第6節 厨房ジャック
朝の厨房はそれなりに忙しそうだった。皆忙しなく動き回っていた。
リトやロッシェ、そして人外の精霊にはなかなか気付かないようだった。
最近まで、この屋敷はもぬけの空だった。
父が不在の時は雇った数人の使用人に管理を任せていた程度で、リトはほとんど寄り付かなかった。
ましてや厨房に料理人が立っている光景を見るだなんて、何百年ぶりだろうか。
「えっ、リトアーユ様!?」
卵を抱えた一人の料理人がリトを見て目を丸くする。
幼少から知っている人物ではないが、さすがに雇い主の息子の顔は覚えていたらしい。目を丸くして近づいてきた。
「どうされたのですか? エルディス様の許可なく屋敷内を歩き回ってはダメですよ。朝食ならこちらではなく、食堂に……」
「いや。食事は部屋で済ませたいんだ」
父自ら雇い入れただけあって、厨房に立つ料理人でさえもエルディスの息がかかっているらしい。予想していた通りだ。
なのに、リトは内心苛立ちを覚えていた。
父が放り投げた爵位は自分のもので、まだほんの子どものうちからリトはウィントン家の当主だ。
開発部の所長という立場は学園を卒業してから就いたものの、もう何百年もの間リトがずっと家を継ぎ守ってきた。
この本邸だってリトのものだというのに。
どうして使用人達も、このコック達も、エルディスを主人扱いするのか。
言いたいことは色々あったが、言っても時間の無駄であることは目に見えていた。
頭に浮かんだ言葉をすべて飲み込み、冷静になれと自分に念じる。
「ですが、部屋に運ぶのは固く禁じられていまして——」
「ああ。だから昨夜も食事がこなかったんだね」
コックの言葉を遮り、ロッシェが自嘲気味に笑う。今のは完全に皮肉だ。
というか、発作で倒れていた自分はともかく、彼は食事抜きだったらしい。なんてひどい。
「……じゃあ、食事は運ばなくていい。俺が自分の分は厨房で作り、部屋で食べる。それならいいだろう?」
「ええ!? いや、それはちょっと。ちょっと料理長に聞いてきますね」
「なんか面倒くさいね。もうみんな黙らせないかい?」
こちらが他の手段を提示したというのに、若い料理人は慌てるばかりで聞き入れてくれそうにない。まあ下っ端だからなんだろうが。
ため息をつこうとした時、ロッシェが物騒なことを言うものだから、リトは思わず友人を見上げた。
「そうだね。少し黙っていてもらおうか」
腕を組んで佇んでいた天狼までもが、口角を上げてとんでもないことを言い出した。
止める間もなく、かれはすぐに行動した。
少し広げた翼が青く発光し、ふわりと風が吹き、リトの髪や服をあおる。
途端に若い料理人が口をパクパクさせたままそれ以上喋れなくなってしまった。
「さすが天狼君、【
「私は人を傷つけることはできないけど、こういう方法なら問題はないはずだよ。君もこの子達を傷つけるのは嫌だろう?」
「うん、そうだけど」
広げた翼をたたみ、天狼は機嫌よく長い尻尾をひと振りする。
「さあ、準備は整ったよ。リト君、ラディアスに食べさせる食事を作ってもらえないかな?」
「もちろん最初からそのつもりだ」
心から喜んで、リトは頷いた。
ご馳走はさすがにまだ無理だろうけど、元気になれるよう栄養たっぷりのものを作ってあげたい。
* * *
一通りの食材は揃っている上に、調理器具がなんでも揃っていた。
ひとまず病人食といえば、粥が頭に浮かんだので作ってみることにする。
小鍋に水や米、調味料を入れてコトコト煮る。ただの粥も栄養面ではなんだか心配なので、野菜や白身魚を薄く切って入れてみた。
立ち昇る湯気と一緒に香りが漂ってくる。
あり合わせで作ったにしては美味しくできたのではないだろうか。器に盛ったら、最後にネギをのせてやろう。
やっぱり料理をするのは好きだ、と機嫌よく火を止めていたら、包丁を持ち上げた天狼がまな板と見比べて尻尾をパタパタ振っていた。
「へぇ、面白いな。これをこうしてああするとこうなるのか、ふぅん」
人の使う物に興味があるのか、包丁を裏返して下から覗いたりしている。なんだか楽しそうだ。
それは構わないのだが、包丁の先を上に向けたり左右に向けたりブンブン振り回し始めたので、リトはぎょっとした。
「天狼君、それは包丁の刃だから、人に向けちゃいけないよ」
見るに見かねたのか、リトが止めるよりも先にロッシェが注意してくれた。
人懐っこい性格のかれはきょとんとした後、素直に言葉を聞き入れまな板の上にことりと包丁を置く。
「それもそうだね。君やリト君が怪我をしては大変だ。ラディアスも悲しんでしまうね」
「そうだな。まあでも、人族の生活習慣に関してはお前も分からないことだらけだと思うし、ラディアスが元気になったら聞いてみるといいさ。はい、これ熱いから気をつけろよ」
粥を入れた厚手の保存容器を紙袋に入れて、リトは天狼に手渡した。
蓋付きなので多少傾いてもこぼれたりはしないだろう。
「袋の中に匙が入ってるから、ラディアスにゆっくり食べさせてやってくれ。無理に全部食べなくてもいいから」
「うん、解ったよ。ありがとう、リト君。早速ラディアスに食べてもらうことにするよ」
袋を抱えて嬉しそうに満面の笑みを浮かべた後、くるりと振り返ってあっという間に窓から飛び立って行った。
窓から出て行くあたり自由だし、さすが風の精霊だなと思う。
さて、自分達の食事は別で作るか、と氷室の扉を開けたら、腕を組んだロッシェがぽつりとつぶやく。
「やっぱり何かを掬って食べるには匙が必要だよねえ。すぐに気付いて用意するあたり、リト君は誰かさんに似なくて本当に良かったと、僕は思うよ」
「何言ってんだお前」
粥を食べるのに、匙は必須なのは当たり前だろうに。
時々妙なことを言い出すところがあるのは知っていたが、友人は何を考えていたのか。
リトにはよく解らなかった。
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