第17話 帝国の傭兵

 アウトグランド帝国、傭兵ギルド所属のグウェンは酔っていた。好んで着込んでいる黒コートと同じく、心の中まで薄汚れていた。

 ギルドハウスのカウンターに座り、依頼を受けるでもなく酒を飲んでいるのだ。ここは戦場での疲れを癒せるように、安い酒と料理を頂ける。グウェンは最近戦場に出た事は無かった。


「はっ! 雑魚が粋がるなよ! その依頼はやめとけって、無駄に死ぬだけだぜ。てめぇには傭兵は向いてねえよ」


 顔も知らない、弱っちそうな新米傭兵が依頼を取りにくるたびに、グウェンは煽る。まだ戦場の穢れも知らない新米傭兵は、大抵困った顔をするのだ。それが肴に酒を飲むのが、グウェンの日常だった。


「貴様、うちの新入りに何の用だ?」

「あぁ?」


 グウェンは新米傭兵とは逆の方からの声に、首を傾ける。いかにも歴戦といった斬り傷を顔につくり、高そうな防具を身に纏ったマッチョがいた。

 有名な傭兵団に既に籍を置いていたか、厄介な新米に絡んじまった。グウェンは、にへらと人を小馬鹿にしたような顔で笑った。


「てめぇ! ちょっと表でろや! ぶっ殺すぞ!」

「はは、人の実力も図らぬうちに、怒りだけで生きていたら身を滅ぼ……ぐうぁはぁ!」


 グウェンは髪を掴まれた。脇腹を思い切り殴られ悶絶し、ギルドハウスから簡単に引き摺り出された。

 路上でマッチョとその仲間、バカにしたはずの新米傭兵、複数人からグウェンはボコボコにされる。ボロ雑巾のように地べたへ転がった。


「ぐぅぼぉほっ! はは……後で後悔させてやるからな……」

「ほざいてろ! とんだ雑魚じゃねえか! これに懲りたら、二度とこのギルドハウスに顔を見せるなよ!」


 マッチョ達はギルドハウスに戻っていった。ボロボロのグウェンは這いずりながら、家に戻る。



◇◆◇



 翌日、いつものように昼間からグウェンは安酒をおある。そして新米にちょっかいを出す。

 反撃を受けてボコボコにされたのは一度や二度では無い。しかし、グウェンは逃げない。意地っ張りな性格だから、同じギルドハウスに舞い戻ってくる。同じ奴に出くわして、またリンチにされてもだ。グウェンは人の言いなりになるのが嫌いなのだ。


「隣に座ってもよろしいですか?」


 初めての事を言われた。酔っ払いの悪評ばかり溜まっているグウェンに、ご一緒したいとは何事だろうか。昼間のカウンター席はガラガラだ。なのにわざわざ指名してきた。グウェンは警戒する。


「なんだよ、てめぇも俺も殴りに来たか?」

「いいえ、グウェン。私は話をしに来たのです」


 隣に座ってきたのは女だった。輝くほど真っ白なコート。銀色のシルクハットに銀色のブーツ。銀色の長髪。瞳だけは煌々と紅く輝いていた。


「お前、傭兵じゃねえだろ。なんで俺の名前を知っている?」

「貴方がクズだという事は、色々な人間から聞きました。グウェン・ランカスター。ランカスター、その血は貴方と違ってとても高貴です」

「よせよ、ご先祖様がどんな貴族だろうと、俺が生まれた時には没落していたんだ。父と母の記憶すら俺には無いんだ。ひとりで生きてきたんだよ」


 今更なんだと言うのだ、まともな家庭があったのなら傭兵にはなっていない。グウェンは不機嫌だ。


「既に死んでいる先祖に興味はありません。私は生きているグウェン・ランカスターの血が欲しい」

「俺の血だと? なんだお前は?」

「サタナキア。契約と繁栄を与える者です」


 彼女はコートのポッケから古ぼけた書物を取り出した。


「転生の書、高貴なる血を注げば百年前に隔離された悪魔を呼び起こせることが出来る」

「悪魔だって? バカらしい。第一、そんなもんを呼んで俺に何の得あるってんだ」

「悪魔ですから、どんな願いでも言ってみてください」

「じゃあサタナキア、おっぱい揉ませろ」

「良いですよ」


 グウェンはわざと困らせることを言った。何が悪魔だ、怪しい宗教勧誘かよ。困らせやがって。逆にこっちが無理難題を押しつけて、遊んでやる。他人を煽ってオモチャにするのが、毎日の楽しみなのだ。


「なんだ出来ないのか? クールぶっていても……え? なんだって、もう一回言ってくれ!」

「おっぱいを揉んでも良いですよ」


 なんということだ、グウェンは慄いた。

 サタナキアは眉ひとつ動かさず、条件は全て飲むから好きにしろとでも言いたげな鉄面皮だった。


「じゃあ揉むからな……!」


 グウェンは遠慮なく手を伸ばす。サタナキアはコートに乳袋を作るほど豊満であった。

 掴むとズシリとした重厚感。この世のものとは思えぬほどの柔らかさ。


「んっ……契約を受ける気になりました?」


 サタナキアから吐息が漏れ、少しだけ表情が崩れた。


「いやまだまだだ、こんだけじゃ満足できねえぜ!」

「おい、グウェン。昼間から女とイチャイチャしているとは良いご身分だな?」

「あ?」

 

