第51話 喜び

 彼女アンドロイドは喜びを感じたと言った。


 俺たちに害をなす悪人とはいえ、そいつらを排除したルシエルには感情があったという。怒りでも悲しみでもなく、喜びだ。


 百歩譲って感情があるなどという戯言は認めるとしよう。崇士なら恐怖びびり、篤士なら憤怒へんたい、俺なら悲哀ねくら、河本なら絶望にょういを感じる場面に。


 それを、よりによって「喜び」をチョイスするあたり……いい娘なのは知っているが、倫理的にはどうかと思う。


 初めての感情が勝利して得る喜びだというのか。敵を殴りつけ、気絶させて得る喜び。相手を仮想世界に閉じ込めて、戦闘不能どころか、何もかも奪いとる喜び。だが俺はそんなルシエルを肯定する。


「率直に言って……ありだ。喜びが止まらないのが通常の感覚だ。いったい誰に似たのか知らんけど。それからは感情は無いんだな」


『はい、悟士さま。落ちますよ』


 調子に乗って森を駆け抜けていた俺は足を滑らせ、崖から転落した。死んだわけだが、痛みは無かった。


 色々と問題を感じる。こんな世界に慣れてしまうと現実世界で大怪我するだろう。何度でもやり直せる死とは何だろう。深いテーマだ。


「……」


『再スタート致しますか?』


「うむ、宜しく頼む」


 ルシエルは、もしかして死の危険を回避したことに「喜び」を感じたのかもしれない。アンドロイドに命があるとすればだが。


 俺はホテルで再スタートする間際にルシエルに聞いた。目の前にはロード中の文字だけが浮かんでいる。


「この世界、仮想現実で、痛みを感じることは可能か? ルシエル、お前にとって痛みとは何だ……苦しみとは何なんだ」


『アンドロイドの私には、痛みも苦しみは在りません。人の脳波に痛みの信号を送るのは可能ですが、実例がないので危険が伴います。実装してみますか?』


「それは……いやだ。うん、冨岡で試してみよう。でも死なすわけにはいかないから、精神に影響が少ない微弱な痛みとか、可能かな」


『……やってみます』


 サンビセンテホテルのロビーに戻った俺は冨岡と話した。やつは俺も同じ立場で仮想現実の世界に閉じ込められたと信じている。


 なかなか動こうとしない冨岡に、ゲームのヒントを与えて俺は一旦、ログアウトすることにした。これ以上は、笑いをこらえる自信が無かったからだ。


 ヘッドギアを外して、河本と地下室を出る。ルシエルに指示をだせばホテルのどの扉だろうが開けることが出来た。


 ひとまず冨岡は放置して、兄弟と西野晴香を救出することにした。救急車はパトカーより早く着いていた。


 兄貴も崇士も恐らく頭の打ち所が悪く、気が動転している可能性が高いので、西野晴香と一緒に病院に行ってもらった。


 清田の息子も病院へ行ってもらった。解毒剤のおかげですぐ治るとは言っていたが、やはり何かうわ言を言っていた。かなりの重症だと言わざるえない。


 何故なら、三人組の男達は何処に行ったとか、ルパンと五右衛門が怪我をしているとか。異常としか思えない発言に俺も河本もドン引きだったからだ。


 そいつらは気絶しただけで元気だと言うと安心して担架に横になった。河本は心配そうに俺を見た。


「モンキーパンチのキャラクターが見えるなんて、清田くんはかなり危険な状態かもね」


「ああ、実はさっき崇士から藤子不二雄のキャラに気をつけろって言われたよ。信じられないけど、似たような幻覚を見たんだろうな」


 囚人服を着た悪党に変なあだ名を付けて遊んでいたのだろうが、そいつらは本物の犯罪者だから二度と会うことはないと教えてやった。


 相変わらず、崇士は人を見る目がなく、交遊関係のレベルが低い。


「ちょ、違うよ。そっちの三人じゃないってば。他にも三人いたはずだよ」


「可愛そうに。まだ幻覚を見ているようだ」


「あ、あれはパンクロニウムだったよ」


「うんうん。そうだったね」


 よく骨格筋弛緩剤の名称なんか出てくるな。崇士のくせに、そう思った。


「ああ、何で知ってるかって言いたいんだろ。射たれそうになったからね。人の話を聞かない悪者に」


「うんうん。気をつけろよ、話しを聞かない悪者は何処にでもいるからな」


「………」 


 そう言って救急車に乗って行った。うるさいので、少し無理矢理ではあったが。まったく無傷の西野さんが共に病院に行っているので心配はないだろう。

 


 彼女の父親である清田正樹と坂本、中田が乗ったのは救急車ではない。通信が可能になった直後、ルシエルは救急車と同時に昇格した菅田警部に連絡を入れた。


 内通者の介入を避ける為のホットラインである。マウンツのリーダー、清田とスティグマからの依頼を受けて動いていた中田。


 その中田に同行してきた坂本は、真っ直ぐに連行されて事情聴取を受けている。自業自得である。


 俺と河本はモニターを見て、にやついていた。少しの間だが菅田警部の計らいで、この地下室を自由に使わせて貰えることになったからだ。


「やっと、あのダサいタマネギ兜を被ったか。この実況プレイ、ユーチューブに流したらうけるだろうな」


「アッハハハハハハ……しかし、桐畑も酷い嘘つくね。冨岡、完全に君も一緒に閉じ込められたって信じてるよ」


『編集してアップロードしましょう』


「まあ、待てルシエル。そんなことしたら日本中の老害を仮想世界に閉じ込めようとする輩が現れるぞ。こんなに面白いことは他にない」


『他にありませんね』


 俺たち二人とルシエルは、無事に兄弟を助けることに成功した。警察は冨岡のファイルから、やつの犯罪歴や証拠をあぶりだした。


 そして冨岡から直接、証言を取ることを条件に、俺と河本は仮想現実のゲームを楽しむことが許された。


 河本はソロプレイをはじめようと、ヘッドギアを手に取ったが、この夢の世界に躊躇しているようだった。悩んだ挙げ句、椅子から立ち上がり向きなおった。


「僕はやめておくよ。始まるまでは最高に興奮したけど、こんなのは玩具だ」


「なっ、何だって! それを否定したら、お前みたいなオタクの人生には何の価値もないじゃないか。仮想現実バーチャルリアリティだぞ」


「十年前なら、さしずめショッピングモールが仮想現実だったろうね。誰もが豊かさという夢を見たがった。それと何が違う? 時代とか、経済とか、価値観は変わっても求めてるのは、ありもしない夢だ。経済をまわすだけ、現実のほうがましだよ」 


 唖然とした俺のとなりに、ルシエルが立っていた。まるで残念そうに、こう言った。


『ありもしない……そんな事ありません。そこには喜びがあります。何を言ってるんですか、河本さんは全く価値の無い人間ですか?』


「……」


 俺たちとルシエルの間に、不穏な空気がながれた。仮想現実を否定すれば河本がたたず、現実を否定すればルシエルがたたず。どちらの意見もまともに思えた。




 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る