第9話

 2日後、ついに作戦の決行日となった。これまでの間、『教団』からの干渉は無かった。私が痛めつけた魔神使いが見せしめになったのか、あるいはあの銀仮面が見逃すよう指示したのか……いずれにせよ、この二日は十分に休養することが出来た。私達は三度悪竜騎士団のアジトに集まり、念入りに武器と防具の手入れをし、装備の確認をする。魔法使いが多いだろうことを予想して、月光の魔符を数枚、懐に忍ばせておく。ラットは自身の所持するマテリアルカードの枚数を確認していた。

 そんな時、ガラニカがドン、と大きな音を立てて酒瓶を机の上に置いた。その音に驚いた鼠が緑色のマテリアルカードを数枚、床に落とす。


「ちょっとガラニカ、何してんのさ……ってお酒!?こんな時に!?」


「いや、これは……熱狂の酒か」


「おうよ、大事な戦いの前にはこれが無きゃな!」


 熱狂の酒は、飲むことで一日の間一度だけ、体力へのダメージを自身の体内のマナに肩代わりさせられるという代物だ。しかし死ぬ程強い酒で、2杯飲めばどんな大男でも昏倒する。というより薬品に近いモノなのか、優れた野伏レンジャーは複数回の服用にも耐えるらしい。


「喜べ鼠、予定より少し早いが良い酒が飲めるぞ」


「ホントに良い酒なの?なんだか黒くて怖いけど……」


 ガラニカがコップに注いだ酒を見て、鼠は少し萎縮している。まあ、体に良く無さそうな色なのは違いない。


「少なくともそこらの酒より余程値が張る。貰うぞガラニカ」


「おうよ、元々全員で飲むつもりだったしな」


 了解を得て、私は一杯分を飲み干す。喉が焼けるようだったが、味は良い。無理なく嚥下することが出来た。


「美味い、が、確かに二杯飲むのは御免被るな、丸一日酒気が抜けんだろう、これは」


 飲むのは始めてだったが、一気に全身が火照るような感覚があった。二杯目を飲むというのは拷問に近しい。


「そういう酒だからな、一日保たなきゃ効果が切れるかどうか不安で仕方なくなるだろ」


「ほ、ホントに大丈夫なのぉ?ホントにぃ?」


 私が頭を抱えているのを見て、鼠は更に後ずさっている。


「まあ、何事も経験だ、熱狂の酒は荒事をやるなら今後も飲むことがあるかもしれんぞ」


「う、うぐぅ、それのあるなしで死んじゃうこともあるかもしれないし、頑張るよ……」


 意を決したようで、鼠はコップを手に取り、ぐいと黒い液体を口の中に入れていく。少し零れた酒が、口の端に黒い筋を作った。なんとか飲み終わると、大きく息を吐く。酒の匂いが、閉じた空間に充満した。


「お、大人ってこんなのが良いのぉ……?」


 ゲンナリした様子で鼠が疑問を口にする。その様子は如何にも子供らしく、思わず口角が上がった。


「ほら、汚れているぞ、拭いてやる」


 ポケットからハンカチを取り出し、鼠の口を拭う。子供扱いされるのは嫌かと思ったが、酒の力だろうか、素直にされるがままになっていた。


「妹がいれば、こんな感じだったのかもしれないな」


「メディってきょうだいいないんだ?」


「ああ……いや、家を出た時は両親もまだ若かったから、知らない内に増えているかもしれないが」


「親がいるなら、ちゃんと連絡取らなきゃダメだよ?」


「!そう、だな……私は恵まれた環境を自分から捨てた、その時は不要なものだと思ったからだが、今思えば私は、こういった場所を作らないよう努力出来る立場だったはずなんだ」


この歳で探し屋をしているということは、鼠の親はもういないのだろう。それを特別可哀想に思うことはない(そういった同情は、相手からすれば傲慢に見えるかもしれないからだ)が、家族がいない者に対して無神経なことを言ったとは思う。酔いで忘れてくれれば良いが。


「なんだ、お前貴族か何かだったのか?」


「そんなところだ、家や血に縛られるのが嫌で飛び出した。良くある話と言えばそうだろう」


 正直もう、名家のご令嬢をしていた時の記憶より冒険者になった後の記憶の方が濃密だ。いやまあ、当時から怪しげな黒魔術をやっては母親に叱られ、父親に嘆かれていたから大して変わっていないかもしれないが。


「私の身の上話などしても面白くないだろう。鼠の酔いが落ち着いたら行くぞ」


「ま、今のお前には関係ないことだしな、それにそういう話を気兼ねなく出来る程仲良くなったわけでもねえやな」


 こういうガラニカのさっぱりとした性格はありがたかった。今ここにいる2人はお互いに相手の懐に入りすぎないところが付き合いやすくて良い。向こうもそう思ってくれていれば幸いだ。

