ストレングス・レディ・ガーディアン

赤魂緋鯉

ストレングス・レディ・ガーディアン

 初日の出から数時間経った頃、14歳の少年は初詣に向かうため、自宅のアパートから出かけた。


「やーやー少年。あけましておめでとう」


 階段を下まで降りると、入り口付近の壁に寄りかかって立っている、妙齢のショートカットの女性が、小さく笑みを浮かべて小さく手を挙げた。


 これからジョギングに出かける様な、厚手のタイツの上にショートパンツを穿き、薄手の蛍光イエローのジャケットを着ている。


「……」

「おーい、何で無視すんのさー」


 少年にまるで居ないかの様に素通りされ、女性は困り顔で慌てて追いかけてきた。


「ちょっとー。ふれあおうよー。君とお姉さんの仲じゃないかー」

「仲ってなんですか。あなたが勝手に絡んでくるだけじゃないですか」


 後ろで手を組んで、ひょっこひょっこ、と後を付いてくるのに根負けした少年は、あきれ顔で女性に話しかけた。


 彼女は少年が住むアパートの隣にある、ワンルームアパートに住んでいて、ゴミ出しのタイミングが合った事がきっかけで、やたら話しかけてくる様になった。


「私、君のお母さんから、気にかけて欲しい、って頼まれてるし。ほれほれ」


 隣に並んで歩く彼女は、自分の携帯の画面を見せつつ、うれしげな様子で言ってくる。


 そこには、少年の母親の携帯番号が表示されていた。


「いつの間に仲良くなってるんですか……」

「んー、職場が近くだし、ランチで偶然一緒になって、愚痴とか聞いてたらね」

「なんなんですか、そのとんでもないコミュ力」

「照れるなー。褒めてくれるなんて」

「褒めてはないです」

「ええー……」


 スッパリと切り捨てられて、彼女はまたショボン顔になった。


「またお前そのお姉さんといちゃついてんのかー?」

「ひゅーひゅー」


 その後ろから、自転車に乗った少年の同級生が、そうからかいながら横から追い抜いてきた。


「うっせえ! そんなんじゃねえよ!」


 少年は顔をカッと赤くして、彼らに向かってそう怒鳴った。


「なーるほど? これが恥ずかしいんだ」

「そうですよ!」

「怒ってても敬語なとこ好きよ私」

「僕は全っ然! そう思ってないですから!」


 ニヤニヤしてそうからかう女性に、明らかにトギマギした様子で少年はそう言って、照れ隠しのためにばーっと走っていってしまった。


「ふふん。かーわいい」


 そんないじらしい少年に目を細めた彼女は、その小さくなっていく背中を小走りに追いかけ始めようとした。


 すると、そのタイミングで彼女の電話が鳴った。




「俺のこと絶対馬鹿にしてるよ……」


 不機嫌そうな顔で野球帽を深く被る少年は、両脇が塀の路地から、やや幅が広い水路沿いの道に出た。


「母さんも母さんだよ。なんで僕の事――、……なんだあれ?」


 ブツブツ文句を言って歩いていると、数十メートル先で、水路から何か得体の知れない生物が上がってきた。


 その大柄な人といったサイズ生物は、見た目を怪獣と例えるのが最も適切だった。


 形だけは人型だが、肌は灰色の魚の様な質感で、口に当たる部分には古生代の生物を思わせる、長いチューブ状のものが付いていた。


 道路に上がりきった化け物は、少年の姿を4つの目で捕捉するやいなや、空気が吹き出す様な音を出し、全速力で彼へ襲いかかってきた。


「だ、誰かー!」


 少年はそう叫びながら、回れ右をして全力疾走で逃げる。


 しかし、化け物の方が圧倒的に速く、あっという間に彼との距離を詰めていく。


 歩道の橋を渡って公園に入ったところで、少年は石につまずいて転んでしまった。


「あ……」


 振り返ると、少年からもう数歩の位置に化け物が立っていて、恐怖のあまり腰が抜けて動けなくなった。


 追いかける必要はもはや無い、とばかりに、怪物はゆっくりと少年に歩み寄ってくる。


 もうダメだ、と目を閉じたそのとき、


「はいはい、君の相手はこっちだよっと」


 聞き覚えのある声が少年の後方からして、直後、前方から大きな鈍い音がした。


「大丈夫かい。少年」


 恐る恐る目を開けると、さっきまでウザ絡みしてきていた女性が、彼の目の前に立っていた。

 彼女が見据える先には、仰向けに倒れて動かなくなった化け物がいた。その胸には心臓の位置に足形の跡が付いていた。


 彼女が纏っているのは、光沢のあるライダースーツの様な物で、鞘に入った大型のナイフを太股の位置にあるベルトに挿していた。

 頭には、バイザー付きのヘッドギアが装備してあった。


「もう安心だ」


 化け物にスマートフォンの様な機械を向け、死んでいるのを確認した女性は、少年の元に戻って来ると、安心させようと微笑みながら少年に手を差し伸べる。


