第2節 不良な所長は、成長した部下に文句をつける

「いい加減、観念したらどうだ。リトアーユ」


 数日前にカミルが置いていった作りかけの魔法道具マジックツールを調べていると、そう声をかけられた。

 いい加減相手をするのも億劫になって、気だるげに顔を上げる。

予想通り、見覚えのある顔ぶれがそこにいた。


 上司のデスクに堂々と両手をついて不遜に見下ろしてくるのは、薄いグレーの双眸。

 肩より長い深紅の髪をひとつにまとめた背の高い吸血鬼の男。

 レイゼル・ヴィ・シューザル、それが彼の名である。


「何のことだ?」


 もとより彼が言いたいことは解っている。しかしあえてリトは、素知らぬフリを決め込むことにする。

 するとレイゼルは、デスクの上に一枚の書類を置いた。そしてある箇所をトントンと叩いて、指で示す。


「この魔石の数値はおかしいだろう。在庫数と合わない。また手をつけたのか?」


 まるで、どこかの次長のようなセリフだ。

 いつもなら数を誤魔化しても大抵は部下たちにはバレないというのに、どうして新人の彼がいち早く気づくのだろうか。 


「……レイゼル、最近妙な知恵をつけてきてないか?」

「リト、質問に質問で返すな」


 黙ったまま静観していた、レイゼルの隣にいる魔族ジェマの男がすかさず反論する。

 短く切りそろえられた黒髪に、鋭い目つきで睨んでくるのは濃灰色の瞳。最近入ってきたばかりの新人、スティル・フェルキアだ。


 傍目から十代後半ほどの青年に見えるリトにたいして、彼は三十代を過ぎるほどの大人の顔付き。

 そのせいか、彼は研究所に所属してからというものの、上司に対して敬語を使ったことがない。

 横柄な態度のリトに負けず劣らず、スティルの口調は基本的にぞんざいで、時にははっきりとした物言いで毒を吐いてくることもある。


 しかし今回は、レイゼルについて来ただけのようで、ひとまずそれ以上は何も言わなかった。

 隣のレイゼルがリトのデスクに体重をかけたまま、にやりと笑う。

 

「数字で幾ら誤魔化そうと、書類を丁寧に確認すると分かるものだ」


 ……レイゼルって、こんな理知的なことをあっさり言ってのけるキャラだった、だろうか。


「二人とも、ライズに何を吹き込まれた?」


 思い当たるのは一人しかいない。

 事実、レイゼルとスティルはライズの部門に所属している研究員だし、彼らの教育も次長である彼が担当していたはずだ。


「リトもどうせバレるのだから、こんな不毛なことをいつまでも続けなくてもいいだろう。早く、数字を訂正しろ」


 なかなか手を動かそうとしないリトに痺れを切らしたのか、スティルは眉を寄せてそう言った。

 鋭い眼光と言葉が、リトの心に突き刺さる。


「……ライズのヤツ、覚えてろ」


 鋭い二人の目線に見守られる中、諦めてリトは羽ペンを取った。

 しぶしぶと適正な数字を書き込みながら、恨み言のようにそう呟いたのだった。






 王立魔法道具マジックツール開発部の研究施設内には、共用の仕事場にもなっている開発室がある。

 リトが普段こもっている所長室をすぐにその共用スペースに入り、さらに奥の方へ進むとデスクに向かうライズの姿が目に入る。


 数多くあるデスクの中でも、ライズのデスクはすぐに人目を引く。

 分厚い専門書を塔のように高く積み上げられ、もはや衝立のようである。外界が目に入らないから集中しやすいのか。彼はこちらから声をかけない限り、絶対に振り返らない。


「ライズ、レイゼルとスティルに何を教えているんだ」


 ぴくり、と動きが止まった。

 顔を上げて振り返ると、白衣姿のライズはにやりと笑う。


「仕事に決まってるだろ。他に何を教えるってんだよ」

「書類訂正の申請してくる時のあいつら、おまえみたいになってないか?」


 数字に関して過剰なくらい正確になっているところとか、正論を突きつけてくるところとか。

 レイゼルなんかは、ついこの間までは書類仕事などやる気が出ないからしないとボイコットしていたというのに。


「毎日一緒に残業してれば似てもくるって」


 にっこりと満面な笑みを浮かべるライズを見て、リトは思う。

 絶対に嘘だ。


「余計なことばかり教えてるだろ」

「リトが余計なことばかりしているんだろ。おまえが誤魔化した書類の訂正が、一番時間がかかるんだからな」


 それは、そうだろう。

 微妙な差で誤魔化して、実際の数値と書類上の数値を照らし合わせなければ分からないように操作しているのだ。

 大抵の研究員は自分の研究分野に夢中だから、ライズほど丁寧に確認しないから、バレなかったのに。


「レイゼルはともかくスティルまで味方につけたな。やっぱりあいつは俺の部門に入れておくんだった」


 今さらすぎる後悔だが、一応言ってみる。すると、ライズはくすくすと笑い出した。


「そしたら今頃、下克上されてるんじゃないか?」

「スティルはそんなことを狙ってるのか?」


 いつも無表情に近い、大人びた顔の彼を思い浮かべてみた。

 育ちが悪いからとあまり敬語を使わないが、スティルは仕事はきちんとこなす真面目な性格だ。出自も過去も不明だが、今のところ怪しい行動は取っていないように見えるのだが。


