には出来ていた。


「それは……」


 彼女はしおらしい表情のまま言い澱む。


 だけどこっちの考えを探るような、そんな眼差しをしてきているのは明らかだった。


 俺は、これ以上はもう何も聞かずに彼女を跳ね退けたって良い位の立場ではある。


 彼女のお尻の感触に、このままで居たいという邪念も起こり始めてはいるけれど。


 そういうのも全部含めて、見据えて。


 なんにせよ無為に慌てふためくような真似は、もうしない。


 本気で、自分の心を強く持つ。


 そうしたら、今度はアクアレーナの方が困ったような表情へと変わっていった。


「あ、あの……」


 きっと俺の気持ちの変化が、雰囲気にも現れていて……それを彼女は感じ取ったのかもしれなかった。


 でもそんな彼女も自分の事情を抱える身だ。


 だからやがて、意を決したように言葉を続けてきた。


「……私はこれまでにも、何人もの方に逃げられてきてしまいましたから……」


「ふぅん」


 ……いきなり重い話になったな。


 なんか判断に困る言葉まで出て来てるし。


 だけど、そこを気にするのはもう少し後だ。


「……とにかく、俺は逃げないよ。逃げても行く当てが無いからね」


 そう、現状一番大事なのはそこだもん。


 訳が分からないからと逃げたって、その果てに独りになったら、きっとまた俺は泣く……。


 俺のその言葉に、彼女は一転してハッとした表情になって……。


「――ご、ごめんなさいっ! すぐに退きますからっ!」


 そう言って、急いで立ち上がった。


 うん、そうだね。その場に於ける負けが決まったなら、素直に引き下がってみせる――それがイイ女の条件の一つさ。


 そればかりか彼女は、まだ倒れた姿勢のままの俺に――


「どうぞ手を、お取り下さいませ……」


 ――と、そっと手を差し伸べてもくれる。


 彼女の手を取って、俺もようやく立ち上がる事が出来た。


 その事にはちゃんと「ありがとう」と礼を言う。


 どんな経緯があれ、相手が示してくれた好意に対してはそうする。それが基本じゃあないか。


「そんな……突然押し倒すなどととんでもない無礼をしてしまって、本当にごめんなさい……」


 アクアレーナが謝罪の言葉と共に、深々と頭を下げる。


 どうやら自分の行動が突飛なものだった、という自覚は有ったみたいだね。


 逆に言えば、ここぞという時には思いを通す為に、突飛でもなんでも一念発起してみせる性格だって事でもあるけれど。


 ……教会側のざわつきは、そんなに酷くなってはいない。


 それでもあちらの結婚式に影響が出てしまうのは、俺としてはやっぱり嫌だ。


 この場はそうならないようにするのが先決、だな。


 そう思いながら、その元凶となり得るアクアレーナのウエディングドレス姿へと目を移す。


「……そのドレス、汚れてしまってるね。ここからは少し離れないか?」


 俺は彼女にそう提案する。


 ただ……俺はあくまで提案をしただけのつもりだったんだけど、けど彼女はドレスが汚れている事自体に今度は派手に驚き始めた。


「ああっ、私とした事が! これは貴方様の為のドレスだというのに……」


 そう言って自分のドレスを、特にスカートの裾辺りを入念に見遣ってる。


 一生懸命体を反らし後ろ側にも振り向いて汚れを確認したりしてて。


 裾広のスカートだから倒れた時に、そして俺の下腹部に座った時に、かなりの部分が地面に接してしまっていたんだ。


 その様子からは彼女自身の純真さを感じもしたけど、同時に正直凄く危なっかしい印象も受ける。


「ちょ、姿勢を崩してまた倒れたりとかしないよう気を付けて!」


 思わずそう声を掛けてしまった。


 こっちの調子が狂わされる事に若干イラっともしたけどさ。


 でもなんていうか、彼女には放っておけなさが有るってのも認めるよ。


 分かり易過ぎる彼女の立ち振る舞いに、教会の方では今度はクスクスと笑い声とか上がり出してて……。


 これはこれでまた違う意味で式の邪魔にはなってて、俺の心にはやっぱり辛さが来る。


「あっ!」


 彼女の姿勢が一瞬大きく傾いた。


「だから危ないって!」


 とっさに彼女の体を支えようと両手を差し出すけど――。


「こんな後ろの部分まで汚れが付いてるなんてっ!」


 ――彼女はそう言って自分でしっかりと姿勢を正してみせた。