 そうして私達は、ぼんやりとした鼠の目の焦点が合うようになるまで、少し待った。



***



 数十分後、私達は例の集会所を遠目から観察していた。なるほど、入っていく者達は身なりが良い。鼠が言っていたように、何も知らなければ会員制の秘密のクラブといった雰囲気だ。


「擬態の上手いことだ。よし、鼠、そろそろ良いんじゃないか?」


「うん、行ってくる」


「気をつけろよ」


 鼠が姿を消す。その耳には通話のピアスが着けられていた。これもガラニカが用意してくれたもので、私と鼠に貸してくれている。

 姿を消した鼠は、魔神使い達の後ろにこっそり付き、一緒に建物の中に入る。扉の閉められる音が通話のピアス越しに聞こえてきた。鼠の邪魔にならないよう、私は努めて物音を立てないよう息を殺す。

 やがて、音が一度落ち着く。次いで、指を擦り合わせる微かな音が聞こえてきた。中に何人いるか、ということを知らせる合図だ。1、2、3、4、5、6……少し遅れて、7。

 しばらくして、男の声が聞こえてきた。平坦で、世界から浮いた声……銀仮面!


「皆、今回も良く集まってくれた。先日、“紅蓮の魔女”の手により、同志の一人が来られなくなってしまったが……」


 ちっ、私達が来ることを知っていて、白々しく私の二つ名を口にするものだ。


「そして彼の魔女は今日、我々に戦いを仕掛けに来るだろう。皆、彼女に対向するために、強力な魔神を召喚することを勧める」


 銀仮面がそう締めくくると、おどろおどろしい呪文の詠唱が聞こえてきた。マズい、魔神を召喚されては、戦力差が開いてしまう。私は通話のピアスを切った。それ自体が鼠も動き出す合図ということになっている。

 私は集会所の扉にかけより、素早く開錠アンロックの魔法を発動させた。


真、第三階位の技。ヴェス・ザルド・ス・デラ。解放、解錠オブカ・ドルア――――――開錠ディルカロア


 ガチャリと鍵の開く音がする。即座にガラニカが扉を押し開け、中に突入した。

中では既に戦闘が始まっていた。鼠がスローイングスターを投擲し、2人の魔神使いの目を潰して行動不能にさせている。


「魔神使いはその魔法によって近接戦闘にも対処出来る、何もさせるな!」


 私は手近な魔神使いを斬りつける。半分程度はザコだ。これで既に3人は倒した。しかし残りの3人と奥で佇む銀仮面は違う、私はそのまま魔法を行使しようとレイピアで空中に文字を走らせる。


真、第六階位の攻ヴェス・ジスト・ル・バン。火炎、灼熱、爆裂フォレム・ハイヒルト・バズカ――――――火球フォーデルカ!」


 火球ファイアボールの魔法で、残った3人を焼く。一人には抵抗されたようだが、残りの二人にはそれなりの打撃を与えたはずだ。それを見て、ガラニカが素早く飛び出す。練技によって、筋力と防御力を強化したのが見て取れる。恐らくは視力めいちゅうりょくも同様だろう。

 魔力の籠もった拳打けんだが2発、純粋な蹴撃しゅうげきが2発。流れるように魔神使いの体に吸い込まれ、倒す。


「気をつけろ、来るぞ!」


 体勢を立て直した残り二人の魔神使い(私の魔法を抵抗した方だ)が自身の体を作り替えていく。口には牙が生え揃い、体は敏捷性に優れる。

 その牙がガラニカに襲い掛かる。


「ッチイ!」


 ガラニカの鱗の体でも、その牙を受けきることは出来ず、血が吹き出た。しかし致命傷にはなっていない。私は奥にいる銀仮面に視線をやる。魔神使い達が遮蔽になり、たまにちらりと見える程度だが、そのシルエットは動いていない。


「傍観というわけか!」


 あくまでも遊んでいるその態度に、私は思わず罵声を浴びせた。しかし銀仮面は黙して語らない。私の声はそよ風のように受け流される。


「チッ!まずはこいつらを処理する!」


 私は前へ踏みだし、ガラニカに噛みついている片方を斬りつける。頭を割るつもりだったが、素早く回避され、肩を深く斬りつけるのが精一杯だった。


「この野郎!」


 ガラニカがもう一人を殴りつけ、引きはがす。


「おお、我らが太陽よ、その暖かな恵みを以て、我が傷を癒したまえ!キュア・ハート!」


 ガラニカが神に祈ると、彼の傷は塞がり、流血も止まる。大丈夫だ、誰もまだ、大きく消耗はしていない。


「そーらこっちだよ間抜け!」


 鼠が挑発しながら、緑色のマテリアルカードとスローイングスターを投擲する。麻痺の霧パラライズミストが魔神使いを包み、刃が突き刺さる。痛みに耐えるうめき声が聞こえた。


「……頃合いか」


 突然、銀仮面がそう呟いた。次いで、得体の知れない呪文詠唱。召異魔法が、来る!


