第32話 広告制作会社から仕事の依頼

 四年たった現在、カナは四歳になる。ぼくの幸せは最高潮のまま、まだ収まりそうにない。

 広告制作会社から仕事の依頼が舞い込んで、ぼくは電車で打ち合わせに出かけることになった。朝、カナとイチゴちゃんの幼稚園の登園と一緒に家を出た。祥子が幼稚園へ送るといって一緒だった。カナとイチゴちゃんと手をつないだ状態の祥子とキスをしてわかれ、駅へ向かった。

 広告制作会社なんて自前で撮影スタッフをもっているはずなんだけど、どういうわけでぼくに依頼がきたのか不思議に思っていた。今回の仕事は、スイス大使館を通じて依頼があったスイスの観光局の仕事なのだと説明された。以前撮ったマッターホルンの写真がスイス大使館のなんとかいう人の印象にのこっていたらしく、それであの写真を撮ったカメラマンに撮らせろとなったらしい。

 マッターホルンの写真は賞にだす予定で撮ったけど、賞にださずに終わってしまったというかわいそうな写真だった。ぼくがスイスで賞をとってしばらくして、国内でも仕事がもらえるようになったころに写真を掲載したいという雑誌があって、載せてもらったことがある。せっかくだからと、雑誌掲載に合わせて個展もやった。

 大使館の人は雑誌で見たのか、個展で見たのか。学生のころからとにかく人に見せろと言われつづけたのはこういうことだったのかと思った。

 打ち合わせには、担当者と、その直属の上司という人が出席して対応してくれた。打ち合わせのあと雑談になった。上司の人は、奥さんとは社内結婚だったんだけど、その奥さんがぼくと同じ専門学校を卒業していると言った。ぼくのプロフィールを見て気づいたらしい。奥さんの年齢はぼくのひとつ下だったので、同じ学校でも面識はないですねと答えた。写真科を出たわりには撮影の部門に配属されず、結婚を機に退社してしまったんだそうだ。今は専業主婦をしているそうで、うらやましい限りだ。祥子は、年に何冊も本を書かないといけないから、ちょっとかわいそうだと思う。あまり小説のことを考える時間がとれないらしい。専業主婦でもやっていけるくらいの稼ぎがぼくにあれば、余裕をもって小説を書くこともできるんだろうけど。

 依頼を受けることにして、ぼくは仕事でスイスに撮影にでかけることになった。共同事務所が四年たって軌道に乗ってきたと思う。ぼくと沙希さんで事務所内コンペをすることにして、ふたりで撮影する。すると、旅費が二人分だせる。子供二人と祥子と、沙希さんの旦那さんの分の旅費は福利厚生目的でだせるんじゃないかと思う。それでふた家族でスイスへ出かけられる。このアイデアを提案するつもりだ。


「そんなわけない」

 沙希さんの答えは明快だ。ぼくが考えていたのは慰安旅行というものらしい。これは従業員の慰安であって、家族の分は出ないのが当たり前なんだそうだ。それに、ぼくが考えたアイデアでは、従業員は仕事になる。仕事に家族がくっついてきて、家族の慰安をするなどあり得ない。いわれてみれば納得だった。

「わたしの分は、自分の取材費使えるよ?」

 祥子はあきらめなかった。

「子供二人の分と沙希ちゃんの旦那さんの分をふた家族で折半する?」

「夫は会社勤めだから、休みがとれるかわからない。それぞれの家族で自分たちの費用は負担すればいいよ」

 祥子の顔色をうかがうと、うんとうなづいた。どうやら、みんなでスイスに行くというアイデアは採用してもらえそうだ。

「休み取れなかったら、旦那さん留守番になっちゃいますか」

「たまには一人になるのもうれしいんじゃないかな、きっと」

「じゃあ、ちょっと話してみてください」

「楽しみになってきた。カズキ、ナイスだよ」

「そう?みんなで楽しめるといいね」

 沙希さんの旦那さんは、なん人かの部長からハンコをもらって五日間まるまる休みを取ることに成功した。ハンコをもらいにいったとき、あたらしい奥さんでももらって新婚旅行に行くのかと言われたそうだ。たしかに、勤め人が一週間まるまる出勤しないなんて、なかなかないのかもしれない。旦那さんは、ひとりで留守番することをまったく歓迎しなかったんだろう、そんなに必死になって休みをとるなんて。

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