第30話 ゴッド&ゴースト(完)

 広い会場に百人ほどの報道陣が詰めかけていた。人だかりの一番後ろの壁際で、本田優は居心地が悪そうに辺りを見渡している。会場の正面は、一段高くなっていて、背には金屏風がある。金屏風の上には、『第〇〇回 〇〇賞・〇〇賞贈呈式』と記された看板が、天井から吊るされている。優は、百万ドルの夜景を眺めているような溜息を吐きながら、スマホで一時を切り取る。

 二年前、突然、姉である本田公香の書籍化が決定した。新人賞に応募していたのかを尋ねると、『知り合いの紹介』だと、公香は言っていた。そんな事もあるのだと驚いたが、毎日毎日執筆をしていた事が報われて、優は素直に嬉しかった。勿論、家族全員喜んだ。作家業は、大変だろうと心配していたのも束の間、公香の作品は順調に重版を重ね、一気に人気作家の仲間入りを果たした。しかし、その事については、優はたいして驚いてはいなかった。公香の作品は面白い。優は、誰よりも信じ、最早確信していた。その優の想いが、こんなにも早く分かり易い形で、世間に伝わる事に、感無量であった。

 司会進行役がマイクで話し始めると、会場の喧騒が膨れ上がった。優は、胸の鼓動を感じながら、背伸びをして舞台を見つめている。自然と涙が溢れてきて、胸が苦しくなった。

「よかったね。お姉ちゃん」

 誰にも聞こえない声を漏らすと、周囲は眩い光で包まれた。


「それではご登場して頂きます。『ゴッド&ゴースト』で第〇〇回 〇〇賞を受賞されました田嶋公香さんです」

 カメラのフラッシュが一斉にたかれ、光の中から作家田島公香が登壇した。自作を胸に抱き、誇らしげに微笑んでいる。写真撮影と贈呈式が執り行われ、その後壇上に椅子とテーブルが運ばれ、質疑応答に入った。記者からの質問に、公香は笑顔で答え、滞りなく進んでいく。次の質問者を司会が指名し、指名された者が所属と名前を告げる。

「田嶋先生、おめでとうございます。出版され間もないですが、すでに実写映画化の話が来ているそうですが、主演女優に戸枝梨花さんを指名されたそうですが、その経緯をお聞かせ頂けますか?」

 記者の質問に、公香はマイクを握る。

「そうですね。単純に彼女のファンという事もあります。周囲からは、主人公とイメージが合わないと言われましたが、彼女の演技力なら問題ないと思います。原作者特権を駆使して、ゴリ押ししました」

 公香が笑みを浮かべると、周囲からは笑いが起こった。

「事務所の独立問題や暴漢の被害によって、戸枝さんは約ニ年間第一線から離れていましたが、そのブランクなど心配ではありませんか?」

「まったく心配していません。彼女は強い女性ですからね。ブランクなんか、吹き飛ばしてくれると思います」

 目を細める公香は、マイクを口元から離した。

 二年前に結婚とともに、戸枝梨花は事務所を退所し、独立し個人事務所を立ち上げた。その際、前事務所との契約上のトラブルが起こり、運営は難航した。その原因の一つが、戸枝梨花の暴行事件だ。戸枝が婚約者である作家伊月康介の仕事場の片づけをしている際、突然侵入してきた者に暴行を受け負傷したのだ。体調が回復し、警察からの事情聴取で戸枝はこう答えた。

 全身黒づくめのガタイのいい男が、突然部屋に入ってきた。突然殴られ、意識を失った。

金品の盗難や性的な被害は受けておらず、現在もまだ犯人は捕まっていない―――捕まるはずがない。そんな男は、実在しないのだから。二年前のあの日、戸枝に煽られた公香は、フルスイングで戸枝を殴り飛ばした。しかし、公香の力では、戸枝は床に倒れこむ程度であった。口元から軽い出血はあったものの、戸枝は床に倒れながらも不敵な笑みを浮かべた。その挑発的な表情に、頭に血が上った公香は、床に置かれている段ボール箱を担ぎ上げ、戸枝の頭部めがけて叩き落とした。公香自身が執筆し、伊月が推敲の為にプリントアウトした原稿が、詰まった段ボールだ。

 公香は、その直後、逃げるように部屋を飛び出した。戸枝の状態を知ったのは、次の日のニュースだ。頭から血を流している戸枝を、引っ越し業者が発見した。そして、戸枝の発言に耳を疑った公香は、悔しさが増していった。

 まるで、ほどこしを受けたみたいだ。

 いいや、むしろ、これも挑発だ。

執筆を止めるつもりでいた公香であったが、復讐にも似た感情で文字を綴っていった。その後、伊月からの推薦という事で、編集者から連絡を受けた。

 公香が伊月のゴーストライターをしていた事は、誰にも言っていない。知っているのは、公香本人以外には、二人だけだ。

 受賞作である『ゴッド&ゴースト』の実写映画化が決定し、すぐさま主演女優を指名した。原作者である大義名分があると、人気女優に会うのも簡単であった。編集者や映画関係者と一緒に戸枝が所属する事務所を訪れた。社長である伊月康介に会えると期待したが不在であった。きっと、戸枝が隠したのだと、公香は唇を噛んだ。他の人間に席を外してもらい、公香は戸枝と二人きりで向かい合った。

「やっぱりあなただったのね。本田公香さん。笑えないペンネームをつけたのね。粘着質にもほどがあるわよ」

「戸枝さんには、お礼を言った方がいいですかね?」

「そんなものいらないわよ。気持ち悪い。まさか、こんな形で意趣返しに来るだなんて、嬉しいよ」

 戸枝は笑みを浮かべ、公香もニンマリと目を細めた。

「主演任せても宜しいですか? まさか、逃げたりしないですよね?」

「当たり前じゃないの。受けて立つわよ」

 公香は手を差し出し、戸枝は握り返した。

 光の雨が降り注ぐ中、公香は顔面に張り付けた笑みを崩さない。公香の返答に記者が質問を重ねる。

「戸枝梨花さんとは、面識がおありなのですか? それともイメージですか? さきほど、強い女性だと仰っていたので」

「主演依頼の前に、ある場所で一度だけ会ったことがありますね。その際、感じました」

「なるほどですね。お互いに惹かれ合うものがあったんですね?」

 一度マイクを離した公香は、口角を吊り上げ、マイクを戻した。

「ええ、それはもう」

 カメラのフラッシュに包まれた公香は、体温の抜けた笑みを浮かべている。

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お化けが、神様に恋をしてもいいですか? ふじゆう @fujiyuu194

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