篠宮一家

 結論から言えば僕には、両親がいない……なんてことはなかった。昨日杏が僕の部屋にいたのは、彼女がどうしてもと病院側に頼み込んだ結果らしい。普通頼んだだけでどうこうできる様な問題ではないはずなのだが……うん。深く考えるのはよそう。


それに病院側の話では、どうやら僕の部屋に訪れるお客さんは杏だけでなく、他にいたらしい。


 その四人の事を杏から詳しく聞こうとしたら何故か杏は酷く渋り、結局僕の事をお見舞いに来てくれた人物は誰か特定することはできなかった。


唯一分かったのはお客さんが皆僕と杏と同じ高校に通う高校生で、皆女生徒であることのみだ。


「章。大丈夫? 体調とか悪くない? 頭とか痛くない?」

「あ、はい。大丈夫……です」


 そんな僕だが今は僕の母の運転の元、車で自宅へと向かっていた。


 僕の母。篠宮明乃しのみやあけのはとても美人な女性だった。肌もまだ艶々で、ハリもあり、シミや皺などは微塵も見受けられない。これで経産婦だというのだから驚きだ。きっと二十代と言っても大抵の人は信じてくれるだろう。


 ただ子供の立場……まして僕の様に記憶を失った身からすれば美人の母親というのはどうにも落ち着かない。いくら相手が美人だと言っても相手は母親なわけで、恋愛対象に見ることはあり得ない。


 それは偏にそれまでに蓄積されてきた母親という印象のおかげなわけで、今の僕にはそれが微塵もない。つまるところ僕はどうしても明乃さんを母親としてではなく、一人の美人の女性として意識してしまうわけで、そんな人をいきなり母親と認識することに抵抗があるのだ。


「そんな他人行儀にしないで。私達は家族なのよ?」

「そ、そうですよね」


 勿論こちらとしてももっとフランクな口調で話しかけたい。でもどうしても意識してしまって、自然と体が硬くなってしまうのだ。


「そ、そう言えば前の僕ってどんな感じだったんですか?」

「前の章ちゃん? う~ん。そうね……今と雰囲気はあまり変わらない感じね。人間記憶が失う程度じゃその身に染みた人間性は変わらないということなのかもしれないわね」

「は、はぁ……」


 人間性は変わらない……果たしてそうなのだろうか? 今の僕は本当に前の僕と同じなのか? 100%同じ性格をした人間なんてこの世の何処を探してもいない。つまり明乃さんの息子だった僕は死んだも同然で今の僕はただの残りかすのようなものなわけで、だとしたら僕は……


「あ、ごめんなさい。いきなりそんな話しちゃって……ははは。もうお母さんったらダメね」

「い、いえ。そんなことはないと思います……よ?」


 ダメだ。これ以上考えるのはよそう。これ以上考えると僕の自我が持たない。


「ふふふ。ありがとう。でももう少しフランクな口調で話してくれるとお母さん嬉しいわ」

「が、頑張ります……‼」


 僕の胸の内にはこの人を悲しませたくないという気持ちがある。それは僕の気持ちなのか将又記憶を失う前の僕が残した気持ちなのかはわからない。でもその根幹にある思いは何も変わらない。それならば気にする必要もない。僕は僕の思ったままに行動するだけだ。


「また敬語になってるわよ?」

「あ……」

「ふふふふふ……」


 何だろう。凄く変な気持ちだ。暖かいような、むず痒いようなそんな変な気持ち。


「そう言えば僕の事をお見舞いに来てくれた人って杏だけじゃないんだよね?」

「うん。そうよ~」

「どんな人達なんですか?」

「それはまだ秘密。でも後で皆家に遊びに来ることになってるからそこで紹介があると思うわよ~」

「は、はぁ……」


 皆家に来てくれるのはいいのだが、昨日の杏の暴走の仕方を見るに少し心配になってくる。お願いだから家を殺人現場にだけはしないで欲しい。


「ついた。ここが我が家よ」

「ここが……」


 僕の家はごくごく普通の一軒家だった。


「ほら。入る」

「は、はい……」


 明乃さ……ゴホン。お、お母さんはおっとりしている見た目とは裏腹に結構押しが強いタイプの様だ。


「ただいま~香苗かなえいる~」


 香苗? 香苗って一体誰だろう……


「いるよ~おかえり~お母さん。章」


 これまた美人な人だ。まあ母親が美人なのだから娘も美人になるのは必然ではあるのだが……それにしても小さくて、可愛らしい人だな。


「今。私の事小さいと思ったでしょう?」

「え、ええと……」

「コラ。あまり章ちゃんを虐めないの。章ちゃん今記憶を失って色々大変なんだから」

「ふ~ん。記憶を失……はぁ!? 今なんて言ったの!?」

「ん? だから記憶を失っっているって……」

「う、嘘でしょう!? 章‼ 貴方私の事覚えていないの!?」

「ご生憎ながら……」

「そ、そんな馬鹿な……」


 この人見た目と口調のギャップが一々激しいな。でも驚いた表情はどこか小動物っぽさがあって可愛らしいがそこまで落ち込まれるとなんだかこっちが悪いことをした気分になる。


「私と過ごした濃密なあの日々もすべて忘れてしまったというの!?」


 もしかしてこの人ブラコン? しかも重度の。所見では全くそんな印象与えなかったのに。人間見た目と中身が伴わないケースであるんだなぁ……


「ええ……まあ。何も覚えていません……よ?」

「……わかりました」


 一体何が分かったというのだろうか?


「思い出は失ってもまた作ればいいだけの事……大事なのはお姉ちゃんへの‼」

「この人は一体何を言っているんだ?」

「香苗ちゃんはブラコンだから~」


 母親からも認知されるほどのブラコンって……というか母よ。そこはもっと何とかしようと思って欲しい。この人明らかに弟の事をそういう目で見ているぞ。親としてその間違いは正せよ。


「ブラコンで何が悪い‼ 人の愛は自由なのよ‼ 例え世間が認めなくても当人同士に愛があれば問題ないのよ‼」

「わぁ~」


 何故だろう。今、僕の頭は猛烈に痛い。それこそ目覚めたばかりに感じたあの時の衝撃以上に。


「さぁ今すぐ私の部屋に来なさい‼ そこで私と章の過ごした日々の事を余すところなく語ってあげるわ‼」


 抵抗するだけ無駄だろう。それにこの強引な所……やはりこの人と明乃さんは親子なのだろう。

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