第7話 ふたり暮らし

 そうして一ヶ月がすぎ、新緑が目にまぶしい季節がやってきた。


「すごい! 黄身を傷つけずに卵を割れるようになったね」

「うん。えへへ」

 フライパンの上では、きれいなまんまるの目玉焼きがジュージューと食欲そそる音を立てている。怜史は慣れてきた手つきで、塩コショウを振った。

 半熟に焼けた目玉焼きをフライパンから白いお皿に移すと、今度はベーコンを焼く。香ばしい匂いが立ち込め、輝夜のお腹がぐうと鳴った。

 怜史がくすっと笑って、「ここはボクがやっておくから、顔を洗っておいでよ」と優しく言う。

 輝夜が洗顔を済ませて戻ると、テーブルの上には、ベーコンエッグ、ハニートースト、野菜サラダがきれいに並べられていた。

 美味しい? と聞かれた輝夜は、もったいをつけて、

「うむ。努力による進歩が顕著ですね」

 と答え、怜史を笑わせた。


「怜史くんって素直だから、教えたことをどんどん吸収してくよね。まったく、うちの三バカにも見習わせたいわぁ」

 思わず輝夜がぼやくと、

「それって、弟さんたちのこと?」

 と、目玉焼きにフォークを突き刺しながら怜史が尋ねる。

「そうそう。長男は脳筋だし、次男は音楽バカだし、三男はマイペースだし。家事を手伝うのなんてひとりもいなかったんだから。戦力になったのは、妹だけね」

 そこで、輝夜は怜史に伝え忘れていたことを思い出した。

「そうだ! ごめんだけど、明後日は仕事終わったら実家に泊まるね。こっちには戻らないから」

 怜史は驚いた顔をして、フォークを置いた。

「ボク、なにかいけないことした……?」

 輝夜は苦笑して手を振った。

「違う違う。妹の、かなでの誕生日パーティがあるのよ」

 葉山家では、誕生日は一家全員そろって祝うのがしきたりだ。

 怜史はしょんぼり食パンをかじった。

「家族がいるって、いいね。じゃあボク、いい子でお留守番してるね」

 そういえば、と輝夜は思った。

(この子に、もう家族はいないんだ……この世にひとりぼっちだなんて、寂しいわよね)

 マグカップをコトンと置くと、輝夜は組んだ指の上にあごを乗せて、にっこりと微笑みかけた。

「じゃあ、怜史くんのお誕生日パーティもしてあげよっか? お誕生日はいつ?」

 怜史は、穴があきそうなほどまじまじと輝夜の顔を見つめ、そしてぱあっと陽が差したように破顔した。

「ボクの誕生日、六月十日だよ! 誕生日って、ケーキを食べていい日でしょう?」

 怜史の輝きにつられるように、輝夜もくすくすと笑った。

「そうよ。好きなケーキを食べていいし、プレゼントももらえる日よ。怜史くんは、なにがいいかしら?」

 怜史はフォークをかたく握り締めながら、一生懸命思案をめぐらせているようだった。

 しばらくして、「うん」と自分自身に向かって頷いたらしい彼は、

「いちごのショートケーキ! いちごがたくさん乗っているやつね!」

とリクエストした。

 お安い御用、と輝夜は請け負った。せっかくだから、通販で有名店のものを取り寄せるのもいいかもしれないと、スマートフォンを取り出してざっと検索してみる。オーソドックスなだけに、たくさんの種類が検索にヒットした。

「プレゼントは? なにか欲しいものはないの?」

 怜史が高価なものに興味を示すとは思えず、輝夜は気軽に尋ねた。

 ちょっと考え込んだ怜史だが、やがて小さく首を振った。

「……今欲しいものって思い浮かばないや。かぐやが選んでくれたものなら、なんだって嬉しいと思うな」

 なんという殺し文句。輝夜は「任せなさい!」と張り切る。

 そこでふと、思いついたことがあった。

「怜史くんの、何歳を祝う誕生日パーティーになるのかしら?」

 それはほとんど独語に近いつぶやきだったが、怜史はそれに答えて悲しげな微笑を浮かべた。

「生きていれば、次は十九歳になる予定だったよ」

 輝夜は、そのセリフに心を痛めると同時に驚きもした。

 怜史の年齢を、せいぜい十五歳ぐらいとしか予想していなかったのだ。体格は小柄ながら、少年期から青年期への微妙な年齢で、彼はこの世を去ったらしい。

 輝夜はスマートフォンを置いて、ためらいがちに「ごめんね」と言った。

「ちょっと、無神経だったかな」

 怜史は、首を横に振った。

「死んでからもお誕生日パーティーを開いてもらえるなんて、ボクは幸運だよ。いちごのショートケーキ、楽しみにしてるね」

 その優しくまぶしい笑顔に、輝夜は大きく頷いて見せた。

 そして、こんなに可愛い少年が――青年がというべきだろうか――が何故若くして幽霊になどなってしまったのか、その理由に興味がわいたが、この場で尋ねるべきことではない気がして、冷めつつあるベーコンエッグに手を伸ばした。

 

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