第42話 真夜中のバイク

「……貴様が、貴様がやったのか?」


 暗闇からふく潮風は、ねばっこく纏わりついた。生暖かく鼻につく磯の匂い。コンクリートに崩れ落ちるように倒れたガウリウルは一瞬でただの鉄の塊となっていた。


《はい。動かないほうが身のためです》


「嘘だろ。貴様のような華奢な娘がガウリイルの背骨をへし折れるわけがない」


 清田はふらふらしながら、後退りしている。ぞっとする寒気が、背中をうねっている。積み上げてきた真実が崩れ去る感覚。


「アラベスクキックに磨きがかかっているようだな」


《有り難うございます》


「しかし、フルフェイスでの通信。指示しながらマッドサイエンティストの口上を振るうのは疲れる」


《ほとんど素の状態に見えましたよ》


「……そうか、そうか。まあ俺に演劇の才能があっても今更驚かないがな」


 清田はBMWに駆け込んだ。腰が抜けたように地べたを這いつくばり、運転席のドアにたどり着く。


「よく狙え。その男に塩化カリウムをお見舞えしてやれ」


「ひいっ! たっ、助けてくれっ」


 黒革のフルフェイスに、巨大な変形カマキリ。そして亡霊のように現れた得体の知れない少女。清田が嘲ってきた連中が、今は自分を無慈悲に嘲っている。


「くはははは。何日か前に人体をぐちゃぐちゃに切り刻んでやった後……カッターの刃がボロボロになってな。掃除するのがすごく面倒だった。だからお前にはチャンスをやろう。時間をやる……その間にできるだけ遠くまで逃げるがいい」


「ひっ、ひいっ!」


 

 走り去る車を見守るとルシエルは、振り返った。フルフェイスのヘルメットを取った桐畑篤士がそこにいた。


《逃がしてしまいます》


「行き先は分かってる。ルシエル、バッテリー残量が七パーセントってのはまずいな。朝からデートでもしてたのか」


《ご心配おかけしました》

 

 ゆっくりとカマキリは姿を変えていく。篤士に後ろ手を回しバイクに股がると、ルシエルは後部のポートから充電を始めた。どこか安心した顔を見せたように感じる。


《人を切り刻んだというのは事実ですか》


「冗談に決まってるだろ」


《嘘なんですね》


「いや、キツめの冗談だ。さておき、朝焼けの海岸線をドライブしながら、悪人を追い詰めるのは楽しそうだ」


《先ほどの弾丸は殺傷性の極めて高いものです。しかも三点バースト。注意してください》


「ああ、プロだな。怖い怖い、俺は悟士じゃないから正直ビビった」


 ドルン……ドッ……ドッ……。


《篤士さまが、通信してきて少し不思議に感じました。とても近代的なバイクをお持ちなんですもの》


「力を得るということはすなわち自由を得ることであり、そして自由を得るということは、自分の行動に責任を負うということだ」


《素晴らしい名言です。覚えておきます》


「悟士には言うなよ。スパイダーマンのセリフ丸パクリだから、バレるかも」

 

 清田ほどの男が唾液を滴し、ひたすら怯えていた。少なくともそう見えた。そのさまを見て俺は理解した。


 打算的でも計画的でもないタイプ。あれが本当の清田の姿であれば、自身の行為は正当だと信じて疑わないタイプだ。


 正当だと信じなければ何も出来ない人間。着々と理想を追い続けるだけの鈍磨な男だ。ならば、清田を上手く操る人間がいる。


 二人はしばらくベッドライトの光をじっと見つめて走った。真夜中の海岸線は暗く、その光が照らすのは、ほんの僅かな未来だけだった。



 刑務所で向きあう老人は驚いた顔を浮かべた。京都に残り、十月にある電気工事士の資格を取ろうとのんびりしていた時期だった。

 