「えっと、なんか色々よく分からないんですけど……」

「だろうね。まあ、あとで説明するから、お姉さんに付いてき――、ガハッ!」


 少年がその手を取ろうとしたとき、彼女は真横から一撃を喰らって、数メートル吹っ飛ばされた。


 それは、死んだふりをしていた化け物のタックルで、その体色は原色に近い赤色になっていた。


 化け物は少年には目もくれず、立ち上がろうとする女性へ一直線に駆け寄る。


「くっそ、新種か……」


 彼女は迎撃態勢に入ろう、と太股のナイフを探ったが、化け物の不意打ちのせいで抜け落ちていた。


「しまっ――」


 倍返し、とばかりに化け物のタックルで吹き飛ばされ、フェンスに衝突して止まった。


 その頑丈な金網が、自動車がぶつかったかのようにひん曲がっていた。


「うっぐ……」


 どさり、とうつ伏せに倒れた彼女の腕を掴んで、化け物は後ろに軽々と投げた。


「お姉、さん……」


 彼女はすぐさま手を突いて起き上がろうとしたが、ダメージが大きすぎて、腕の力が抜けて再度倒れ込んだ。


「――がッ」


 なんとか四つん這いになったところに、横から腹に蹴りを入れられ、軽々と宙を舞ってまたうつ伏せでたたき付けられた。


 化け物は喘ぐ彼女を軽く蹴って裏返すと、その太股の辺りに腰を下ろした。


 少年からは見えなかったが、彼女は両手を頭の上でクロスする様に押さえつけられ、身動きが取れなくなった。


「う……」


 化け物はそのチューブ状の口から、黄色い液体を分泌して彼女の身体に浴びせる。


「うあっ、ぐ……」


 それはかなり強い溶解液で、彼女の纏う特殊金属繊維のスーツに穴を開け、下の皮膚をわずかに焼く。


 今度は、そこから分泌された無色の粘液が大量に垂らされ、彼女の身体を包み込み始めた。


「ん、う……」


 これは神経に作用する系の毒か……。まずいな……。


 じんわりと甘い痺れが広がってきて、身体の動きが鈍くなっていくのを感じ、額から冷や汗が吹き出す。


 仕方が無い……。


「あ……。ごめん、少年。少し目をつぶっていて貰えないか……?」


 化け物に細長い舌でその粘液を肌にすり込まれながら、女性はまだ動けないでいる少年にそう頼み込む。


「し、しました」

「了解。……はあ、また怖がらせちゃうな」


 少年の声を聞いた彼女は、そう返事して独りごちると同時に、手首のロックをあっさりと解いてしまった。


「よくも好き放題やってくれた、……ねっ!」


 彼女は半身を起き上がらせる勢いで、化け物に頭突きをたたき込んで、自分の上から強引にどかした。


「まったく、高いんだぞこれ」


 素肌にまとわりつく粘液を払い落としつつ、深々とため息をついた。


 怪物はますます怒り心頭の様子で、先程彼女を吹っ飛ばしたタックルを仕掛ける。


 しかし、彼女は軽々とバックフリップでそれをかわし、標的が消えて混乱する化け物の右腕にかかと落としをたたき込んだ。


 あっさりと化け物の右肩から先が引きちぎれ、切断面から蛍光色の青い血が大量に吹き出した。


 化け物は、そのまま着地した彼女を左腕でなぎ払おうとしたが、ペタンと地面に伏せられて躱された。


 その際、彼女は吹き出した血を浴びたが、全く気にも留めず振り切った腕に手刀を入れてまた切り落とした。


 スプリンクラー状態になった化け物に、彼女の拳が頸部けいぶ、胸部、上腹部、下腹部へ、続いて、連続の蹴りが下半身の各部に入り、それぞれ鈍い音を立て骨ごと破壊していった。


 ついには、無事な部位が頭だけになって、全身からダラダラと出血しながら後ろへ大の字に倒れ込んだ。


 死を悟った化け物は、落ちていたナイフを抜いて歩み寄ってくる女性に、悪あがきで溶解液を放った。

 だが、あっさり避けられた上に勢いが全然足らず、自分が浴びてしまった。


 頭が溶けきっても、しばらくは奥の手を警戒していた女性だが、これといって特に何も起きなかった。


「……今度こそ、もう大丈夫だよ。おっと、目を開ける前に後ろ向いてね」

「は、はい……」


 彼女は少年にそう告げて、その身体を化け物の死体を背にする向きへと変えさせた。


「えっと、その、怪我けがとかは……」

「かすり傷だけだよ。でも、出来ればこっちを見ないで欲しいな。……お願いだから」

「あっ、すいません」


 自分も少年の背後に立つ女性は、胸の前で腕組みをしながら、振り返ろうとした彼にそう頼んだ。


 その彼女の身体は化け物の血にまみれ、見るからに恐ろしい事になっていた。


「ふふ。良い子だね、君は。私の心配なんてしてくれてさ」

「当たり前じゃないですか。……知らない仲でも無いんですから」

「お、そうは思われてたんだ。お姉さん嬉しいな」

 

