聖女のごとく

 薫子さまは唐突に立ち上がりました。公子はびくうっと肩を震わせます。薫子さまはぐるり書き物机を迂回しすたすたと短い距離を歩み寄ってくる。わたくしの隣の小さな公子は小枝のような膝の上でぎゅっと拳を握りました。


 薫子さまは立ったまま高みから公子を見下ろします。顔が影になっている。公子からだと、薫子さまの表情はよくわからないことでありましょう。



「……あなたは良い子です」



 そんな言葉を、まるで、呪いをかけるかのように。



「あなたが良い子ですればね、わたくしは、あなたを飼ってあげる」



 薫子さまはすっと垂直に膝を折りました。完璧な正座をして。公子の両頬を撫でる。子どもに対するスキンシップというよりは、若いツバメを夜にかわいがってやるときの行為の前戯するときの愛撫のように。


 ねっとりと、性愛のごとく、この子どもの頬を執拗に撫で擦り続けるのです。

「ねえ、どうすればもうにどと捨てられないか、わたくしが教えてあげる」



 薫子さまはオルレアンの聖なる乙女のように。



「犬に、なりなさい」



 戦時中兵士として気丈にも戦いに赴く息子を鼓舞する偉大な母親のように。



「犬に、なれる。あなたなら」



 恋人をみじんも疑わない哀れで愚かな女のように。



「犬に、なりますね?」



 そうやって、そうやって、そうやって。

 呪いを、かけた。

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