第2節 小鳥の反撃

 今まで手に入らないものなど、なかった。

 妻が置き手紙を残して出て行くまでは。






 太陽が空の真上を通り過ぎた後、エルディスはある部屋へと向かっていた。

 数多くある客間の一室にすぎないその部屋は、リトの恋人である翼の少女ラァラが泊まっている部屋だった。


 滞在とは名ばかりで、実際のところは軟禁に近い。


 部屋には鍵をかけていて、出入りできないよう制限をかけてある。

 拘束だけしていないだけまだマシだろう。


「リトアーユが構ってくれないから、話をしに来たよ」


 部屋の扉を開くと、ラァラは椅子にちょこんと座っていた。

 机の上には本やノートが開きっぱなしで置かれている。勉強をしていたらしい。そういえば彼女は学園に通っていたんだったか。


「リトは無事なの?」

「起き上がれるようになったみたいだね」


 にこりと笑って答えれば、ラァラは胸のあたりに手をそえ、ほぅっと息を吐いた。


「良かった」


 心底安心したと言わんばかりの表情だ。

 ふと思いついて、エルディスは尋ねる。


「心配かい?」

「うん、心配。リトは、心臓が悪いから。ラトも居ないし、すごく心配」

「そうだね」


 可哀想に、と思う。

 こんなにラァラは心を痛めているのに、なぜ息子は反抗的なのだろう。


 俯いたまま視線を落とす翼の少女が哀れに映り、エルディスはその小さな頭をそっと撫でた。


「会いたいかい?」

「うん、会いたい」


 ラァラの望みは叶えてやりたい。

 けれど、自分がラァラを伴ってリトのもとへ行ったって、息子はまた自分を拒否するだろう。

 また彼のそばには精霊の動きを阻害させる人間の剣士もいるのだ。


 どうするか。


 エルディスは考えた。

 よく考えた上で、彼女に〝提案〟してみることにする。


「じゃあ、一緒に会いに行こうか」


 少女の頭に手をのせたまま、エルディスは小さく魔法語ルーンを唱えた。


 選び取ったのは【使い魔ファミリアー】。相手を使役し、五感を共有する魔法だ。


 ラァラを使役した状態なら、息子は無下に自分を追い返したりしない。あの人間の剣士も簡単には自分に手出しできなくなる。

 エルディスはそう考えたのだった。


 リトのそばにいた天狼も邪魔してくるだろうか。


 そうだとしても、エルディスにとって中位精霊はあまり脅威にはならない。

 人に攻撃することができない制約があるかれらを、思う通りに動かす方法などいくらでもあるのだ。


 もう一度、初めからやり直してみよう。


 記憶も人脈も、なにもかもまっさらな状態に戻す。


 今度は誰にも邪魔させない。他人をこの館に入り込ませはしない。

 この世界には自分たち家族はいれば、それでいいのだから——。


「……ぐふっ」


 小さな振動のあと、突然口から血があふれた。


 なにが、起こっているのだろう。

 これは自分の血だろうか、と滴り落ちる赤い雫を見つめる。


 世界が停止し、闇が侵食する。


 暗くなり始めた視界の中、翼の少女は藍色の瞳でじっとエルディスを見上げていた。


「急所は外してる。わたし、ここでじっとしてるワケにはいかないの」


 ずるり、となにかが引き抜かれる。

 途端に脇腹のあたりから血が流れた。勢いよくあふれた血が、少女の顔や衣服を赤く染め上げていく。


 ここにきてエルディスはようやく気づいた。


 彼女の小さな手には、手のひらにおさまるほどの仕込み刀が握られていたのだ。


(まさか、そのような武器を持っていたとは)


 言葉を声にのせることができなかった。

 肺でも傷ついたのだろうか。声が出ないし、呼吸さえままならない。


 だんだんと視界が狭まっていく。ついにエルディスは膝をついて、床に座り込んでしまった。


 しかし翼の少女が緋色の魔法使いに駆け寄ることはなかった。

 にこりとも笑わず口を引き結んだまま、開いている扉から堂々と出て行ってしまったのだった。

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