「おわっと。……結構、バランス感覚が良いんだね」


 俺は一人で焦った事の気恥かしさを隠しながら、差し出した両手をそっと戻す。


「ああ……これは洗って落ちるのかしら?」


 しかし今度はなんか彼女の方が恥ずかしさから焦り出した。


 うーん、なんか調子が合わないなぁ。


 やはりというか当然というかドレスには汚れが付いてしまっていて、元が純白という性質上物凄く目立ってしまうんだ。


 ――もう。ほら、向こうで皆が憐れんだりしてきてるから。


 それはそれで周囲の目が痛いからさぁ。


 ……とにかく、彼女を可哀想な人扱いにさせない為にも早くここから離れないと。


「残念だけど、ここで言っていてもどうにもならないかなって思う。だから移動を――」


「ああっ、スカートの内側にも汚れが!」


 ――こんな状態で更にスカートを捲るな、馬鹿っ!


「ちょっと、他の人達が変な目で見てるからやめてくれ!」


「ああ、レン様は私を、周りの好奇の目から守って下さっているのですね!」


 喜ぶな! 俺は今キミを怒ってるんだぞっ!


「そうじゃない! ここでの主役は教会あそこの新郎新婦なんだから、その二人よりも目立つ真似をするなっていう事だ!」


「はっ、ごめんなさい! 私、レン様の他者をおもんばかる寛大な御心に感服しておりますわ!」


 いやだから! 怒ってるんだから、両手を組んでそんなキラキラした眼で見るなってばっ!


 なんか話が噛み合ってるのか噛み合ってないのか全然分からない。物凄く疲れる……。


「……とにかく場所を変えよう。キミの事情とかも、ちゃんと後で聞くから」


「本当ですか!? う、嬉しいっ!!」


 その言葉に遂に物凄い喜びに打ち震えるまでするアクアレーナ。


 薄々思ってたけどキミ、感情と表情の振れ幅大き過ぎるだろ……。


 そしてそのどれもが、全力で俺への距離を詰めてく事に直結してるらしい。


 正直ここでこんな約束をするのは気が引けるけど、今はもう一秒でも早く動ける方が有り難かった。


 勿論、今後の身の振り方は常に意識しておこうとは思ってるけど。


 俺にはまだ、この世界ゼルトユニアに対する知識とかが全く無い。


 そこは素直に認めて、アクアレーナからはその辺りも含めて情報をしっかりと聞き出しておかないと。


 少なくとも、俺がこの世界に来てしまった理由を彼女が知ってるのは間違い無いんだ。


 それを聞くまでは迂闊に彼女から離れる訳にもいかない。


「でしたら、私の屋敷にご招待致しますね!」


 アクアレーナは何かを思い至ったみたいな顔してから、満面の笑みを見せて提案してきた。


 俺をとことん自分から離さないようにしようって考えているのが明白過ぎる。


 けど……。


「……腰を落ち着けられるのなら、もうなんだって有り難いってそう思うよ」


 ニホンに居た時からのハード過ぎる展開と、そこから更に彼女とのごちゃついたやりとりのお陰で、俺の気力はもう既に大きく減少して限界に来ててさ。


 きっと、それ位疲れていたから……。


 だから明るい感じで俺を先導してくれてる彼女の事を、俺はもう素直に、可愛いかもしれないってそう思いながら見てたんだ。


「すぐ近くに馬車を待たせていますの。さあこちらへ!」


 だから花婿どうこうに関しての話以外は、寧ろ彼女にリードされるのを有り難い事として受け止めていた。


 ただ、その前にやる事がある――。


 俺は少しの間だけ、教会の方へと振り返った。


「……お幸せに」


 その一言を言う間だけ、新郎新婦の幸せな姿を真っ直ぐな気持ちで見届けて。


 言い終わったらもう、教会からは背中を向けてた。


 そしてその時に、シュウに渡せなかった婚約エンゲージ指輪リングを捨てた。


 ちょっと微笑んでたかもしれない。


 そんな風に出来たのは、もしかしたら……。


 あの時俺を心から信じ切って飛び込んできた、アクアレーナの悔しい位に奇麗なウエディングドレス姿を見た事で……強引に吹っ切れられたからかもしれないね。


 一番やってスッキリする事をやれたから、だからその切っ掛けになってくれた分だけは、アクアレーナには真摯でいようってそう思ったのさ。


 ――第一話 完――

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