3.旧友アレクサンディア

 月蝋通りの末端にある、テュエンの錬金製品店の内部は狭い。

 正確には、小規模商店なみの間口はあるのだが、こまごました商品の詰まった棚や陳列台が狭い間隔で置かれているため、三人以上の客が来ると通路をすれちがうのにも苦労する。おまけに今日の客は武装のうえ、旅の荷まで背負っていた。そこに店主と弟子を加えれば、店内はにわかに大混雑のありさまだった。

 とりあえず、テュエンは店奥の作業場へ客を通す。どうも人数分の椅子がないので上階の居間へ案内しかけると、ここでいいとアレックスが背嚢はいのうを壁際へ放り投げた。

「懐かしいね、こういう錬成作業室」剣帯もとかずに丸椅子へ腰を下ろすと、「あんたにしちゃあ片付いてるじゃん」彼女は室内を見回しながら意外そうに口笛を吹いた。

「整理整頓を、きちんと指導してくれる弟子がいてね」

「レムっていったっけ? 顔合わせんのは初めてだね。あたしはアレクサンディアっていう。アレックスでいいよ」

 少々人見知り気味に、師匠の背後でうろうろしていた少年へ彼女は軽く手を振る。レムファクタは急いで会釈。テュエンは他の仲間二人の椅子を探しながら彼女へ尋ねた。

「以前、きみが店へ来たのはいつだったかな。二、三年前だったと思うんだけれど、レムとは初対面だったかい?」

「あんた、憶えてないの? 前に来たときはその子が風邪で寝込んでるとかで、あんたはあたしらに茶も出さず、さっさと追い出したんでしょうが」

「あっ、そうだったかな……。申し訳ない、たぶん慌てていたんだ」

「ばーか、気にしちゃいないよ。それより、初対面といえばダナもだろう」

「ダナンシーよ、はじめまして。みんなダナと呼ぶので、どうぞあなたもそのようにね、テュエン」

 アレックスの紹介を受け、森色の質素な麻布のローブを着た魔術師が、にこりと笑んだ。四十代半ばとみえるダナは、修行者として短く切り詰めた銀髪と穏やかな若草色の瞳の持ち主だ。彼女が右手に携える白楢の長杖を見やり、テュエンは遠慮がちに頭を下げた。

「はじめまして、ダナ。――失礼ですが、どちらの流派の方でしたか? 店へお通しするのはご不快ではなかったでしょうか」

「とんでもないわ、あなたは素敵な店をお持ちね。生活の役に立ちそうなものがたくさん。私は〈真知派〉で、錬金術と魔術は一体だと考えています」

「でなきゃ、渉猟兵にはならねえさ」

 アレックスの補足に、テュエンは驚いて口を開ける。若い頃はさぞ美形だったろう魔術師は、活き活きとして今なお美しい笑みを浮かべてみせた。

 続いてテュエンはスヴェルグとも言葉を交わして挨拶を終える。戦斧を降ろした大男は以前の訪問時と変わらぬ印象で、筋骨隆々の巨躯に似合わないにこやかな寡黙さで頷いていた。

 レムの手伝いでミントとレモングラスのお茶を煎れ、近所からの貰い物である蜂蜜揚げパン菓子ベニエをお茶請けに出す。皆すでに大理石の作業台を囲み、立ち話の構えでいるのに、相変わらず客の椅子を探して右往左往のテュエンを、

「長居しねえから」

 呆れ気味にアレックスが止める。人々は、しばらく互いの近況などを語り合った。

「じゃあ、今度は東方にいたんだね。砂漠はどうだった?」

 テュエンが尋ねると、アレックスは小馬鹿にしたように鼻を鳴らした。

「あんたは砂漠っていうけどさ、帝国領内に本物の砂漠はないんだぜ。あれは荒野っていうの、荒野。まだぜんぜん草が生えてるうちだよ。砂漠は領外へ出て〈骨喰ほねばみ山脈〉を越えていかなきゃ」

「おや。てっきりきみは砂蜥蜴バシリスクを退治しに行ったと思ったよ」

「あんたあたしが脳みそまで筋肉が詰まってると思ってるんじゃないだろうね。だったら、これいらないのかい?」

 意地の悪い笑みを浮かべ、彼女はずた袋じみた背嚢から薄汚れた冊子を引っ張り出してきた。とたんにすまないと謝るテュエンに一度、手渡すふりフェイントを仕掛けてから、彼女は改めて冊子を渡す。子供じみた振る舞いに苦笑しつつ、テュエンは早速頁をめくった。

