「あいつの本領はだいぶ前に発揮し終わってるよ」


 伊藤さんが笑いながら言う。


「態度が違うとか、もし人夢くんが感じてるなら、それは、豪が変に意識しちゃってるからでしょ」


 ぼくは首を傾げた。


「意識?」

「カッコつけなきゃとか、下のもんにはいいトコ見せなきゃとか、そういう兄貴の心理? 俺も下に兄弟いるからそんな感じになるよ。俺はさ、子どものころから兄貴をやってるから、そうやって張り切る自分も当たり前になっちゃってるけど、あいつの場合、いきなりだろ。力加減がわからないんだよ」

「……」

「で、そのどんな力加減も、人夢くんは柔軟に受け入れているわけだ。きょうも、こうして付き合ってあげている」


 柔軟……なのかな。

 それはさておいて、ああいう人だからと諦めている部分はある。諦めてみると、気持ちに余裕ができて、ああ言われたらこう言ってやろうと、切り返しもできるようになった。

 それに、ぼくも「弟」としての力加減をわかっていないのかもしれない。

 つい余計なことまで訊いて怒らせたり、細かく注意するからウザがられたり。それでも、お兄ちゃんがすぐに忘れてくれるから、なんだかんだ、こうしていられているのかもしれない。


「──だけど、態度が違うというのはあながち間違ってないか。いや、姿勢っていうのかな。人夢くんが来てから、あいつ変わったよ」

「変わった……んですか」

「そう。もちろんいいほうにね。水泳も頑張ってるし、やつら」


 伊藤さんがにわかに言い止んだ。

 なにかに気づいたって感じもしたから、もしかしたらお兄ちゃんが戻ってきたのかとぼくはきょろきょろした。

 でも、あの姿はどこにもない。

 

「あー、ところで人夢くん。この城址公園のフシギな話って聞いたことある?」


 なんとなくはぐらかされた気がしないでもないけど、「フシギな話」ってのももだし難い。

 ちょっと考えてから、ぼくは首を横に振った。


「聞いたことないです」

「この公園には、そこらに植えられてるやつの三倍はある木がどこかに生えてるらしいんだ」


「三倍?」とぼくは目を上げた。

 広美さんが見つけてくれたこの場所は、格好の特等席だ。立ち上がると、広がる枝についている花へ手が届く。背の高いお兄ちゃんは何度も頭をぶつけていた。


「三倍ってすごいですね。見てみたいかも」

「だろ? でも、だれも見たことがない」

「だれも見たことないのに三倍の大きさって、なんでわかったんだろ」


 素朴な疑問を口にすると、伊藤さんはいま気づいたみたいに「おお」と声を上げた。


「たしかに」

「もしかしたら、心の清い人にしか見えないってやつですかね」

「……うん? まあ、あくまで噂だから」

「トトロとか、シシ神さまとか出てきそう」


 妙にわくわくしてきた。

 ユーレイやゾンビなんかの恐怖系はお断りだけど、そういう神話チックなのは大歓迎だ。


「あれあれ。だれかと思えば生徒会長サンじゃん」


 弾んだ声を飛ばし、お兄ちゃんが戻ってきた。コンビニでもらうようなビニール袋を提げている。

 伊藤さんは手を上げて応える。


「よう」

「てか、なんでいんだよ。ここに」


 お兄ちゃんは言いながらスニーカーを脱いで、シートへ上がった。


「ああ。なんか、可愛いのに誘われてきた」

「……は?」


 と顔をしかめるお兄ちゃんをかわすように伊藤さんはくすっと笑い、腰を上げた。「じゃあ、また」と手を振り、来た道を戻っていく。

 お兄ちゃんは舌打ちをして、ぼくを見下ろした。

 自分のことを話してたんじゃないかと気にして、機嫌でも損ねたかと思った。


「広美、まだだろ?」

「うん……まだ、だけど」

「なんだ。その歯切れの悪さ」

「ぼくと伊藤さんがなに話してたか、お兄ちゃんは気になってんじゃないの?」

「は? 俺がなんでいちいちそんなこと気にしなきゃなんねえんだよ」


 なんでと言われても答えようがなかったから、お兄ちゃんがシートへ置いたビニール袋へ、ぼくは目を移した。


「焼きそば?」

「……ああ」

「露店出てた?」

「まあ、それなりに」


 ふーんと返しながら鼻を動かすと、屋台の焼きそばらしい香ばしい匂いがした。

 ……ぼくのお腹も鳴りそう。


「あ、ねえ。伊藤さんて、生徒会長さんなの?」

「そう。だから髪も真っ黒にした。ビビったろ。俺も最初見たとき、はあ? ってなったぜ」

「立候補したのかな」

「いや、教師推薦。あいつ、外見はああでも、中身は優秀でリーダーシップに満ち溢れてるから。でも、ぜんぜん偉そうにしやがんねえ。むかつくだろ?」


 刺々しい物言いなのに口の端を上げ、お兄ちゃんは膝を折った。

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