第3話 信義なき話し合い

 百姓代表で連れ立って物ぐさ太郎をたずねてみたら、相も変わらず、いつもの粗末な小屋(?)で寝ていた。

 たぶん風や光を入れるためだと思うが、小屋の薦が上げられている。なにせ、竹四本と薦以外には壁も扉も垣根もないので、この状態だと割と遠くからでも中の様子が丸わかりだ。本人は気にならないんだろうか。

 小屋の中は大半が「物ぐさ太郎」で占められていて、家財道具らしき物も見当たらない。当然ながら床はなく、むしろが敷かれているだけ。その筵の上では、握り飯が包んであったと思われる竹の皮が、風でかさかさと揺れている。

「起きてくれ、物ぐさ太郎。話がある」

 徳二さんが声を張り上げて呼びかけると、物ぐさ太郎はゆっくりと目を覚まし、寝ころんだまま、のっそりと顔だけこちらに向けた。

 いつも通りの、伸び放題でぼさぼさの髪、あかや土ぼこりで黒ずんだ肌、ほころびだらけで元の色を想像することもできない着物――体を洗うとか、身繕みづくろいするとかいう発想自体がないのだろう。

 手入れをやめると、どれほど人がみすぼらしくなるか。こいつを見れば一目瞭然だ。正直なところ、あまり近づきたくない。

 物ぐさ太郎はきょとんとした目で僕たちを見て、

「何だ? 飯を持って来てくれたにしては、人数が多いな」

 と、不思議そうにしている。

「飯じゃない。おまえに頼みたいことがあるんだ」

 徳二さんはそう言ってから、単刀直入に切り出した。

「この郷に長夫が課せられた。そこでぜひ、おまえに行ってもらいたい」

 それを聞いても、物ぐさ太郎はぼんやりした顔のままだった。

「『ながぶ』? それは何尺ぐらいある物なんだ? 名前からして、ずいぶん長そうだな」

「いや、物じゃない。長夫というのは、長い期間の夫役ぶやくだ。国司様がそれをこの郷にお命じになられたから、都へ行って働いてほしいんだよ」

 途端、物ぐさ太郎の表情が渋いものになる。

「なんで俺が働かなきゃならないんだ。そんな面倒なこと、俺には無理だ」

 こういう反応が返ってくるのは想定内だ。それにしても、面倒だから「嫌だ」ではなく、「無理だ」というのは理屈として正しいのか?

 徳二さんは強気な姿勢を崩さず、かねてから思案していた説得材料を持ち出した。

「俺たちは三年間、おまえに飯と酒を用意して養ってやった。それを少しでも恩義に感じてるなら、長夫を引き受けてくれ。財産のまったくないおまえでも、働くことでなら恩を返せる。これはそのための、ちょうどいい機会だ」

 物ぐさ太郎はまったく動じない。それどころか、こちらを見下げるような目つきで言い返してきた。

「あんたたちが俺を養ったのは、地頭に頼まれたから仕方なく、だろうが。養いたいと思って自主的に養ったわけじゃない。なぜそれを恩義に感じなければいけないんだ?」

 これには徳二さんだけでなく、みんなが言葉に詰まった。

 確かに、こいつが恩義を感じるとしたら地頭様に対してだ。地頭様を差し置いて、命令に従っていただけの僕たちに恩を返せと迫るのは、筋が通らない。

 物ぐさ太郎は大口を開けてあくびをしつつ、

「用はそれだけか? それじゃあ、飯の用意ができたらまた起こしてくれ」

 と断って、再び目を閉じて眠ろうとした。あわてて松吉さんがそれを止めた。

「おまえに長夫を頼むのは、俺たちのためっていうだけじゃない。おまえ自身のためでもあるんだ」

 興味を引かれたのか、物ぐさ太郎は寝るのをやめ、松吉さんを見た。

「俺のため?」

「そうだ。おまえはこんな暮らしを続けてないで、ちゃんと妻を持つべきだ。そのためにも、都へ行ったほうがいい」

 いきなり話が飛躍して、僕はついて行きかねた。

 妻?

 物ぐさ太郎も、松吉さんが何を言わんとしているのか理解できないようで、目をぱちくりさせている。

「なぜ俺が妻を持たなくてはいけないんだ?」

 松吉さんは子供にものを教えるような、もったいぶった口調で疑問に答えた。

「世間では、男は妻を持ってこそ一人前とされている。なぜなら、妻を持つことによって、しっかりした心構えができる。人情の機微きびもわかるようになる」

「それと都へ行くのと、どう関係があるんだ?」

「都の女のほうが、情が深いからだ。美人も多い。田舎の女とは違う」

 本当なんだろうか。都の女がどんななのか知らないが、かわいい子や気立てのいい子なら、この郷にもいると思うけれど。

 そもそも松吉さんって、都に行ったことがあったっけ?

 物ぐさ太郎はと見れば、寝るのも忘れて話に耳を傾けている。それに気づいた百姓代表たちは、これをのがすまいと説得にかかった。

「妻がいるというのは、いいもんだぞ。一度得たら、いなかった頃に戻りたいとは思えなくなる」

「妻にするならやっぱり、田舎の女じゃ駄目だ。野暮やぼったいし、何より人情ってものをわかっちゃいない」

「都の女は、見てくれはもちろんだが、しぐさの一つ一つまで洗練されてる。それだけじゃない。気づかいがうまくて、男に寄り添って支えてくれるんだ」

「女は仕事ができる奴に弱い。都でしっかり働けばきっと、おまえのその姿に女たちもかれるに違いない」

 適当に話を作ってるとしか思えないが……。

 僕も何か口添えしたほうがいいのだろうとは感じたが、みんなの勢いに押されて何も言えなかった。

 一方、物ぐさ太郎は期待に満ちた口振りで、

「都の女は、そんなにいいものなのか。それなら都へ行こう」

 と答えて、明るい表情でうなずいた。さっきまでとは打って変わって、目が輝いている。

 百姓代表たちは互いにそっと視線をかわし、微笑ほほえんでいる。僕は投げやりな気分で、小さくため息をついた。

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