第14話 幸三⑨

 最近、そのほとんどが有泉と成吉に占められていた交友関係に、岩村さんも加わることが増えてきた。そんなこともあってか、僕は比較的心穏やかで楽しい毎日を送っていたのだった。

 部室へ行くときになると、顔がほころんでしまい、気持ちもうきうきしてくる。春が近づいてきているせいもあるのだろうか、部室へ行くのが楽しみで仕方がないだなんて。こんなこと、入部して以来初めてだ。

 部室に流れている音楽だって、今までとは全然違う。成吉や有泉が好んで聴く音楽よりも、僕はごく普通のJポップの方が気軽に聴けて好きなのだ。今のところ、成吉も有泉も、岩村さんがJポップをかけていることに関して苦情は言わないようなのだ。僕がかけると十秒持たずに停止ボタンが押されるのに、えらい違いである。

 そう、岩村さんが来てから、まるで軽やかな空気が舞い込んできているかのようだった。

「なんだかここ、雰囲気変わった?」

 ある日、僕と岩村さんが二人でいると、珍しい友人がやって来た。

 マンドリン部の酒井君だった。

 彼の先輩がフォークソング部の先輩と知り合いで、一緒に彰のライブを観に行ったことがあり、彰と知り合ったのはそれがきっかけだったのだ。酒井君にも近頃はめっきり会う機会が減って、返って彰といることの方が多いのだから、不思議なものである。

「久しぶりだね」

 ちなみに、彼は有泉や成吉を上手くあしらうすべを心得ている、数少ない一人である。

「こちらは、マンドリン部の酒井君。彼も音楽関係のつながりなんだ」

「へえ、なんだかかっこいいですね」

 酒井のことをかっこいいと言ったのか、と一瞬眉をひそめたが、「音楽関係」という響きがかっこいいと言ったのだと気づき、心が落ち着く。

「音楽でわかった。そうか、BGMが普通になってるんだ」 

 部室では、岩村さんが持ってきてジッタリンジンのアルバムがかかっていた。

「でもよく聴くと、やっぱしぶいな」

「年の離れた姉がいて、姉の影響で好きになったもので」

 と岩村さん。

「へえ。君は新入部員?」

「いえ、入部とかそういうんじゃなくて、有泉さんに、遊びに来たらって誘ってもらったんです。一回生の、岩村といいます」

 酒井君はそれをきいて、呆気にとられたようだった。慌てて、“僕は知らない”とばかりに首を横に振る。

「なんか変なこと言いました?」

「いや、世の中にはまだまだ理解できないことがたくさんあるんだなと思って。そうか、有泉さんも他人と交流できるようになったんだね。よかった」

「有泉さん、他人と交流できなかったんですか? 人が嫌いとか?」

「別にそういうわけではないけど、自分が好きすぎるっていうか……」

 と酒井君。

「なんかナルシストみたいな言い方だな」

 僕が意見すると、

「そうだなあ、自分の世界が大切過ぎて、他に気を使ってる余裕がないのか……別に他人に配慮できない人でもないんだけどね」

 さらっと答える。どうやら本当にそう思っているようだ。なるほど。

「へえ、そうだったんですね」

 岩村さんは意外そうだった。

「ちなみに、岩村さんは有泉さんとどんな話をしてるわけ?」

「どんなって、ごく普通に、今日はいい天気だねとか、猫の話とか、昔読んだ本の話とか、そういう世間話を」

「有泉さんが、世間話なんてするんだ…」

「そういう平林さんは、普段どんな話をしてるんですか?」

「どんな話だろう。でも彼女と話す時は、会話というよりも、事務連絡って感じがするな、いつも」

 有泉と会話を楽しむなんて、あまり経験した覚えがない。

 知り合って半年以上たつのに、わりと一緒にいることが多いのに、おかしなものだった。

「でも、有泉さんって、いつも一人でいるけどけっこう寂しがり屋なんじゃないかと思うんですよね。だから、成吉さんとか、平林さんとか、にぎやかなお友達がいて楽しいんじゃないですか」

「にぎやかなお友達?」

「もしかして、また変なこと言っちゃいました?」

「いいや、別に……」

 成吉と同類と思われているとしたら、かなりショックだ。

「でも、みなさん仲良しなんですよね? だからいつも一緒にいるんでしょう?」

 なぜ自分達三人は一緒にいるのか、なぜ自分は有泉と一緒にいるのか。そんなこと、深く考えたことはない。深く考える暇もない。考える隙を与えず、彼らは自分の主張をがんがん僕に押し付けてくるので、それをうまくやりくりするだけで精いっぱいいなのだ。

