第21話 二人の子供が、可愛くない訳がない。

『とても、面白かったです。ありがとうございます』

 耳から入った伊月康介の優しい低音が、全身を駆け巡り、艶めかしい声が漏れそうになった。公香は、唇をグッと閉じ、ひと呼吸おいてから返事をした。

 伊月と担当編集との打ち合わせ内容を聞いた公香は、提出用の企画書を作成した。作り方など分からなかったので、伊月の手ほどきを受けながらだ。企画書が通過し、執筆に入ると、連日メールと電話で伊月との打ち合わせを行った。些細な事から、知っている事まで、事あるごとに伊月へとアクセスをする公香であった。迷惑だろうかという懸念は存在したのだが、それを上回る程の、『繋がりたい欲』に負けていた。その欲に拍車をかけたのは、伊月の優しい対応だ。嫌な態度を一切見せず、懇切丁寧に公香の相手をしていた。

 伊月との繋がりは、伊月作品の執筆だけだ。公香は、伊月と繋がっていたくて、褒められたくて、執筆に没頭している。毎日、一万字以上の文字を伊月に送る。毎日毎日、ラブレターを送っているようで、公香は楽しくて仕方がない。現在執筆中の作品が完成したら、二人で打ち上げでもしたいと、伊月に申し出てみようと公香は胸を躍らせていた。

 作品が完成し、メールで伊月に送った。スマホを手に取り、伊月に電話をかけようとした時、伊月からの着信があった。

『お疲れ様です。伊月です。原稿ありがとうございました。こんな短期間で作品を仕上げてしまうなんて、本当に驚きました』

「お疲れ様です。いえ、そんな。伊月さんが修正する時間も必要ですから、急がないとダメですからね」

 公香は、地声から一オクターブ上げる。伊月に対しての存在価値を高める為に、『できる女』を演じなければならない。公香は、願望を伝える為に、気づかれないように深呼吸をする。すると、公香が息を吐いている最中に、伊月の声が割って入ってきた。

『あの、突然で申し訳ないのですが、短編三本と書下ろし長編を一本の依頼が入っているのですが、どうしましょう?』

「勿論、全部受けます! やります! やりたいです! やらせて下さい!」

 咳き込みそうになっているのを必死で耐えながら、公香は脊髄反射で言葉を返す。

『大丈夫ですか? あまり無理はしないで下さいね。断る事も可能なので』

「いいえ! やります! それだけ、伊月さんの作品が求められているって事ですからね! 大丈夫です! 任せて下さい!」

 依頼内容を確認して、通話を切った公香は、次回作の構想を練り始めた。定位置であるパソコンの前に座り、キーボードを叩く。木製の椅子とテーブルを購入し、パズルのように狭い部屋に押し込んだ。今では、一日の大半を木製の椅子の上で過ごしている。すると、それぞれが意思を持った生物のように動き回る十本の指が、ピタリと動きを止めた。

「あ! しまったああ!!」

 頭を抱えた公香が、発狂してベッドに飛び込んだ。二人での打ち上げプランを、伊月に伝える事を忘れていた。公香は、ベッドの上を右往左往と転げまわる。

「あ! 出た!」

 アイデアが閃いた公香は、すぐさま椅子へと腰かけ、パソコンと向き合う。ひたすら文章を打ち続け一息ついた公香は、パソコンの横に置かれた雑誌を手に取った。パラパラと捲ると、伊月康介と書かれたページで止める。伊月康介と公香で作り上げた作品だ。世に出た記念すべき第一稿だ。先ほど書き上げ伊月に送信した作品も、近い将来パワーアップして、同雑誌に掲載される。そして、それから単行本になって、書店に並ぶ。できる事なら、伊月と一緒に書店を見に行きたいが、これは出過ぎた真似だろう。恋人と間違えられるのは、望むところだが、ゴーストの疑いがかかるのは困る。考え過ぎのような気もするけれど、無理やり燃やそうとするのが、暇人達の常だ。そのことを懸念して、伊月も極力会わないという選択をしたに違いない。

 公香は、雑誌に掲載された文章を目で追って行く。その時、ふと、以前伊月に言われた言葉を思い出した。現在、読んでいる作品の冒頭部分が、雑誌掲載される前に、伊月からメールで送られてきた。

『原型がだいぶ薄れてしまいましたが、宜しいでしょうか? ここまで、変えてしまうと、不愉快ではありませんか?』

『問題ありません。伊月さんの思うようになさって下さい』

 公香は、即答した。その言葉に、嘘偽りは微塵も存在しなかった。伊月に触ってもらって、作品は良くなったと思っている。なによりも、『伊月色』に染めてもらったと、嬉しくもあった。

 伊月と公香の二人で作った、可愛い子供だ。可愛くない訳がない。

 喉元まで出かかった言葉を、公香は飲み込んだ。

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