第10話 アルバムを遡ると、そこには……

 怜史は、年齢に似合わず淑女の扱いに気を遣う性質たちで、一度として輝夜の部屋に足を踏み入れたことはなかった。入居当初、輝夜が不審に思ったポルターガイストの数々は、すべて彼女の寝室と浴室とトイレの外で行われていた。

 今夜も、彼は輝夜の寝室に入ることを遠慮したので、輝夜は戸棚から一冊のアルバムを持ち出すと、食堂兼リビングのテーブルの上でそれを開く。


「わぁ、ちっちゃいかぐやがいる、可愛いね!」

 怜史が指さしているのは、輝夜の七五三の記念写真だった。

 母に手をつないでもらい、買ってもらった千歳飴を自慢げに見せびらかす七歳の輝夜が、古ぼけた写真の中で満面の笑みを見せている。

「わーこれ、想像以上に恥ずかしいわ」

 アルコールでも入れなきゃやってられない、と、輝夜はグレープ味のチューハイをあおった。

「あ、この子どもたちは弟さんたち? 可愛いね、このとき何歳いくつだったの?」

「二歳ね。まんぞくにしゃべれるようになる前から、うるさいガキんちょどもだったわ。私のおもちゃも、いっぱい壊してくれたしね」

 三つ子の弟たちはよく輝夜に懐いた。そのため、輝夜の持つ人形やレースついたリボンやおままごとセットの野菜……などなどに興味を示し、いっしょに遊びたいという願望の表れだったのだろうが、よくそれらを勝手に拝借して、壊したりなくしたりしていた。そのたびに、輝夜の雷がおちたものである。母がおっとりした人物であるため、輝夜は幼いころから自分のものは自分で守らんとする、勇ましい戦士だったのだ。


 アルバムのページは進み、中学校の入学式の写真が出て来た。

 もう葉桜になりかけた貧相な桜の木の下で、両親と一緒にやや肩ひじを張って微笑む輝夜が写っている。同じページには、その日の夜に近くのレストランで撮影した家族の集合写真もあった。

「あ。この女の子が妹さんだね、目元が輝夜にそっくりだよ」

 五歳の時の奏だ。現在と同じショートボブの髪、その同時お気に入りだった黄色い花柄のワンピースを着て、ふてぶてしくカメラをにらんでいる。

「姉妹よく似てるって、よく言われるわ」

「お母さまより、どっちかっていうとお父さまに雰囲気が似ている気がするね」

「かーもね。立派な黒髪は、母親ゆずりなんだけどね」

 葉山家の兄弟たちは、全員やや硬い黒髪の持ち主である。輝夜も奏もそれを気に入っているのでヘアカラーはしておらず、長男はその必要を認めないので同じく。次男はその時々で赤色だったり金色だったりに染め、三男は美容師という職業上、流行りのヘアスタイルに似合いの柔らかい色合いにカラーリングしていた。

「かぐやの家族は、にぎやかでいいね」

 一番最近に家族全員で撮った、奏の誕生日パーティーの写真を手に、わずかにうらやましさのにじむ声で怜史は言った。


 訊いてもよいものか逡巡しゅんじゅんしたが、好きな人のことを知りたいという欲求が勝ち、輝夜も怜史の家族について尋ねてみた。

「えっと、答えられる範囲でいいんだけど……私も知りたいな、怜史くんの家族のこと」

 怜史はすぐには答えず、やわらかそうな真っ白の髪を白い指先で掻き上げた。その黒い瞳がどこを見ていたのか――おそらく空間を超越して、記憶を過去にさかのぼっていたのだろう、やがてぽつりぽつりと話し始めた。


 この家を建てたのは、篠崎という夫婦だった。それなりの資産家であった彼らは、事業が落ち着いたころ子どもを欲し、不妊治療と高齢出産を乗り越えて、ひとりの男児を設けた。

「それがボク。いずれ会社を継ぐ賢い子になるようにって、怜史っていう名前にしたらしい」

 待望の長男が生まれ篠崎家は歓喜にわいたが、怜史は病弱で、よく体調を崩し学校も休みがちになった。その理由が、先天性の免疫異常だと判明したころから、少しずつ家族の歯車が狂っていった。

「お父さまは仕事に熱中して家にいることが少なくなって、お母さまもあまりボクに構ってくれなくなった。待望のひとり息子だったから、ショックもひときわ大きかったんだったんだろうね……」

 おそらく夫婦は、息子を遠ざけることで現実から目を背けたのだろう。

 やがて日常生活もままならなくなった怜史は、大半を家の中の、自分の部屋だけで過ごすようになった。

「最初のころは家庭教師に来てもらったりしてたんだけど、発熱や体調不良が続いて、だんだん勉強できる時間も減っていった。窓からそとを眺めてぼーっとしたり、本を読んだりして過ごすことが多かったかな」

 何人かいた使用人も、気味悪がって、あまり怜史の部屋には近づこうとしなかったそうだ。


「そんな……病気の子どもをひとりで放っておくなんて」

「往診のお医者さんは来てくれたよ。でも、それでもどうにもならなかった」

 死の扉が自分にむかってゆっくり開くのを待ちながら日々を過ごしていた――怜史はおだやかに語る。そして、体ごと輝夜に向き直った。

「だからね、かぐや。ボクは今とても嬉しいんだ」

 輝夜と一緒に暮らすようになって、まるで幼い日のあたたかな家庭が蘇ったかのように感じていると、怜史は笑顔を見せた。


「怜史くん……」

 胸の裡から込み上げるものを抑えきれず、輝夜は両腕をめいっぱい伸ばし、上半身を傾けた。

 それを受け止めるように、怜史も両手を広げた。

 怜史の体温を感じさせない腕の中で、輝夜は泣いた。ひんやりと冷たいそこは、興奮した輝夜には居心地のいい場所だった。

 怜史が望むなら、やかましい弟たちをみんなあげる、なんなら家族みんなでここに住もう――輝夜は出来もしないこと喚いた。

 怜史は、黙ってやさしく、その体を包み込むように微動だにしなかった。

 

 やがて輝夜の涙の嵐が去ると、怜史は立ち上がってフェイスタオルを持ってきてくらた。

 みっともなく泣き叫んだ記憶も新しく、輝夜は恥ずかしさのあまり頬が火照るのを感じつつ「ありがとう」と言ってそれを受け取った。

 落ち着きを取り戻しつつある輝夜を、怜史は穏やかな黒い瞳で見つめ、

「ひとつ、お願いがあるんだ。きいてくれる?」

と尋ねた。

 輝夜は、一も二もなく頷いた。

 その反応に、怜史はわずかに苦笑したようだった。お願いごとの内容も聞かずに頷いたのだから、当然と言えばそうかもしれない。

「じゃあ、六月十日。ボクの誕生日に、お願い事をするね」

 くすん、と鼻をすすりあげながら、輝夜は尋ねた。

「それまでに、準備しておかなくていいの?」

「いいんだ。ボクのほうこそ、ちょっとだけ準備が必要になるから……」

 怜史は手を伸ばし、いつも輝夜が怜史にするように、輝夜の髪をいい子いい子と撫でる仕草をした。

「ありがとう、かぐや。紅茶を淹れてあげるね。いっしょにティータイムしよう?」

 怜史の思いやりにあふれた提案に、輝夜は涙を振り払って頷いたのだった。

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