乙女のたゆたう夜は月色

御子柴 流歌

乙女のたゆたう夜は月色



「アキラったら、こんなところにいたのね」


「ああ、ごめんよミツキ」


 聞き慣れたアルトの声に、大きな窓に面したカウンターテーブルに身体を預け、船からの眺めを楽しんでいたアキラが振り向く。

 少し呆れたような顔をした、アイボリーのロングスカート姿のミツキが、腕組みをしながらアキラに近づいて言った。


「なにも言わないで、知らない間にいなくなってるんだもの。探したわよ」


「だから、ごめんよ、って。でも仕方ないよ、これに誘われたらさ」


「どれ?」


「あれ」


 そう言ってアキラは上を指す。


 天井を見たから何だというのか、と一瞬だけ思ったが、すぐに思い直した。


 天窓のようになっているのには気がついていなかった。

 アキラの指差す方向を見たミツキは、少しの間だけ言葉を失った。


「すごいでしょ」


「……自分がスゴいみたいな言い回ししないでよ」


「ツレないなぁ」


 ミツキらしい反応に、アキラは少しだけ眉をハの字にして笑う。

 紛れもなく見慣れた表情だった。

 口にこそ出さない。

 そういう素直じゃないところも気に入っている部分だった。


「でも、綺麗ね。月」


「だよね。なにせ今日は『中秋の名月』だし。遮るものがなくてよかった」


 ふたりが見上げた先には、月が綺麗に光り輝いている。

 雲ひとつないところに浮かんでいる姿は、ふたりの心を奪うには充分すぎた。


「っていうことは、今日は満月だったのね」


「いいや? 満月は明日のはず」


「……え? 中秋の名月って満月じゃないの?」


「満月は名月に違いないけれど、名月は必ずしも満月とは限らないよ」


 そう言って、アキラは自慢げに笑う。


 また始まった。


 対するミツキはうっすらと苦笑いを浮かべた。


 また何かで調べたようなことを語り出すのだろう、その前触れにはよくこういう顔をする。

 紛れもなく見慣れた表情だった。


「暦の都合であるらしいよ。基本的には、中秋の名月を経て満月になる。で、今年はそのパターンに入っていて、微妙に満月になる日とずれているって話」


「ふうん」


「あれ。そんなに興味ない?」


「……ふつうかな」


「そう。……まぁ、この話はここまでだから、問題はないよ」


 そう言って微笑むアキラの頬は、月明かりに染まっている。

 照明を落とし気味にされている分、余計に柔らかい笑みに見えた。


「でも、なんだか粋だよね。『名月、必ずしも満月にあらず』って。完璧じゃないものでいい……、いや違うか。完璧なものもいいけれど、そうでないものも素晴らしいよってことかな」


 アキラは、ミツキを見つめながら言った。


「……何よ。何かご不満な点でも?」


「そうやって怒るってことは、自分は完璧じゃないって、そう思ってる?」


「それはそうでしょうよ。アキラだってそうじゃないの?」


「もちろんだよ。そう簡単に自分を完璧だ、なんて思えるわけがない」


 今度はアキラが苦笑いを浮かべる番だった。


「不満なんてあるわけないじゃない。むしろ、そういうところが、イイなぁ、って思うわけで」


「キザね、まったく」


「愛しいものを愛でるのに、理由は必要?」


「……まったくもう」


 しかし、さっきからアキラの動きが気になる。

 悟られないように気をつけながら、ミツキはアキラの身体で陰になっているところを伺った。


「あれ? 何よ、いつの間にお酒入れてたの?」


 身体で何かを自分の視線から隠すように動くので不審には思っていたが、やはりそういうことだった。

 アキラの陰には小さなグラスがあり、琥珀色の液体で満たされていた。


「バレたか」


「スコッチ?」


「バーボンにした」


「もう酔ってるのね?」


「……まぁ、お酒と月と、君に酔ってる」


「いい加減にしないと、怒るわよ?」


「ごめんごめん」


 観念したようにアキラはひとくち呷った。









「それにしても、どうしてわざわざ船にしたのかしらと思ってたけど、もしかしてこれが目的だったのかしら?」


「4割くらい、正解かな」


 アキラのグラスが空になったタイミングで、今度はふたり連れ立ってバーカウンターへ向かった。

 そんな顔を見せられたミツキも、いっしょに飲みたい気分になるのは仕方がなかった。


「こうして、月を眺められるからだよ」


 少しばかり酔いが回り始めているのか、アキラの言葉がゆっくりになっている。

 ふわりと落ちてくる月明かりにも似たような雰囲気だった。


「もちろん、お酒と君に酔いながら」


「さっきも同じこと言ってたわよ」


「大事なことだからね」


 窓の向こうを見ながら言うアキラに呆れながらも、ミツキはカシスオレンジを口に運んだ。

 いつもそういうことをとくに恥ずかしがることもなく言うアキラではあったが、今日はとくにその色が強く出ている。

 褒めてくれているような気はしているのだが、どうしてもそれを顔に出すと負けのような気がしてしまっていた。


「一瞬で着いちゃうのも、悪くは無いとは思うけどね」


「そっちの方が、時間が無駄にならないわよ」


「私は、この時間を無駄だなんて、思わないな」


 窓の外に向けていた視線をミツキへと向けた。


 先ほどまでとは違った、真剣な眼差しにミツキの心臓が跳ねる。


 それを知ってか知らずか。


 アキラはミツキへと身体を寄せて――。


 やさしく、口づけた。


「……もう」


「酔ったの?」


「……ばか」


 ミツキはそのままアキラの肩に身体を預けた。


「ほら、こんな感じで。月もお酒に酔ってるんじゃないかなぁ、なんて」


 アキラはグラスを窓の近くに寄せると、いたずらっぽく笑った。


 グラスを満たすお酒には、月が浮かんでいるように見えた、


「『月飼い』ね」


「そうだね。……ってことは、そっち側に行けば『地球飼い』になれるのかな」


 そうしている間にも、窓越しの目的地は次第に大きくなってきている。


 船は、間もなく月へと辿り着く。



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