園寺杏

「ふむふむ。なるほど。つまり僕は一か月前に交通事故にあった……と」

「そうだよ‼ そこから一度も目覚めなくて私ずっと心配していたんだからね‼」


 杏曰くその時の事故はそれはもう悲惨な物で、僕の頭からはおびただしい量の血が出ていたらしく、現場に居合わせた杏はそれもう激しく狼狽ろうばいしたそうな。


「なんかごめん……」

「本当に本当に本当だよ‼ もし章ちゃんが死んじゃったら私もから‼ だからもう二度と私の前からいなくなるような真似しないでよね‼」

「お、おう……」


 この子。見た目とは裏腹にかなり愛が重いタイプの子なのかな? こう言うのって確か……


「ヤンデレ女子……だっけか」

「ん? 何か言った?」


 暗闇の中杏の赤色の瞳が不気味光る。ヤンデレで、赤色の眼……うん。この子見た目からしてヤバい子だわ。


 記憶を失う前の僕はよくこんなタイプの女の子と付き合っていたなぁ……でも今更別れるだなんて言えるわけないし、言った瞬間殺されてしまいそうだ。


「起きて早々憂鬱ゆううつだ……」

「人の前でそんなネガティブな事言わないで欲しいかな? それに今の私の心はとってもハッピーなんだから‼」

「……ごめんなさい」


 そうだよな。この子は僕の事を思ってこうして居合わせていてくれたわけで、そんな彼女に対して今の発言は流石にあんまりだ。


「よろしい。それよりも章ちゃん」

「ん? 何?」

「もしかして章ちゃんって記憶喪失きおくそうしつなの?」

「ど、どうしてそう思ったのかな……?」


 僕はこれまで杏に一度も自身の記憶がないことを告白していない。確かに記憶がないような素振りは若干見せたがそれにしたって気づくのが早すぎる。この勘のよさ……不気味だ。


「私は章ちゃんの事なら知ってるからだよ。好みの味付けも好きな動物もどんな子がタイプの女の子なのかもそして章ちゃんが何を考えて、どういう事をする人間なのかも全部、全部、全部、全部知っているんだよ?」


 杏の瞳には何も移していない。あるのはただ深く、底知れない深淵のみだ。端から見ても彼女の愛は重く、人によっては恐怖を感じるだろう。


 それは僕も同じ。今の彼女からは先程感じられた安らぎはなく、あるのは恐怖と困惑のみ。呼吸もどこか乱れ、苦しい。ああ、それにしても杏はどうしてこうなって……


「ああ、なるほど。僕が死にかけたからか」


 思いのほかあっさりとその答えは降りてきた。


「何を言っているのかな? 今は私とお話中でしょう? 他の事考えないで欲しいかな? 私の事だけを考えてよ。ね?」


 降りてきたのはいいが杏は今も尚暴走し続け、じりじりとこちらとの距離を詰めてくる。こんな時一体どうし……


「え、ちょ……しょ、章ちゃん」


 気が付くと僕は杏の事を強く抱きしめていた。どうして今その様な事をしたのかはわからない。しいて言うなら体がそうしたから。


 記憶はなくとも体の染みついた習性が今、こうするのが正解だと勝手に導きだしたのだろう。


「しょう……ちゃぁん……」


 杏は僕からの包容を嫌がるどころか歓迎してくれ、力強く抱きしめ返してくれた。


「よし。よし。今日はもうおやすみ。詳しい話は明日聞くから」

「でも……そうしたらまた章ちゃんが……いなくなる気が……」

「いなくならないから。何なら布団に入って、僕の事を抱き枕にしてもいいから」

「……そうする」

「するのかよ……」


 杏は躊躇いなく僕の布団に潜り込み、僕に抱き着いたまますやすやと寝息を立て始めた。


「もう少し警戒心を持って欲しいのだけれど……」


 今目の前にいる僕は彼女の知る僕ではなく、邪な欲望だって抱いている可能性があるのにも関わらず、彼女は躊躇いなく、僕に近寄ってきた。


「それだけ僕の事を信頼しきっているのか」


 正確には記憶を失う前の僕なのだが……このような反応をされてしまっては僕としても彼女の期待を裏切るわけにはいかなくなるじゃないか。


「これからよろしくな。杏」

「すぅ……すぅ……」


 返事はなしか。まあそれも仕方がない。それにしても肝心な家族構成と何も聞けなかったなぁ……というかどうして僕の家族ではなく、彼女である杏がこの場にいるのだろう?


 もしかして僕に親はいなかったり……


「そんなことはないか。いくら何でも。ハッハハ」

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