第2話 あいつを都に連れて行け

 かくして、三年の月日が過ぎた。

 春も末の頃。信濃の国司である二条の大納言様から、あたらしの郷に長夫ながぶが課せられた。

 郷の百姓たちを集めての寄り合いが、佐平さんの家で行われた。父の代理として、若輩じゃくはいながら僕も参加した。

「うちの郷に長夫が回ってくるなんて、久しぶりだな。前回は十、いや二十……何年前だ?」

「ここから都まで行くだけでも骨が折れるっていうのに」

「行ったら行ったで、こき使われるんだろ? 俺は嫌だぞ」

「わしだって、この年でそんな重労働は無理だ」

「しかし、この春の内に誰か行かせないと、この郷そのものがおとがめを受けることになるぞ」

「誰を行かせるんだ」

 みんな、視線だけでお互いの顔色をうかがっている。

 行きたい者なんか、いるはずがない。仕事はきつい、行ってる間は自分の田畑の世話をできなくなる、取り立てて報酬があるわけではない……なんていうんじゃ。

 自分が引き受けようという者も、誰かを指名する者も現れない。

 沈黙だけが続いた、その時。

「物ぐさ太郎に行かせてはどうだろう」

 その提案に、みんな一斉に声の主を見た。郷で一番米作りの上手うまい、徳二とくじさんだった。

 すぐに長作ちょうさくさんが反論した。

「餅を道に転がしても、自分で取りに行こうともせず、地頭様に取ってくれと頼むような奴だぞ。引き受けるわけがない」

 徳二さんは余裕ありげで、意見をひるがえさなかった。

「なまけることしか考えてない奴なら、頭の中も単純なはずだ。おだてて、なだめすかして、言いくるめればいい」

 そう言われると、うまくいきそうな気がする。だが別の不安が僕にはあったので、徳二さんにぶつけてみた。

「普段まったく、仕事どころか炊事や掃除もしないような奴に、国司様がお命じになるような仕事なんてできるでしょうか? ろくな働きができなかったら、『こんな無能者を来させるなんて』と、苦情を言われかねないと思いますが」

「それなら大丈夫だろう。あいつはあれでも、家作りの名人らしいから」

「え?」

 聞き間違えかと思った。家作りの名人?

 ぽかんとしている僕に、徳二さんが説明してくれた。

「以前にあいつ自身が話してたんだ。自分は家を作るのが得意で、完成させたらみんな喜んでくれた。築地塀ついじべいも屋根も柱も、見事なものだとほめられた。だけど作るのが面倒過ぎて、一度でやめてしまった、ってな」

 すぐには信じられなかった。やろうと思えば、まともな家に住むことも稼ぐこともできるのに、やる気がないというただその一点のために、なんて。

 今の物ぐさ太郎とのあまりの落差に、

「家作りの名人が、竹を四本立てて薦をかけただけの所に……」

 と、首を傾げながらつぶやいていると、同じように感じたのか、松吉まつきちさんが疑問を呈した。

「名人なんて、本当か? 胡散うさんくさいな。出まかせを教えられたんじゃないのか?」

 徳二さんはきっぱりと否定した。

「いや、俺も最初は疑ったんだが、どうも本当のようだ。その家はどこに建てたんだって聞いたら、善光寺の近くだと」

「ああ。あの辺はずいぶん繁華な所だし、大きな屋敷もあるが」

「だからこの間、行商が来た時にたずねてみたんだよ。そんな家あるのかって。そしたら、『その家なら確かにある。実に立派な出来映できばえで、依頼した商人も自慢している』と言われた」

 松吉さんは目を丸くした。

「まさかなあ……。しかし、そんなことを知ってるのなら、何で今まで俺たちに教えなかったんだ?」

「もう少し調べてからか、善光寺に行った時に実際にこの目で見てから、みんなに話そうと思ってたんだ。だがまあ、行商もわざわざそんな嘘をつくとも思えんし」

 松吉さんは釈然としない顔で、うーんとうなっていた。僕と似たような気持ちなのだろう。

 そんな腕があるのなら、ちゃんと働けばかなりいい暮らしができるはずだ。餅どころか、山海の珍味も思う存分食べられる。それに背を向けてでも、働くのを避けたいのだろうか。

「となると、あいつは都での仕事をこなす能力は充分ある、というわけか」

 そう言って話を戻したのは佐平さんだった。徳二さんはうなずき、

「それだけじゃない。あいつは田畑も持ってなけりゃ、面倒を見なきゃならないような家族もいない。この郷を離れたって何の支障もない」

 と、いかに物ぐさ太郎こそが適任かを主張した。

 他にもまだある、と僕は思う。僕たちがあいつに飯を食わせる負担もなくなるのだ。まさに好機だろう。

 全員が、真剣なおも持ちでうなずいた。最後に佐平さんがうなずき、

「よし。じゃあ、あいつの所に行って説得しなければならん。そのための代表を決めよう」

 と、事を運ぶための段取りに移った。

 代表には年輩の百姓四人が選ばれたが、年齢が近い者もいたほうが、という理由で僕もそこに加えられた。

 善は急げとばかりに、さっそく僕たちは物ぐさ太郎のもとへ向かった。

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