「あいつは狙ってないと思うけど、気づいたら立場逆転してそうだよな」

「…………」


 たしかに生真面目な彼ならば、本人が気づかない間にあらゆる方面から高く評価されているかもしれない。

 それに引き換え、リトは素材を着服するし書類を不正するしで、問題大アリである。


「だから諦めて、真面目に仕事したらいいだろ」

「俺は真面目に仕事している。……最近、トラブルも少なくなってきたしな」


 突然声量を落としたのはわざとだ。

 リトの言わんとしていることを察したのか、ライズも神妙な顔つきになった。


「そういえば、あの人最近静かだよなー。何してんだろ?」

「俺が知るか。考えたくもない」

「ディア様は相変わらず警戒してんの?」


 ライズが〝ディア様〟と呼ぶ人物は、半年ほど前にリトと同居を始めたラディアスという名の青年だ。

 実を言うと国を出奔したティスティル帝国の王兄なのだが、ワケありで王宮には帰りたくないようなので匿ってあげていた。


 ――のだが、リトの自宅を頻繁に訪問するライズにいつまでも隠し通せるはずもなく、彼には早々にバレてしまったのだ。

 今ではラディアス本人の気持ちを汲み取り、ライズも王宮には報せない方向で了承してもらっている。


「そうみたいだ。俺と一緒の時は離れようとしないし、本宅には一人で行くなと繰り返し言うからな」


 ラディアスはリト以上にエルディスに対する警戒心が強い。

 事あるごとに、多い時は日に何度も警告を重ねてくる上に、彼が住む本宅には近づこうともしないのだ。


「ディア様が言うなら、考えたくないとか言ってないで、リトもちゃんと警戒してろよ」


 そう、リトは考えたくない。

 ずっと前に出て行った父の顔は、数百年の月日の間、すっかり忘れてしまっていた。

 それは、父と過ごした幼少時代の記憶がおぼろげなせいなのだけれど。


 どうして、憶えていないんだろうか。


 なぜ父が出て行ったのか。

 どんな経緯で、セリオがリトの後見人になったのか。

 まったく思い出せない。


 それでも間違いなくエルディスは、リトと血の繋がった親子であるはずだ。


「だが、他人ならまだしも、一応あれでも親らしいからな。親子の縁となると、また違ってくるんじゃないか? よく分からないけど」

「だって、リト、実感ないんだろ?」

「ない」


 そんなものは、ない。

 まだ幼い子供だった自分を置き捨てていくし、再会するなりラディアスを人質にして脅迫してくる始末。

 そう、リトはエルディスに捨てられたはずなのだ。

 なのに、どうして今さら戻ってきたのか。


「自分で言うのもなんだけど、魔族ジェマって一般的には怖いイメージだしさ。それには理由があるわけで、たとえ親子でもよく知らない相手には、簡単に気を許しちゃいけないと思うな」

「……そうだな」


 ティスティル帝国は魔族ジェマの国だ。よって、貴族は魔族ジェマばかりである。

 ライズやラディアス、そしてリトの後見人であるセリオは比較的温和で他種族にも友好的だ。

 けれども、中には他種族に手をかけずとも、思うままに利用する道具として見る危険な貴族もいる。

 以前のリトもその傾向が強かっただけに、ライズの言葉は否定できない。


 であるならば、やはりエルディスに対する警戒は強めておいた方がいいのだろう。

 今は大人しいものの、なにかを企んでいるのは間違いない。あの笑わない橙色の瞳を見ていると、いつも心臓が凍えるのだ。


 ひとしきり話に結論がつくと、二人の間に沈黙が流れた。


 ふと時間が気になって壁掛け時計を見ると、もうすぐ定時になろうとしていた。


「じゃあ、俺はもう帰る。終業時刻だし」


 きびすを返すと、背後でライズは声をあげる。


「あー! またオレたちに残業押し付けて帰る気だな!」

「ラァラの迎えがあるから、俺は残れない。ラトも屋敷で待ってるだろうし」


 彼女はか弱い翼族ザナリールの少女なので、迎えは必須だとリトは考える。

 同じ翼族ザナリールの恋人を持つライズもおそらく異論はないのだろうが、納得していないらしく、不満げな顔をしていた。


「お前が仕事増やしといてよく言うよ!」


 振り返ると、ライズが眉を寄せて不機嫌そうにしている。

 まったく悪びれた様子を見せず、リトはにやりと笑った。


「明日は俺も手伝ってやる」

「むしろ、お前が主体でやれ!」


 これ以上長居をすると、彼の説教が始まってしまいそうだ。

 早く退散してやり過ごすことにする。


 鋭く睨みつけてくる彼の瞳に向かって、リトはいつものように自然に笑った。


「分かったから。とにかく今日は帰る。また明日な、ライズ」


 今度は振り返らずに、リトは研究所を出た。


 明日になれば、きっとライズも機嫌を直すだろう。


 もし、まだ怒っているようだったら、書類の数値を全部元に戻してやろうか。

 いくら反応が面白いからと言ってからかいすぎるのも良くない。仕事を増やしすぎてパニックさせるのも、なんだかかわいそうだ。


 そして、午後からは、中途半端に終わった作りかけの魔法道具の検分をしよう。

 ティオにも書類の記入方法を教えてやらないといけない。

 

 明日以降の予定が次々と浮かび、リトは静かに微笑んだ。


 予定が押し寄せて、毎日は忙しい。

 けれど、今まで以上にリトはしあわせを感じていた。


 家族や同僚、友人たちと過ごす日々。

 もう独りじゃない。

 くる日もくる日も、たくさんの人たちに囲まれて過ごし、そしてその生活にすっかり慣れてしまっていた。


 だから、リトは忘れていたのだ。

 いつものような〝明日〟が必ず来るだなんて保証は、どこにもないことを——。

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