9−6「動揺と認識」

『…ありがとうございます。』


人気のない警備員室。


小岩井翼さんは寒そうに近くの椅子に収まると、ロッカーで見つけた上着をぎゅっと握る…着る時に見えてしまったのだが、彼女の背中にはまだ痛々しい縫合された跡があり、先ほどのテレビの話が本当だとするならば、彼女はファンの男にナイフで背中を一突きにされて、今朝方に死んでしまったということになる。


…それにしても、先ほどまで彼女に挨拶していた大賀見はどこに行ったのか。


僕は周囲を見渡すもやはり大賀見の姿はない。


こんなところに死んだ人間を放置してどうするつもりなのか。

そう、彼女はすでに死んでしまっていて…


そこまで考えたところで僕は自分の意識がぐらりと揺れるのを感じる。


そう、そうなのだ。彼女はすでに死んでいる。

夢を追っていた子だったのに、幸せになっていると信じていたのに…彼女は。


『あの』という声に顔を上げると、まだ不安そうな小岩井さんが僕を心配そうに見つめていた。


『…大丈夫ですか?なんだか顔色が悪いようなんですけれど。』


(そっちの方が随分悪い感じなんですけど)という言葉を必死に飲み込み、僕はなけなしの胆力で彼女に話しをする。


「…あの、以前お会いしませんでしたか?具体的には昨年の12月くらいに。僕、清掃員で就職採用された初日に貴女にあった気がするんですけれど…」


『んー?』と腕を組んで首を傾げた後、彼女はポンっと手を叩く。


『…もしかして、妹の話ですか?みなさん、よく間違えられるんですけど、私たち一卵生双生児の双子なんです。妹なら去年の冬に短期間ですけど清掃業の仕事をしていたそうで…もしかして、その時にお世話になった人ですか?』


数秒の沈黙。


「…ええ!?」


いやいやいやいや、そんなの聞いていない。

いや、知るわけもないのだけれど。


…でも、でも確かにそれなら納得がいく。


『妹は1月にオーディションに受かって、最近、歌手としてシングルデビューしましたよ。歌は上手いんですけど、あの子はなかなか芽が出なくって。』


いやー、それなら良かった…いや、良くは無いな。

姉がこうして死んじゃっているんだから。


悶々としている僕に対し、翼さんは『はーあ』と大きく溜息をつく。


『あの子は、お金も無いのに一人暮らしで。お姉ちゃんの世話にはなりたく無いから生活費も自分で持つとか言い張って…どこか意地っ張りなところがあるんですよね。私も随分ヤキモキしていたんですけど。でも、歌手としてようやく世間に認めてもらえて良かったです…女優は色々と大変ですから。』


どこか、物思いに沈む翼さん。

…その時、警備員室の外から声がかかった。


「何やってるんだい!死人と油を売るなら、掃除を終わらせちまいな。」


みれば、警備員室の窓からエージェント・カサンドラが覗いている。


僕は慌てて外へ出ようとするも翼さんが中にいることを思い出し、カサンドラの元へ相談しに行く。


「…はあ、死人が増えた?そんなこと。こっちじゃあしょっちゅうだよ。テレビで報道された死んだ女優や男優のほとんどがここに来ちまうんだ。テレビは死んだ人間を本名で報道するだろう?それを大賀見が見ていて呼び寄せちまうんだ。名前で縛られているから何するかわかったもんじゃない…ほっときな。」


そう言って、カサンドラは警備員室の窓下に溜まったホコリを見る。


「全然綺麗になっていないじゃないか。さっさと綺麗にしないと。」


「…あ、はい。」


僕は掃除の続きをしようと途中で放り出してしまっていた床用のモップを起動するも、カサンドラは「違う、違う」と声をはりあげる。


「床の清掃は机や床上のホコリを全部払った後。そんな常識的なこともできないのかい…歳はもう30超えてるんだろ?どんな教育を受けてきたんだい。」


「すみません。」


慌てて雑巾を探そうと思っても、そもそも場所を教えられていないため、どこにあるかすらわからない。でも、気が急いているせいで、とにかく行かなければならないと思い慌てて歩き出そうとすると後ろでカサンドラが溜息をついた。


「…雑巾はこのモップがある清掃棚の一番上。洗うための水はその隣のトイレの手洗い場を使いな。」


僕は「はい」と小さく声をあげてノロノロと歩いていく。

その後ろでカサンドラがブツブツ言うのが聞こえた。


「…ドグラが連れてきたからできる奴だと思っていたのに。なんでいちいち教えなきゃいけないんだ。ただでさえ時間が押しているっていうのに…。」


その言葉に僕の心がズキンとする。


ふと前に勤めていた職場のことを思い出す。

確かあの場所もこんな雰囲気だった。


人手不足で仕事が回らず気持ちが荒んだ状態で、それでも仕事はこなさなければならずに焦りが募って人に当たってしまう…多分、カサンドラは部下2人を失っているせいで精神的にもかなり追い詰められてしまっているのだろう。


(彼女は、どうだろうか。)


僕は置いて行ってしまったことにかすかな後悔を覚え、警備員室の中を見る。

そこにはテレビの消えた室内で翼さんがまだ小さくなっているのが見えた…


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