エピローグ

 遅い午後の時間を過ぎた頃。太陽は真上を通り過ぎていた。

 鮮やかな蒼天が広がる空は快晴で、上着を着込んでいると少し暑く感じる。

 やわらかい風が頬を撫でると同時に、止まり木代わりに肩にちょこんととまっていた小鳥が「ピィ」と鳴いた。


 ヴァースにもらった天狼の眷属だ。

 カミルによれば風の中位精霊、風翼鳥ふうよくちょうの雛らしい。

 色鮮やかな蒼い羽根は毛羽立っているものの、よくリトの周りをちょこちょこ飛び回っているから、まさか雛だとは思わなかった。

 精霊は普通の鳥とはからだのつくりそのものが違うから、小さな翼でも飛べるのだろう。


「少し早かったかもな」


 じっと見つめてくる小鳥の頭を指で撫でてやりながら、一人つぶやく。

 独り言なんて怪しかっただろうか。いや、厳密には一人ではないのだから怪しいこともないはずだ。


 この日、リトは仕事帰りに自分の母校、銀竜学園に来ていた。

 目的は学園に通う恋人の送迎のためだ。


 ティスティル帝国は治安がいい国とはいえ、魔族ジェマの国であるため、翼族ザナリールの恋人にとって全く危険がないとは言えない。

 最近まで、リトも身内によって呪いをかけられたり、家族に近しい友人が殺されかける事件に巻き込まれたのだ。

 用心のしすぎということはないだろうと思う。


 学園の敷地内に入れば辺りはしんと静まり返っており、まだ授業中のようだった。

 少し考えてから、リトは久しぶりに中庭へ足を運ぶことにした。


 中央にある小さな噴水のまわりに設置された花壇の中では色とりどりの花が咲いていた。

 休み時間にゆっくりできるよう、ところどころにはベンチが置かれている。

 そのひとつに腰をかけて、ホッとひと息をついた。


「リト、身体はもういいのか?」

「セリオ」


 聞き覚えのある声に振り返れば、壮年の魔族の男が気遣わしげに青い瞳を向けていた。


 答えを返さずにいると、彼は歩いてきてリトの隣に腰をかけた。

 リトの後見人であり、また学園の教授でもあるセリオが、なぜ今ここにいるのだろう。

 今は授業が入っていないのかもしれない。


「身体は別になんともない。そもそも怪我とかしていたわけじゃないし」

「そうか」


 いつも饒舌なのに、セリオはそう返事をしたきり黙り込んでしまった。

 そっと顔を覗き込めば、彼は視線を下に向けたままだ。何か考えにふけっているらしい。


 リト自身も、彼が自分に対して何を尋ねたがっているのかは解っていた。


 だからと言ってそれを直接話題にのぼらせるほど、無神経ではない。

 右も左も知らなかった子どもの頃から恩を受けているのもあって、セリオを困らせたくないのがリトの本音だった。


 二人とも言葉を閉ざしている間も、目の前の噴水は水飛沫をあげている。


 ぼんやりとその音を聞きながら、上着のポケットに入ろうとする精霊の小鳥をつまんで救出していた時だった。


「なぜ、なにも聞かないんだ?」


 ぽつりと、セリオが聞いてきた。

 

 彼がリトの幼い時に記憶を飛ばしたことについて聞いているのは解りきっていた。

 事件の報告はセリオにまで届いているし、ラディアスのそばにいる天狼の存在もきっと知っているだろう。


 風魔法の【忘却の風アムネジア】は相手の記憶を吹き飛ばす呪いで、エルディスが使った呪いとは違うが解呪が難しい。


 ただ、例外として天狼のような風の中位精霊なら、散らばった記憶を拾い集めることが可能なのだ。

 現にエルディスの屋敷に現れた時、すでにヴァースは飛ばされたリトの記憶をすべて拾い終えていた。

 学園の教授であるセリオは精霊について詳しい知識を持っているし、自分のかけた魔法がすでに解けていることを察したのだろう。


 少し考えてから、リトはてのひらに小鳥をのせる。


「セリオが記憶を飛ばしたのは、ぜんぶ俺のためだったんだろう? たしかに俺はおまえの家族には馴染めなくて家を出たけど、それはセリオを信用していなかったからじゃない」


 彼は何も答えなかった。

 目を泳がせていて、まだ動揺しているようだった。


 ため息をつきそうになりつつも、リトは再び口を開く。


「たぶん、俺がセリオの立場だったら、同じように記憶を飛ばしたと思う。辛い記憶に心が折れないよう俺を守ってくれてたんだよな。ありがとう」


 両親がともに姿を消した時、リトは五歳だった。

 千年もの長い寿命をもつ魔族ジェマにとって、わずか数年しか生きていない子は赤ん坊に等しい。

 彼が選び取った道はどう考えても、子どもの心を守るための行動だったとリトは思うのだ。


「そう言ってくれるのか、リト」


 目に涙をにじませた後見人の声は震えていた。

 思わず慌てそうになったが、彼はジャケットの内ポケットから取り出したハンカチで目尻を押さえただけだった。


 ふぅ、と息を吐いてから、改めてセリオは向き直って聞いてくる。


「エルディスとは会うのか? 会わない方がいいとは思うが、おまえがどうしても面会したいと言うのなら、女王陛下に掛け合ってやるぞ?」

「会わない。もう二度と顔を見ないと心に決めたんだ」

「そうか」


 エルディスが手を出したのは身内だけではない。

 友人のラディアスに殺しかけたばかりか、ラァラをさらって呪いをかけようとした。

 もう血の繋がった父だからと許せる範囲を大きく超えた悪行だ。


 リト自身も散々悪事に手を染めていた時期があったからか、再会したばかりの頃はエルディスに対して完全に拒否ができなかった。


 けれど、今回の事件に遭ってから、リトはラァラや友人達を選ぶことにしたのだ。

 守るべきものをしっかり守れるように、父とは決別する覚悟でいる。


 ふと空をあおぐと、チャイムの音と共にたくさんの賑やかな声が聞こえてきた。


「授業が終わったみたいだな。じきに生徒達も出てくるだろう」


 そっと目を閉じ、穏やかな微笑みを浮かべながらセリオはそう言った。

 リトは立ち上がり、振り返る。


「じゃあ校門に行ってくる。今日は客人が来るんだ。ラァラもすぐに出てくるだろ」

「客人?」

「ゼルスにいるラァラの養い親が挨拶にくるんだ。すごく楽しみにしてて」

「そうか。気をつけて帰るんだよ、リトアーユ」


 笑顔で頷いてから、リトはきびすを返して校門へと向かった。

 手のひらにいた小鳥は小さな羽根を広げ、再び肩にちょこんととまる。


 人生の半分くらいは長く生きてきたけれど、ここ数年で色々な出会いと別れがあった。


 友人は片手では足りないほどにまで増えたし、今はかけがえのない大切な人もいる。

 なにより見てくれはまだ未熟な青年の姿だが、きっとこれから成長していくにつれて背だって伸びるだろう。


 今まで経験してきたたくさんの記憶が宝だとしたら、この先に無限に広がる未来だって尊いものに違いない。


「リト!」


 人混みの中から自分の姿を見つけたらしい翼の少女が小走りに向かってくる。

 幸福を感じながら、リトは顔を上げて綻ばせた。


 もう二度と、この尊い宝を手放したりはしない。

 自分の手で選び取った道を歩いていくのだと。


 胸のうちでひそかに決意をして、リトはラァラの小さな手を取ったのだった。

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迷子の鴉と風色の主治医 依月さかな @kuala

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