第23話 世界最強コンビです!

 百万部突破!

 三九堂書店の入り口から入ってすぐの棚に、特設の棚が設置されている。その棚には、過去の伊月康介の作品が平積みされており、ど真ん中には最新刊が堂々と鎮座していた。公香は、最新刊を手に取って、愛でるように眺めていた。鎮座する隣には、『百万部突破!』という、カラフルなマジックで手書きされたポップが揺れている。百万部突破記念で、書店が伊月フェアを開催していた。当然、公香は、最新刊を持っているが、それでも書店に並べられている本は格別だ。新刊が発売される前に、伊月から郵送されてくるけれど、やはり自腹で購入したいと公香は、発売される度に書店を訪れている。

 しかも、三九堂書店よりも、自宅から近い書店はあるのだが、公香はわざわざ足を運ぶ。この三九堂書店は、特別な場所だからだ。記憶が曖昧なのはもどかしいけれど、初めて生伊月に遭遇した場所だ。初めて素顔を見て、声を聴いて、手に触れた大切な場所だ。覚えていないけれど。

 伊月作品を執筆するようになって、一年が経過し、初めてのミリオン達成だ。発売から一か月という異常な速度で、この出版不況のご時世で、映像化や漫画化せずに達成したのは、まさに異例の出来事であった。

 一年ほど前から、伊月熱が再燃し、以前の輝きを取り戻した伊月康介は、テレビや雑誌などで、連日のように取り上げられていた。容姿端麗という付加価値が拍車をかけ、作家業以外の仕事も忙しそうだ。

 伊月との打ち合わせ時間が極端に減り、反比例で銀行口座に振り込まれる額が爆増した。打ち合わせと称して、伊月に電話をかける公香であったが、繋がるのは三回に一回ほどの割合だ。打率三割なら結果としては、申し分ないのだろう。これ以上を望めば、ただの贅沢なのだろうか? 公香は、溜息と共に、最新刊を閉じた。

 公香の最も気がかりな事は、この手に持っている最新刊は、ほとんど訂正されていないという事だ。公香が執筆し、ほぼほぼそのまま出版されている。伊月とともに制作し、レベルが上がったのだろうか? それとも、あまりにも多忙で時間が取れないのだろうか? 嬉しいような悲しいような複雑な気持ちであった。相手にされていないような気分になってくる。『私はこのお題をこう答えたけれど、あなたはどう解釈しますか?』といったキャッチボールが、一方通行になってしまったような気がする。これが親離れというものなのだろうか? それならばいっその事、ずっと手のかかる子供でい続けて、構って欲しかった。

 もしも、こんな子供染みた事を口にしてしまえば、伊月はどうするだろうか? 呆れた様子でも優しく接してくれるだろうか? それとも、愛想をつかされてしまうだろうか? こんな事、怖くて言えない。

 公香は、単行本で二度、自身の頭を叩いた。無意識の内に、頬が緩んでしまい、ハッとして周囲の目が気になった。誰も公香の事を気にも留めておらず、胸を撫で下ろした。三十前の女が、頭をポンポンされる妄想に駆られているのは、少々イタイかもしれない。でも、ベタアマ展開を期待してなにが悪いのよ! 年は関係ないでしょ! いくつになっても女は、頭ポンポンとか、壁ドン顎クイを夢見るものなのよ! 公香は、誰とも知れず、頭の中で反撃する。

 最新刊を持ってレジに並んだ公香は、突然背後から声をかけられ振り返った。制服を着た中学生くらいの女の子が、恥ずかしそうに立っている。

「え? あ、ごめんね。なに?」

「あ、急にすいません。お姉さんも、伊月康介が好きなんですか?」

 頬を紅潮させた女の子が、上目遣いで両手に持った本を胸の前で掲げた。女の子の手には、公香と同じ本が持たれている。

「うん、そうだよ。もうずっと好きなの。全巻持ってるよ」

「そうなんですか! 凄いですね! 私は、読み始めたのまだ最近で、伊月康介は三冊目なんです」

 女子中学生は、まるで同士を見つけたように、顔を緩めた。興奮気味で話す女の子は、一年前から伊月作品を読み始めたそうだ。つまり全て、公香が携わった作品だ。

「伊月先生のどんなところが好きなの?」

「やっぱり、女心を代弁してくれているようなところですかね? どうして、男の人がそんなとこまで分かるのって、テンション上がります! 登場人物の特に男の人のセリフがいいんですよね? 女性が言って欲しい言葉というか。あんなイケメンに言われたら、心臓が止まるかもしれないですよね?」

