第33話 チェイスのち爆弾

「ん? 陽菜」


「あ、りっくん」


 勉強会が終わって日曜の昼頃。解散したあとのこと。

 欲しい本が発売されていることを思い出した俺は、本屋に行ってマンションの前に帰ってきたところ、コンビニの袋を手からぶら下げた陽菜と鉢合わせた。


「そっちはコンビニ帰りか? 欲しいもの言ってくれればついでに買ってきたのに」


「有彩とあたしのアイスだったから。それにあたしもちょっと外の空気を吸いたかったからね」


「そうか」


 俺たちは連れ立って部屋に戻った。


「ただいまー」


「有彩ー、アイス買ってきたよー」


 俺と陽菜が声をかけるが、有彩の返事はない。

 自分の部屋にいるのか?

 少しだけ開いた扉を開け、リビングに入る。

 そこに有彩はいた。


「有彩? ただいま」


 後ろから声をかけてみるけど、反応がない。

 姿勢から見るに、ノーパソを使ってるっぽい。

 ……あ、執筆してるのか。

 

 手元を覗き込むと、キーボードをタイピングしている有彩の手。

 入ってきた俺たちに気が付かないほど集中してるのか。

 その横顔はハッと息を呑んでしまうほどに綺麗で、声をかけてこの光景が壊れてしまうのが惜しいと思ってしまうぐらいに、神聖さすら感じるものだった。

 

「……邪魔したら悪いし、俺たちは部屋にでも引っ込んでようぜ。……陽菜?」


 有彩のみならず、陽菜までもが返事をしてこない。

 怪訝に思い、陽菜の方を見ると、有彩の執筆風景をジッと見つめていた。


「ねっ、りっくん」


 そして、静かに口を開いた。

 有彩に気を遣ったのか、その声は耳元でしか聞こえないほどに静かだ。


「なんだよ?」


 集中している有彩に配慮して、俺も小声で返す。

 すると、陽菜は俺の方を見つめ、微笑んだ。


「――あたしもさ、色々と頑張ってみようと思うんだ」


「急にどうしたんだよ?」


「なんかさ、学校の勉強に小説の執筆、それに家事もやっちゃう有彩を見てるとさ、負けられないなって思ったの」


「……そうか」


「うん。――……負けられない。あたしももっと頑張らなきゃ」


 陽菜は呟いて、冷凍庫にアイスを入れに行った。

 よく分からないけど、やる気になったっていうのはいいことだよな。

 自分の部屋に引っ込んでいく陽菜を見ながら、俺も部屋に戻るのだった。






 次の日。月曜の朝。

 俺は全力で疾走する羽目になっていた。

 別に遅刻しそうなわけじゃないし、なんなら既に学校には着いている。

 では、なぜ俺が校内を全力で疾駆することになっているのか?

 

 ――それは……。


『待てや橘ぁぁぁぁああああああああ!』


 鈍器を装備した暴徒に追い回されているからだ。

 どうやら、どこからか女子を含んだお泊まり勉強会のことがバレたらしく、教室に自分の鞄を置こうとした瞬間に急に襲いかかられた。

 今頃、和仁の奴もどこか違う廊下でチェイスを繰り広げていることだろう。


「誰が待つか!」


 今は余計なことを考えてる場合じゃない。

 とにかくホームルームの時間まで逃げ切ればこの場はなんとかなる! その後のことはその時考えればいい!


 階段を下りようと勢いそのままに曲がり角を曲がると、


「――わっ!?」


「――うおっと!?」


 その先でちょうど階段を上がってきた女の子とぶつかりそうになってしまった。

 女の子は驚いて2、3歩ほどたたらを踏んで後ろに下がってしまう。

 しかし、女の子は階段を上がってきたばかりで、当然足下は平面ではなく、段差。

 

 ぐらり、と女の子の身体が後ろに傾いていく。

 って、ヤバッ!!


「――っ!」


「ぃよっ……と!」


 女の子が声なき悲鳴を上げようとした瞬間、手を引いてこっち側に引き寄せた。

 その子の身体がぽすんと俺の胸の中に収まる。

 かなり小柄だな。陽菜と同じくらいか?

 いや、そんなことより。


「悪い。大丈夫か?」


 女の子に問いかけてみるけど、胸を両手でぎゅっと抑え、口をパクパクするだけで返事はない。

 階段から落ちかけたんだし、無理もないか。

 本当に悪いことをした。


『橘ぁぁぁぁああああああああ!』


「ゲッ!? 来やがった!? 君、足挫いてたりしてないよな!?」


 この子が落ち着くまで傍にいることは出来ない!

 というかこの現場を見られたら火に油だ!