 寂しそうに笑う表情とは逆の明るい声を出し、彼女はからからと笑いながら冗談を飛ばした。


「はい、こちらエージェント『柏葉かしわば』。ああ、うん、駆除したよ。問題は……、ちょっとあるね。いや、仕方ないじゃん、新種なんだもん」


 バイザーに付いた無線機に通信が入り、柏葉、と名乗った彼女は、受話器越しに専属オペレーターへフランクな調子で現状を報告する。


「他にはもういないの? 後はエージェント『金木犀きんもくせい』が? 了解。あ、迎え早くしてね。風邪引いちゃいそうだからさー」


 ブルッと、身体を震わせてそう言い、会話を終えた柏葉は、ゆっくりと地面に座って膝を抱き寄せた。


「あと少ししたら、おまわりさんとかが来るから、申し訳ないけどもうちょっと待っててね、しょ――」

「……ちょっと小さいですけど、これ使ってください」


 彼女とその向こうにある死体から目を逸らしながら、彼女の後ろに来た少年は、我慢するつもりでいた柏葉に、自分の着ていた黒いジャンパーを差し出そうとする。


「いや悪いよ。ダメにしちゃうし、そもそも君が寒いだろう?」

「別にちょっと寒いぐらい大丈夫ですから。あと、少年とか君じゃなくて、僕は隆哉たかやです」


 隆哉と名乗った少年は、柏葉の背中にジャンパーをかけると、また後ろを向いた。


 隆哉の言うとおり、少しサイズは小さかったが、穴の空いた箇所を覆うのには十分だった。


「……そっか、ありがと。しょ……、じゃなかった。隆哉くん」


 ポウッと顔を赤らめつつ、柏葉は愛おしげに彼の名前を呼んだ。




 まもなく、警察官他の車両と人員が公園に到着すると、あっという間に殺人現場の様に公園の入り口に規制線を張って、ブルーシートで死体を囲った。


「ごめんね。一応保護って名目で、君に警察署まで付いてきてもらいたいんだけど、良いかな?」


 丁寧にそう説明する女性警官の問いかけに、そう素直にうなずいた隆哉は、少し離れた所にいる、ベンチコートを着て作業服姿の人物と会話している柏葉の方を見る。


「ん? どうしたの隆哉くん。ああ、ジャンパーは新品と変えてあげるから、心配しないで」

「そうじゃないです。というか、僕そんなにみみっちく無いんで」


 視線に気がついた彼女が、勘違いをしているので、ちょっと呆れた様子でそう返した。


「お礼が言いたかったんです。助けてくれて、ありがとうございます」


 その後、すこし神妙な面持ちでそう言って、彼女へ頭を下げた。


「いやいや、これが私の仕事だから、って言うのは味気ないから、お姉さんとの仲って事にしといて」

「分かりました。……どんな仲かはおいときますね」


 ウィンクする柏葉に、隆哉は苦笑いしてそう言った。


「じゃあまたねー」

「はい!」


 女性警官に連れられる隆哉は、柏葉とそうあいさつを交わして、公園の入り口横に止まるパトカーへと乗り込んだ。


「……また、なんて言って良いのか? エージェント・『柏葉』」

「うん。……だって、本当の事言っちゃったら、私が離れられる自信が無いから、ね」


 走り去って行くパトカーを見ながら、少し泣きそうな顔で柏葉は無理に笑った。




 世間では化け物の出現は伏せられ、駆除のための人払いも、不発弾処理のための避難という事になっていた。


 ――そしてその日から、あれほどしつこく絡んできていた柏葉が、隆哉の前から忽然こつぜんと姿を消してしまった。



                    *



 それから3日後。


「それで、ワガママ言ってとどめて貰ったんですか……」

「いやあ、どうしてもここが恋しくてねー」


 夕方、書店から帰宅した彼の前に、相変わらずスポーティーな装いの柏葉がひょっこりと現われ、猫背気味に照れくさそうに笑みを浮かべる。


 柏葉は化け物を駆除する秘密組織の一員で、街の中で一般人に紛れて待機し、化け物が出現した際、即座に出動するために派遣されたエージェントだった。


 エージェントは駆除の際、一般人に戦っている所を見られたら、そのエリアの受け持ちを交代しないといけない、という取り決めになっている。


 しかし、隆哉の両親がその組織の関係者である事を理由に、駄々だだをこねてそのまま任務を継続させてもらったのだった。


「……まあ、そんなわけで、今後ともよろしく」


 後頭部をポリポリときながら、ふにゃっと笑って隆哉に手を差し伸べた。


「はい」


 何だかんだ、居ないならそれはそれで寂しかったので、彼はゆっくりと笑ってその手をとった。

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