 嬉しそうに語る女子中学生に、公香は満面の笑みを浮かべた。分かる分かるよ、共通言語がある人と語り合いたいよね。その後、レジの順番が回ってくるまで、公香と女子中学生は、伊月トークに花を咲かせていた。公香は、自分で書いた事をすっかり忘れ、伊月作品の素晴らしさを熱を持って話す。最近、この手の会話に飢えていた気がする。妹の優が、伊月トークの付き合いが悪くなったのが原因だ。

 公香のレジの順番が回ってきて、会計を済ませ、手を振って女子中学生と別れた。中学生にも恋愛観が伝わったのは、非常に嬉しく思った。彼女からしたら、公香はもうおばさんの類いに入るのかもしれない。それでも、中学生と同じ目線に立てている。嬉しい反面、後ろ暗い気持ちが迫ってきていた。

 あんなイケメンに言われたら、心臓が止まるかもしれない。

 きっと、あの女子中学生は、いや、多くの伊月ファンは、イケメン作家伊月康介が、執筆している姿を想像して読んでいるのかもしれない。女心を代弁してくれるイケメン作家に熱狂しているのかもしれない。実は、三十路前の女が、執筆していると知ってしまったら、落胆させてしまうかもしれない。単純に物語の素晴らしさだけで人気になっていると信じたい。しかし、素直にそう思えない程、伊月の容姿はタレントを凌駕するほどに整っている。

 公香は、当然、伊月の作品に惚れたのだ。だが、もしも、伊月のルックスが、冴えないものであったなら、公香はゴーストライターを買って出ただろうか? 作家と読者という壁を突破しようと思っただろうか?

 公香が、三九堂書店を出て、足元を見ながら自問自答をしていると、スマホが着信を知らせた。

『もしもし、伊月です。すいません。少々、立て込んでまして。電話をもらっていたみたいで、ご用件はなんでしょう?』

 耳元から聞こえるいつも通りの伊月の声に、公香は孕んだ負の感情が洗われるのを感じた。そして、何度も電話をしているので、用件を聞かれても思い出せない。暫く、考え込んで、公香は咄嗟に明るい声を上げる。

「百万部突破おめでとうございます! 本当に本当に、嬉しいです!」

『・・・ああ、ありがとうございます。そして、おめでとうございます。あの作品は、ほぼ本田さんの作品ですよ』

「いいえ! 二人の作品です! 伊月さんが導いてくれたおかげです! もうすぐ新作が書き終えるので、また送ります」

『はい、楽しみにしています』

 伊月の抑揚のない声もいつも通りだ。相変わらずクールだと、多少の物足りなさを感じつつも、公香は先ほど出会った女子中学生の話をした。すぐそばで聞こえてくる伊月の相槌が心地よかった。

『若い方に読んでもらえるのは、嬉しいですね。すいませんが、まだ仕事がありますので、そろそろ失礼します』

「あ、お忙しいのに、すいません。お仕事頑張って下さいね」

『はい、ありがとうございます。それでは・・・』

「あ! 伊月さん!」

『はい、なんでしょう?』

 公香は、スマホを左手に持ち替え、左耳に当てる。

「私達って、世界最強コンビですよね?」

『・・・そうですね。では』

 鼻から漏れた息が聞こえ、伊月が少し笑ったような気がした公香は、購入した単行本を胸に抱いた。そして、スキップをするように、軽やかに帰路についた。

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