「っ……! っ……!」


「それならよかった! 急いでるから! 本当ごめんな!」


 女の子が慌てて首を縦に振るのを確認して、女の子に背を向けた俺は、後ろの暴徒に詰められた差を広げるべく、階段を全段飛ばしで飛び降りた。


 



「うがががが……!」


「うぐぐぐ……!」

 

 昼休み。

 テスト週間ということもあり、教室内には昼食を食べながら分からないことを教え合ったりして勉強をしている生徒が溢れている。

 そんな中、


「とても勉強をしてるとは思えない唸り声だな」


 机にかじり付くようにして必死に筆記用具を動かしている2人、和仁と柏木に哀れみの目を向けた。

 その様子はいつもより鬼気迫っていて、勉強会の時よりも必死になって勉強をしているということが如実に感じられる。


「まさか、赤点のラインが10点も引き上げられるなんてね」


 2人の様子を一緒になって眺めていた遥が、和仁と柏木に同情の目を向ける。

 この明ヶ崎ではテストの赤点ラインは緩めの25点に設定されていたのだが、学生の本分は勉強であるということから、試験的に今回だけ10点ほどラインが引き上げられることが、急遽職員会議で決まったのだという。


 朝のホームルームでそれを告げられた一部の成績不審の生徒たち(主に野郎)が職員室に襲撃をしかけようとしたりだとかが起こりそうになったけど、それをやったらテストで赤点を待たずに留年に王手をかけることになることは間違いないと伝えたら一瞬で沈静化していた。

 どうやらそこに気付くだけの知能はまだ残っていたらしい。


 そんなこんなで、クラス内では普段から成績が悪い奴(主に野郎)たちが必死こいて机にかじり付いているという珍しい光景を見ることが出来るようになったわけだ。

 おかげで俺も逃げ回る必要がなくなって非常に助かる。


「クソッ、今回も25点だと思ってたから完全に高を括って平日なのに連日徹夜でゲームをやってたのが仇になるとは……!」


「くっ、35点なんて実質100点みたいなものじゃねえかよ……!」


「どうしてこんなことになっちまったんだ……! おいこんなとこ本当に授業でやったか!?」


 クラスメイトのバカがバカなことを言ってやがる。

 お前らが女にモテないのもテストの点が悪いのも全部自業自得だろうが。


「こうなったらやるしかねえか?」


「ああ、やるしかないだろ」


 流石に真面目に勉強する気になったのか? 


『職員室に忍び込んでテスト問題を盗み出すしかねえ!』


 その理屈はおかしいし、その発想が被るのもおかしい。

 が、よく考えなくてもこいつらが赤点をとろうが俺の心にはなにも影響が出ないし、面倒なので放置しておくことにした。


「なあ理玖……俺、この戦いが終わったら結婚するんだ……」


「戯れ言をほざくな。お前にそんな相手なんていないだろうが」


「ねえ、理玖君……私、この戦いが終わったらお腹いっぱいご飯を食べるんだ……」


「好きにしろよ。バカなこと言ってないで早くノート写せ」


 ため息をつきながら、俺は有彩が座っている方を見た。


「ねえねえ有彩、ここってさ――」


「――ここはですね……」


 そこには陽菜の姿があって、一緒になって勉強をしている。

 陽菜はテスト週間なのにバイトのシフトを増やして有彩に教えを請いながら、熱心に勉強をしていた。

 昨日も夜も遅くまで勉強していたみたいだしな。


 ……俺も今回はもう少し頑張ってみるか。 

 陽菜と有彩の様子を確認した俺は、鞄から教科書とノートを取り出した。


「なあ、遥。ここなんだけどさ……」


 あの2人が頑張っているのに、俺だけなにもせずにいつも通りってわけにはいかない。

 遥に教えを請おうと、口を開いた瞬間――。


「――あの、すみません」


 女の子の声が響き渡った。

 ざわめきに満ちていたはずの教室内の中でも不思議とその声はなんの障害もなかったように俺の耳へ届いた。


「こちらに橘理玖さんはいますか?」


 ん? 俺?


「理玖、あの子と知り合いなの?」


「んー、いや見覚えが……あっ」


 もしかしてさっき階段のとこでぶつかりそうになった子か?

 急いでいたからちゃんと見た目とか覚えてないけど、あんな感じだった気がする。


 癖っ毛なのか、あちこちがぴょこんと跳ねた特徴的な髪と小柄な体躯。

 なんと言うか、ゆるふわ系とでも言えばいいのか、そんな感じの子だ。

 胸元のリボンの色は赤、後輩だったか。

 ちなみに俺たち2年は緑で3年は青。

 男子はネクタイで女子はリボンかネクタイを選べる仕様になっている。

 

「やあ、俺が橘理玖だけど、なにか用かい?」


「いやいや実は俺が本物の橘理玖なんだよ」


「このクラスで橘理玖って言えばこの俺しかいないよ」


「えっ!? えっ!?」


 改めて遠目から容姿を確認していると、なんか俺の偽物が複数湧き始めた。

 やめろやめろ、その子めちゃくちゃ困ってんじゃねえか。

 

「お前ら嘘つくなよ。えっと、さっきの子、だよな? 悪いな、こいつらちょっとテスト勉強のしすぎで頭がおかしくなってるんだ」


 呼ばれている以上、流石に黙って見ているわけにはいかないので自分から近寄って声をかけた。

 すると女の子は俺を見上げて、ぱぁっと顔を輝かせる。


「それで、なにか用か? もしかして、やっぱりケガでもしてたのか?」


「いえケガはしていません! 大丈夫です! 橘先輩に改めてお礼を言いたくて!」


「お礼って……あれは俺が悪いんだし、それでお礼を言われるのはちょっとな……」


「あ、それだけじゃなくて、実は先輩にお願いがあってきたんですよ」


 お願い? さっき出会ったばかりの俺に?

 首を傾げていると、女の子はすぅはぁと何度か深呼吸をし――。


「――先輩、好きですっ! 一目惚れしました、付き合ってください!」


 特大の爆弾を投げ込んできたのだった。

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