「今更だけど、なんで幸三は有泉さんといつも一緒にいるの? いい機会だから教えてもらっちゃおうかな」

「え? なんでかって? 何でだろう?」

 いつまで待っても答えを出せないでいると、やがて二人は笑い出した。

「ごめん、これ以上訊かないことにするよ」

「あの、有泉さんに恋愛感情があるわけじゃないから。それだけは信じてくれよ」

「はいはい」

 酒井君はそう答えながらも全然信じていなさそうだ。岩村さんも微笑みながら僕を見ている。あくせくといい訳をしていると、

「そういえば、岩村さんはどこで有泉さんと知り合ったの?」

 ふいに酒井君が話題を変える。

「えっと、それは…」

 岩村さんが言い淀んでいるので、助け船を出す。

「有泉さんにナンパされたんだよ」

「有泉さんが、ナンパ? 女の子を?」

「ほら、俺たちもあの人がすることはよくわかんないの。だから、なんでか説明はできないんだけど。ね、岩村さん」

 岩村さんはうそをつくのが苦手なのか、どう答えるべきか迷っているようだった。

「ま、いいけど。じゃあ、近々一緒に合奏でもしましょう、岩村さん」

 と微笑むと、棚からCDを一枚ひっぱり出し、「成吉に、これ借りてったって言っといて」と言いながら去って行った。

 しばし間があった後で、

「園芸部って、もしかして音楽関係の部活だったんですか?」

 と岩村さんは真顔で訊いてきた。

 しばらくすると彼女も「ちょっと用事があるので」と言って、部室を出て行った。

 岩村さんが行ってしまうと、しばし寂しい感情に襲われる。有泉や成吉が行ってしまってもこんな気持ちにはならないのに。このそわそわする感じは、春のせいなのだろうか。

 そんなことを考えていると、ふらりと成吉が現れた。

「今日はお前一人か」

 僕を見て、つまらなさそうに呟く。まさか、こいつも岩村さんがいないことで気に病んでいるのか? しかし、彼の思っているのは違うことのようだった。

「あの女は最近占いしてるのかよ?」

 そういえば、今日が期限だったことを思い出す。

「いいや、バレンタイン前にはぽつぽつ来てたんだけど、最近はめっきり…」

「そうか」

 成吉は、何かを考えているようだった。どうせまた悪巧みに違いない。僕と有泉とは、人から見たらそんなに仲良しに見えるのだろうか。本人同士は全くそんな気はないというのに。

「お前、もういいよ」

 突然な展開に、言葉を失う。もういいって、何のことだ? もう僕は自分の友達ではない、そうと言いたいのだろうか。

 瞬間、それまでの日々が、走馬灯のように頭の中を駆け巡る。「成吉君」と初めて呼びかけた講義室が変更になった日、何か言うたびに「馬鹿じゃねえの」と罵倒されつつ、面食らった日々、気づくと暴言を吐くのも、あの不気味な笑い声を響かせるのも、ごく限られた人に限られた行為だと悟った時のこと……。

「有泉は、無駄だ、もう放っておけ」

「はい?」

「占いは、もういい。お前を頼ろうとした俺が馬鹿だった。時間の無駄だ。あいつはうっちゃっとけ。それだけだ」

「はあ」

 途端に肩の力が抜けた。確かに、成吉が僕を手放すわけはない。大事なパシリがいないと、漫画に夢中になっているとき、急にお菓子が欲しくなったら困るもんな。

 彼は、「じゃあ、頼むぜ」と言い、さっさか出て行った。僕にこれを言うだけのためにここに来たのだろうか。いるかどうかもわからないのに、暇な奴だ。あるいは、どうせここにいるだろうと思われているのだ。それも癪だった。

 息をつくのも束の間のこと、次は彰が部室に現れた。よく人が来る日である。

 彼がここを訪れるのは、あの時以来のはずだった。

「有泉さんは?」

「ああ、今日は見てないけど」

「そうか」

 彰は本棚に置いてある本を取り出してぺらぺらめくり出す。

「何か用事でも?」

「いや、うーん、まあ、別にいいや」

「あ、もしかし、占い?」

「まあ、いいよ。いないんだろう」

「じゃあ俺が代わりにやってみようか?」

「君も占いできるの?」

「やったことないから、見よう見まねだけど」

 彰は苦笑したが、まんざらでもないようで、僕の向かい側の席に座った。

 

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