「身構えろ、ヤツの魔法が来る!」


 私の声に、鼠とガラニカが抵抗に集中しようと銀仮面を見据えた。呪文の詠唱が終わる、と同時に、私の懐の中にある月光の魔符全てが焼き切れる音がした。凄まじい魔力!

 重力が、反転する。そうだ、私は今、

 それがリバースグラビティという名の魔法だということに思い至る頃には、私は天井に叩きつけられていた。おおよそ10mの自由落下に等しい衝撃。常人なら即死しかねないが、長年冒険者として鍛えてきた私の生命力はそれに耐えきった。しかし、骨が数本折れた感覚はある。見れば、鼠とガラニカも抵抗に失敗しているようだった。しかし斥候スカウトの心得のある2人はギリギリで受け身を取り、ダメージを軽減しているようだった。

 ほんの数秒の落下による混乱から抜け出し、再び銀仮面を見据える。そうしていたせいで、足元に転がる死体に気付かなかった。先程まで交戦していた魔神使いだ。こいつ、味方ごと!


「なんてヤツだ……!」


 隣では、ガラニカが驚愕の声を漏らしていた。


「メディ、ガラニカ!次に何かされる前に……ッ!何、あの姿……!」


 少し後ろで、鼠が恐怖に染まった声を上げた。それもそのはず。銀仮面は両手に禍々しい大剣を握り、背に黒翼を生やし、その腰からは気味の悪い触手を生やしていた。


「まやかされるな!どれも魔法によるものだ、アイツ自身は化け物じゃない!」


 鼓舞するためそう言うが、あの領域の魔法が使える時点で、私達より圧倒的に格上であることが証明されている。しかし、怯えて逃げたところでどうしようもない。


「鼠、霧をヤツに!少しでも動きを鈍らせてくれ!」


「わ、わかった!じゃあ、とっておきを使う!」


 ラットの手から再び緑のカードが放たれる。とっておき、つまり高ランクのカードを使ったわけだろう。さしもの銀仮面も目に見えて体が固まっている。次いでスローイングスターが投擲され、腕に刺さるが、大したダメージにはなっていないように見えた。


「全力で倒すッ!」


 抵抗力が下がるのもお構い無しに、魔力を込めた一撃を全力で叩き込む。しかし、渾身の一撃は剣に防がれる。


「無茶するなメディ!ちっ、俺も飛ぶ!」


 ガラニカが翼を広げ飛翔する。リルドラケンは一日に1分程度の短時間だがその背の翼で飛行することが出来る。これで飛行しているという状況は五分。ガラニカもまた拳に魔力を込めて殴る。1発目は触手で弾かれたが、2発目は顔面にクリーンヒットした。よし、私達は格上相手にも戦えている!

 そうして希望が見えた時、


「お前だけは道連れにしてやる」


 平坦な声がして、銀仮面は空中で方向転換した。狙いは、私!


「くっ!」


 痛みで足が萎えて、回避がままならない。巨大な剣が、私の腹めがけて一直線に向かってくる。


「死ね」


 淡々とした声と共に、銀仮面の剣が、私の体を貫いた。


「メディィィィィッ!!!!」


 鼠の悲痛な叫びが、私がこの世で聞いた最後の音―――――いいや、いいや!


「まだだッ!仕留め切れていないぞ、銀仮面!」


 血を吐きながら、仮面の奥にある瞳を見つめる。それが驚愕に見開かれていることはわかった。

 今この瞬間私が生きているのは、自分でもぎ取った剣の加護/運命変転による奇跡自動成功だ。死にきる前に、こいつを殺し切る!

 剣を振ろうとしたその時、銀仮面の口が動いた、呪文の、詠唱……!

 直後、私の体に異界の理デモンズライブラの効果が現れる。術者の受けた傷を、対象にも共有する因果応報の術。これを食らえば、確実に死ぬ。だが、しかし!


「全く、本当に良い酒だったな!」


 熱狂の酒の効果を、ここで使わずにいつ使う!体内のマナの殆どを使い切り、その魔法も受けきった!これでこいつに攻め手は無い!

 私は全てを受けきられて呆然とする銀仮面の喉に剣を突き刺す。


「これで魔法は使えまい!」


 そしてそのまま、銀仮面の喉を掻き回すようにして魔法文明語を書き、血が絡まる喉で、最も慣れた魔法を詠唱する!


真、第五階位の攻。ヴェス・フィブ・ル・バン衝撃、炸裂ショルト・スラーパ――――――絶掌ダルラッド!!!!!」


 絶掌ブラスト。威力に優れる、近接専用の魔法。それによって、銀仮面を確かに仕留めた手応えがあった。仮面が吹き飛び、割れる。その光景を確認して、私は前のめりに倒れた。

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