第17話 人気作家の告白。

「え? どうしてですか? お体でも、悪いんですか?」

 公香が不安な表情で顔を上げると、伊月はゆっくりと顔を左右に振った。

「いえ、そうではありません。実は、お恥ずかしい話なのですが、全くアイデアが浮かばないのです。小説の書き方を忘れてしまいました。正直、続けていく自信がありません。本田さんへの罪滅ぼしとか、体のいい言い訳です。本心はただ逃げ出したかっただけなのかもしれません」

 美しく整った伊月の顔が、ぐにゃりと歪んだ。その初めて見る伊月の顔に、公香の胸は高鳴った。テレビでも雑誌でも、伊月康介は常に美しく、スマートで自信にみなぎっていた。こんな表情もあるんだと、不謹慎だと思いつつも嬉しくなった。

 天上人が弱みを晒し、庶民の域まで下りてきたように感じた公香は、不思議と冷静を取り戻しつつあった。

「それで、盗用を?」

「・・・はい。お恥ずかしい限りです。藁にも縋る想いで、様々な作品を読み漁っていました・・・あ! 藁って、失礼でしたね! すいません! 別にそういう意味じゃあ! 伊月蜜柑さんが、藁とかそういった意味じゃなくて! あれ? 俺なに言ってんだ!? ほんと、すいません!」

 慌てふためく伊月の姿に、公香は思わず吹き出してしまった。こんな一面もあったのかと、なかなか珍しいものが見られた。

「あの、伊月先生? その方が、話しやすくて私は好きです。俺って、言って下さい。実は、堅苦しいのは苦手なんです。できれば、敬語も止めてもらえると、ありがたいです」

 涙と鼻水で、きっとメイクもグズグズだ。薄暗いお洒落な照明のお陰で、辛うじて顔を上げる事ができた。公香は、この異空間に来て、初めて自然と笑みが零れた。まるで夢見心地で、目の前にまさに神様が鎮座していた。緊張と恐縮で、厄介なウイルスに感染したような症状が出ていた。しかし、狼狽える伊月の姿を目撃し、彼も血の通った同じ人間なのだと、肩の力が少し抜けた気がした。それでもやはり、崩れた顔を晒すのは、抵抗がある為、公香はハンカチで口元を隠す。

「もうこの際なので、ぶっちゃけて下さい。私は、伊月先生に会えてとても幸せです。訴える気も咎める気も、さらさらありません」

 まつ毛は無事のようで、まつエクを施してくれたスタッフさんの技術に感謝しながら、公香は目を三日月状に描く。公香の姿を目を丸くして眺めていた伊月が、鼻から息を漏らし目を細めた。

「そう言ってもらえると、気が楽になりました。ぶっちゃけて・・・そうですね。俺が伊月蜜柑さんを見つけたのは、ほんとに偶然でした。エゴサーチをしていて、ヒットしたんです。あ、敬語は、勘弁して下さいね。その方が、落ち着きますから」

 伊月は、ワインを一気に飲み干すと、公香はボトルを持ち上げ、彼のグラスに注ぐ。

「それで、俺と同じ名前のアマ作家が書いた小説に辿り着きました。最初は、正直、冷やかし程度の気持ちでした。自分よりも拙い作品を見て、留飲を下げようと、卑しい気持ちでした。でも・・・」

「でも?」

「衝撃的でした! 作風や執筆の癖などが、俺にそっくりだった。でも、俺の書く作品よりも、圧倒的に引き込まれた! 素直に面白いと思った! 悔しさなんか挟む余地もなく、本当に感動した! そして、気が付いたら・・・俺ならもっとこうすると、キーボードを叩いていた。完成した作品を読み返して、いい作品ができたと思いました・・・思ってしまいました。そして・・・耳元で悪魔が囁きました。『このまま埋もれさすのは、もったいない』と、それで・・・」

 俯く伊月を、公香はただ黙って見つめている。そっと、グラスに手を伸ばした公香は、唇を湿らせる。

「それで?」

「俺は、こう思いました・・・『無名のアマ作家の作品を俺の作品として出版しても、誰も気が付かないだろう』と・・・『例え作者が騒いだとしても、俺の方が認知されているのだから、世間は俺の言葉を信じるだろう』と・・・そんな浅はかな考えが生まれました。そして、本は出版され、下降した評価が上がり始めた時、俺に生まれた感情は、高揚感ではなく・・・罪悪感でした」

 伊月は、整った表情を歪め、口から出た醜い感情を押し流すように、ワインを咽頭へと運ぶ。

「追い打ちをかけるように、数人の方から是非を問うメッセージが届き、打ちひしがれている時に、あなたから連絡を受け、観念しました。やはり、悪い事はするべきではないですね。平然としていられるメンタルではない事は、俺が一番よく知っていたのに」

 伊月は、深呼吸をして、両手を膝の上で握った。きつく目を閉じ、ゆっくり開く。そして、真っ直ぐに公香を見据えた。

「だから、俺は全てを公表し、引退します。刑事罰も受け入れます。伊月蜜柑さんの作品は、本当に素晴らしかった。あなたの作品に泥を塗ってしまい、申し訳ございません。そして、あなたを傷つけてしまい、本当に申し訳ございません」

 深々と頭を下げる伊月に、公香は涙をボロボロと零しながら、ハンカチで顔を押さえた。暫く、二人は互いに頭を下げたまま動かない。すると、公香は、鼻を啜りながら、ハンカチを正方形に折りたたみ、目元に当てた。

「伊月先生は、勘違いをしています」

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