 愚弟がパニック障害を克服したと聞いて、兄が機械音痴を克服しないわけにはいかない。ロボット工学と今回の事件を調べるうちに、この場所へたどり着いてしまった。


 佐竹の指示したガレージにこの大型バイクが隠されていた。悪の組織、マウンツを崩壊するべく俺は立ち上がったのだ。


 あいつは山の頂上にいるつもりだが、頂点にはいない。そいつは姿を見せない。天才ハッカー冨岡弘文……やつに、操られているだけ。


         ※


 刑務所の一室で両腕を背中へ固定される服を着た佐竹が、椅子に腰掛けさせられる。


 マウンツ、デストロイド、バニッシュボッシュ、アクセルジョーカー、東京ヒンギス代行。あの頃はくだらんチーム、組織がひしめきあっていた。世界が刺激を求めていたのだ。


 ネットワークでビジネスから個人情報、ブログやSNS、娯楽にニュース。


 手元にある端末を使えば、どんな刺激的な情報もただ同然で手に入るようになった。


 だが人間の探求心には終わりがない。すべての人々に刺激が行き渡れば、もうそこに刺激はないのだ。


 麻薬、セックス、暴力が裏の世界から公に広がっていくのは目に見えていた。


 ネットワークは善人を名指しで貶める便利なツールに成り下がっていた。いつも目立つのは有能な善人ばかりだからだ。


 ――悪を裁くには、より大きな悪が必要だった。


 じわじわと忍び寄るような友達のような悪ではない。強烈で、無慈悲な完全な悪が必要だった。そして人々は初めて、何が正しく何が間違っているのかを感じることが出来るのだ。


 結果的にスティグマは目的のとおり、聖痕を遺し、あらゆる組織を解体させるに至った。たった一つ、マウンツのヘッドを残したことが悔やまれるが、他に後悔はない。


 死はとっくに覚悟していた。無口で無関心なな看守は機械的に手際よく仕事をした。


 頭上にヘッドフォン付のゴーグルが掛けられた。佐竹はそれを電気椅子か拷問具だと思っていたが、それは勘違いだった。


「VRシステムか……今さらわしに何を見せるつもりだ」


 返事はない。佐竹は目をしばたたき、ゆっくりと頬を右に動かした。ゴーグルに映しだされていたのは、佐竹の家族だった。正装した西野典子、そして晴香。


「……!」


 彼女達を囲むようにホテルのコンシェルジュ型アンドロイドが歩き回っている。他の客もいるようだが、みな彼女達を中心に動いている。


「何かのパーティーか」


 やっとベッドフォン内部が静寂を破った。聞き覚えのあるハッカーの、抑揚のない話し方だった。


《そうだ。聞こえるか? 佐竹勇武。この部屋にいる人間、すべてが人質というわけだ》


「ほう、目的は金か。冨岡」


《いや……伝馬式ルートだ。あんたの生態データが使えないとなると、近しいDNAの血縁者を利用するしかない》


「あんたには、いたく失望したわい。儂を脱獄させようとは思わないのか。正装でいるということは、うまい具合に娘を騙したわけじゃろう。随分と人の善意につけこむな」


《俺はハッカーだ。善意だろうが悪意だろうが、つけこむのが仕事さ。貴様の罠になど掛かるものか。貴様を刑務所から出す気はない》


「道理を聞き分けないやり方は、貴様の裏切り行為をよけいに醜悪にするだけだぞ」


《……裏切り? 誰もお前の下で終わるつもりなんか無かったさ》


「娘に何をするつもりだ」


《調べさせてもらうだけさ。もっとも普通の生活はおくれなくなるだろうがな。彼女らの体をじっくり、いじらせてもらうからね。網膜に指紋、静脈、動脈、DNAから海馬まで。さあ、助けてほしければ、伝馬式ルートの入手方法を教えろ》


 ため息を漏らして佐竹はうつむいた。手の込んだ仕掛けで文明人らしく人質をとり、合法的に見えるやり方で仕事をこなす。


 だが中身はどうだ。ちっとも誉められたものじゃない。暗殺、根回し、脅迫に人質。やっていることは、小賢しい悪行に過ぎない。


 あとから正当化出来るような悪事。裁判で無罪を主張するような態度。莫大な時間と労力の浪費によって成される狡猾な手段。


「本当の悪人っていうのは、貴様のような人間かもしれないな……冨岡よ」


《知っている、二度言わせるな。娘たちの命が惜しければ、伝馬式ルートを教えろ》


「ふっ、無駄だな。消えたんだよ、闇の中にな。もう誰も探しだすことは出来ない。そこが伝馬式の利点だとは思わなかったのか?」


《ふっ……ふざけるなっ! 信じられるものか。だとすれば、お前の娘や孫も闇に消えてもらうことになるだけだ》


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