「面白いことをするのね」と、ハーブ茶を楽しみながら、ダナ。「各地の伝承や、言い伝えを集めるというのは。錬金術ならば帝都大学に勝る学府はないでしょうに」

「言ったろ、こいつはわけありで……」

 アレックスが言いさすのを、冊子を繰りながらごく普通にテュエンが応じた。

「私は錬金学会からは破門気味なので、研究資料を手に入れづらいのですよ。学び方や研究手法としては、確かに効率が悪いかもしれません。けれど地方には、中央に見落とされてきた古くからの知恵や、独特な物の見方があると思っていて――現実に、アレックス、つい先日きみの冊子が役に立ったよ」

「へえ、ほんとかい?」

「以前に来たとき、国の最北部まで旅をしただろう。そこできみが聞き集めてくれた治療法が、女の子を一人救ったよ」

 晩春に、神秘の霊薬エリクシルを求めにきた小さな客のことをテュエンは語った。氷霊に憑かれた子供と、特効薬である白鷹草の煎じ薬について。今後は店でも正式に薬を取り扱うようにしたと話すと、アレックスは感心しながら自画自賛した。「ほおら、あたしの好き勝手な旅も大したもんじゃないの。アレクサンディア様さまだわ」

「そこはおまえじゃないだろう、アレックス」

 ふいに、黙々と揚げパンを食べていたスヴェルグがもっともな発言をしたので、一同は大笑いする。それからテュエンはハタと冊子を閉じ、「そうだ。謝礼を渡さないと」

「ああ、そのことなんだけどさ。ちょいといい話があるんだよねえ、お兄さん」

「うん……?」

 言い方に予感をおぼえ、テュエンはゆっくりアレックスを振り向いた。

 二つ年上のアレクサンディアは、見た目だけでなくその生き方も型破りな女性である。帝都の錬金学府で、彼女と先輩後輩として出会った日から、テュエンは実に色々な頼みごとを――多くは無茶な案件を――飲まされてきた。相応の見返りがあったとはいえ、中には守るべき一線を越えかけた依頼もあったのだ。

 もちろん本人の性格からして、人を傷つけるような悪事ではない。けれど今のアレックスの、砂蜥蜴もどきに唇を横に裂いたニヤニヤ笑いには、若気の至りばかりだった学生時代とまるきり同じ、なにか危うい企みが見え透いていた。

「この先、あんたの伝承調べの仕事をタダで引き受けてやってもいいよ」

「嫌な予感しかしないんだけれど……?」

「困ってるんだよねえ。こいつの燃料が切れちゃって」

 警戒も露わなテュエンに向かい、アレックスは剣帯ごと外した左の剣を掲げてみせた。

 泥や草の汁、酒、あるいは他の何かのしみで汚れきってはいるが、その鞘には見覚えがある。かつては念入りに獣脂で磨いて艶を出したと思われる頑丈な革製。蝋引きした太い縫い糸の目も丁寧な、簡素ながらしっかりした造り。それは剣柄にも言えていた。

 柄頭に象眼や宝石などの華美な装飾はない。握り部には滑り止めの黒い牛革がきつく巻かれ、左右へ延びたがくにだけ、ぶどうつるの模様飾りが荒く彫り込まれている。その無骨な彫り目に金属独自の輝きが現れていた。一見してやや濃い色の鋼の表層を、光の加減で漆黒の反射が鋭く滑るのだ。

「ウルフバートこう――これ、私が作った剣じゃないか。まさかまだ使えていた?」

「ここぞって時に使ってた。ところが、ついに炎が尽きちまって」

「無理だよ、私は。アレックス、わかっているよね。初級錬金術師は武具類の製造には関われないんだ」

「あたしの髪を見なよ、テュエン。この炎の色とあんたの傑作〈火竜の舌〉の炎剣で、あたしは渉猟兵として名を売ってきたんだ。なのに剣から火の魔術が消えちまったら、みんながっかりするじゃないか」

「それと私に何の関係が……。また剣に勝手な名前をつけて……」

 頼むよテュエン、このとおり、と両手を合わせて拝んでくる悪友に、テュエンは疲れたようにこめかみを押さえる。

 二人のやりとりの脇では、ダナンシーとスヴェルグが面白そうな顔をしながら揚げパンに舌鼓を打っている。そして魔法剣と聞いたレムファクタは、師匠の知られざる製作物へ、期待と好奇心に満ちた眼差しをきらきらと向けている。

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