 グウェンは首だけ声の方向に傾けると、昨日のマッチョとその仲間達がいた。グウェンが煽ったら、昨日ボコボコにしてきた血の気の多い傭兵団だ。

 グウェンは髪を掴まれて、無理矢理立たされた。おっぱいから手が離れる。


「グウェン、今度このギルドハウスに来たら容赦しないと言っておいたな!」

「いだだだ!」


 来るなと言われたら、グウェンは来ないといけなくなる。こんな奴の言いなりになるのなんて御免だ。しかし対策は無い。再びボコボコにされるだけなのは明白だ。


「覚悟しなグウェン!」

「け、契約する! 契約するぞサタナキア! 力を……ぐほぉあっ!」


 グウェンはマッチョに殴られた。顔に重いブローが入り、鼻血が噴き出す。豪快な血しぶきはサタナキアの澄ました顔に降りかかった。


「引き受けました、グウェン・ランカスター」


 サタナキアは顔にかかったグウェンの血を、舌で舐め取った。ボロボロの転生書が光を放つ。サタナキアの顔から垂れた返り血が、書物にかかった。

 グウェンの身体も光に包まれた。心なしか、さっき殴られた痛みが引いていた。


「な、なんだ!?」


 マッチョが怯んだ。その隙をついて、グウェンは殴りかかる。貧弱な右手が肥大化した。黒ずんでいて丸太のように巨大で、蛇のような鱗がびっしりと生える。悪魔の右腕が、マッチョの腹にぶち当たった。


「ぐおおお!」


マッチョはいとも簡単に吹き飛んで、ギルドハウスの壁に血の染みを作る。半分潰れたようになって、動かなくなった。


「ふははは! 皆殺しだ! 皆殺しにしてやる! 俺は紅蓮の傭兵団、グウェンだ!」


 グウェンは暴れた。そして調子に乗った。仲間なんていたことはなかったが、勢いで名前をつけた。サタナキアがいてやっと複数になったのだから、傭兵団と名乗ってもよかろう。

グウェンは恨みを買った傭兵団だけでなく、ギルドハウスにいた全ての人間に喧嘩を売った。一方的な殺戮と暴力。もう弱い自分ではない、グウェンは歓喜した。

 やがてギルドハウス内で生きて者はグウェンとサタナキアだけになった。


「グウェン、貴方は契約しました。転生の書を差し上げます。これで悪魔の全開放をお願いします」


 サタナキアから、ボロボロの書物をグウェンは受け取る。望めば悪魔の右腕はニンゲンに戻った。


「いいだろう、好きにさせてもらう」

「貴方の願いは?」

「もちろん、世界征服だ。王城に行くぞ、帝王に話がある」

「調子に乗りやすい人ですね」

「うるさい、行くぞサタナキア。お前は俺の傭兵団の一員なんだから」

「ご随意に」


 サタナキアは目深にかぶった帽子の奥、口元をほころばせていた。



◇◆◇



 帝国城、玉座の間。グウェンは帝王の前、転生の書を開いていた。黒い霧が城だけでなく、帝国領全体を覆っていくのを感じる。


「帝王よ、俺の魔軍が王国を倒してやろう!」

「悪魔じゃと……本当にそんなものが……」

 

 枯れ木のように年老いた王は、信じられないといった風に目をぱちくりさせていた。


「今の時代、なぜ人同士が争うか分かりますか? 魔物が不甲斐ないからですよ。凶悪な魔族たちは百年前、悪魔と蔑まれ封印されました。その封印を解くのが、この転生の書です」


 グウェンの傍らに立つサタナキアが語る。確かに野にいる魔物を害悪とみなすことは殆どなく、数も少ない。グウェンは納得した。世界はもっと混沌とするべきなのだ。


「ああ、見えるぞ。蠢く者たちが」


 グウェンは城の窓から、外を眺める。城下から見える大地に黒い影が無数に見えた。帝国領が魔の力に満たされていくのを感じる。


「グウェン、転生の書を持つ主に付き従う四天王が参りました」


 サタナキアがそう言うと、転生の書から四つの影が飛び出した。

 ひとつは下半身が馬で、上半身が槍を持つ美青年だった。


「我、騎兵の極点、ブエル! 人馬もろとも踏み潰そう!」


 ふたつ目は羊の頭を持ち、重鎧を着込んだ巨人だ。


「我、歩兵の極点、バフォメット・ゴート! 異端者を引き千切るぞおおおい!」


 みっつ目は無数の砲塔が棘のように生えた、巨大なワーム。


「我、銃兵の極点、エリゴス! 矮小なる者を溶かすでやんす!」


 よっつ目は竜だった。狭い玉座の間では収まらないのだろう。竜だけは影のうちに窓を割って外に出て、黒い空の下で顕現した。


「我は頂点……グレモリーなり」


 竜は悠然と城の周りを跳ぶ。翼が起こす風は黒い竜巻となって、王城を取り囲んだ。


「ふはは! 素晴らしい! これが俺の仲間か! 血に飢えた悪魔の集い、紅蓮の傭兵団だ!」


 グウェンは高らかに笑い、小躍りした。ステップを踏む足先は、立ち込めた黒い霧で見えなかった。


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