第12話 一年後、本田家の実情。

「ねえ、お姉ちゃん? もっと、宣伝した方がいいんじゃないの?」

 優は、スマホを見ながら、のり塩味のポテチを箸で摘まんだ。

「ん? 宣伝? どうして?」

「だって、一年間毎日投稿しているのに、PV数があまり増えていないじゃない? もっと、多くの人に読まれた方が、嬉しいでしょ?」

「そう? 結構な人が読んでくれてるよ? 十分じゃない?」

 あっけらかんと答える公香に、優はもどかしい気持ちで、箸を噛んだ。

 公香が言う結構な数とは言っても、三十人くらいなものだ。一年間、執筆と投稿を繰り返して、優は新作が出来る度に最初の読者になっている。今では、誤字脱字の指摘くらいなもので、作品内容に口出しは一切していない。公香の作品は、どこに出しても、誰に読まれても恥ずかしくないものに仕上がっていた。その事を最も間近で見ている優には、もどかしくて歯がゆい。

 もっと沢山の人に読んでもらって、もっと評価を受けるべきだと、優は感じていた。身内のひいき目もあるのかもしれないし、優自身も多少なり作品に携わっている。だからこそ、という想いが日に日に膨らんでいく。

姉の成長には、目を見張るものがある。才能なんていう安っぽい言葉では、片付けられない。朝から晩まで、食事や睡眠を犠牲にしてまでの、圧倒的な作業量。公香が作り上げる作品の質は、完全に努力の賜物だ。努力が報われないのは、不公平だと優は憤慨する。しかしながら、残念な事に、公香がその事に無頓着だ。

 圧倒的な作業量を努力だとは微塵も感じておらず、何よりも承認欲求がまるでない。

「お姉ちゃんは、日本中の人に作品を読んでもらいたいとは、思わないの?」

「アハハ! 大袈裟だなあ! 私は、優が読んでくれて、作品を褒めてくれたら、それでいいよ。それに、優が教えてくれたサイトのお陰で、読んでくれる人もいるしね」

 パソコンを打ちながら話す公香の背中を、優は茫然と眺める。今では、優が何していようが、公香は作品を作り続けている。優の一挙手一投足に狼狽えていた一年前の公香が、懐かしくも感じている。

 優は、小説投稿サイトの公香のページを開いた。『伊月蜜柑いづきみかん』が、公香のペンネームだ。ペンネームも優と一緒に考えた。『伊月』は絶対に外せないという、公香のこだわりがあった。『伊月公香』は呼びにくいから、『伊月ミカ』を優が提案した。そこから、『ミカより、蜜柑の方が可愛いね。私蜜柑好きだし』と、公香が最終決定を下した。

 伊月蜜柑には、三十二名のフォロワーがいて、その内二十四名が読専だ。だから、そこには忖度や営業目的はなく、ただ単純に伊月蜜柑の作品を読みたい人が集まっている。優もその中の一人だ。見ず知らずの人が、公香の作品に集まってくれているのは、優にとっても嬉しいものだが、やはり物足りないと思ってしまう。

「お姉ちゃんは、プロの作家になりたいとは、思わないの?」

 雨のように、断続的に鳴っているキーボードを叩く音が止まる。

「うーん、特には先の事は、考えていないかなあ? 今やりたい事をやりたいように、やっているだけだからね。それに、いつ飽きるか分からないしね」

 また雨が降り始めた。優は複雑な心境だ。

優は公香の―――伊月蜜柑のファンになっているのだから。

 世界中の誰よりも、伊月蜜柑の作品が好きで、世界中の誰よりも新作を一番に読める特等席を、手放すのは惜しい。新作が出来ると、最初に優が読んで、その後にサイトに投稿している。下読みと言えば、いまいちな響きだが、専属作家がいると思うと、これほどまで贅沢な事はない。

「じゃあ、お姉ちゃんは、私の専属作家さんだね。私を楽しませる為に、小説を書くんだね」

「ハハ! そうだね。じゃあ、養ってもらおっかなあ?」

 公香は振り返って、二人で笑い合っている。ほんの少し嫌味を混ぜたが、まるで響かなかった。小説を書いて幸せになる姉と小説を読んで幸せになる妹。穏やかで幸福が充満した狭い狭いワンルームマンションの一室。公香と優の柔らかい笑い声が響いていた。

 執筆開始当初、公香は一年くらい働かなくても生活ができる蓄えがあると言っていた。そろそろ、仕事を開始しなければ、生活が回らなくなるのではという懸念が優にはある。当初は、早く仕事を再開して欲しいと願っていたが、今では仕事に時間を使うのなら、執筆に当てて欲しいという想いになっていた。公香が言うように、姉を養うのもやぶさかではない。公香が実家に戻ってもいいし、両親は優が説得する。そんな楽しそうな生活を、優はささやかに願っている。

「あ、あの・・・お姉ちゃん? 貯金とか、大丈夫なの? もし良かったら、少しでも援助しようか?」

「ああ、大丈夫だよ。問題ないよ」

「え? でも、一年くらいって、言ってたよね? そろそろ、一年経つんじゃないの?」

「その事なんだけどねえ。実は、少し前に、お父さんがここに来たんだよ。優とお母さんには、内緒で。その時に、色々話して、心配してくれたんだけど、私の活動を応援してくれるって。で、その条件として、私の書いた小説を見せる事なの。だから、私のフォロワーには、お父さんがいるのよ」

「え? そうなの?」

 優は、サイトを覗いて、確認する。

「ああ、分からないようにしてって、言ってあるから、どれがお父さんかは分からないよ。それで、その時に、税金関係の振込用紙も持って帰ったのよ。だから、支払額がグッと減って、生活が楽になりましたとさ」

 国民健康保険、国民年金、住民税の支払いがなくなり、公香の生活は非常に楽になった。現在の出費は、家賃と光熱費と食費くらいなもので、学生のような生活を送っている。

 そう言えばと、優は我が家での暮らしを思い出した。公香が仕事を辞めた当初は、心配した両親から様々な質問をされていた。質問内容は、公香の現状や将来の事だ。しかし、それこそ少し前くらいから、公香の話題が上がらなくなっていた。思い返すと、父親が公香を訪ねた時期くらいからだ。なるほど、と優は納得した。父親は、公香の作品を読んで、それがある意味手紙だったのだ。現状報告だ。作品を投稿する度に、『元気でやっているよ』という証明だったのだ。

 本田家が、公香の小説を中心として、回っているような気がした優は、涙ぐみながら姉の背中を見る。お金にならない趣味の域で、将来の不安はあるかもしれないけど、それでも本田家にとって、今が最適解なのではないだろうか。夢中で書いている公香の小説を、父親が目を細めて眺めている姿を想像すると、優の胸は熱くなった。

「お姉・・・」

「あ! そうだ! 来週、伊月先生の新作発売だね? 楽しみだよねえ!」

「え? そうなの?」

 優の言葉に反射的に振り返った公香は、哀れんだ目で妹を見る。

「知らなかったの? ファンの風上にも置けないね。絶交だよ」

 プイッとパソコンに向き直った公香に、優はただただ狼狽えるばかりだ。

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