第9話 小学生の場合 後編

 しかし今日はびっくりするくらい洗濯物を干すのと関係ないなあ、物干師さんが物干師っぽい仕事していたのって私と星井くんのときだけじゃあないかな。


 場違いなことを考えながら遠くにいる物干師さんを目で追う。


 追跡には成功した。物干師さんは「一旦準備をしてから救出に向かう」と話していた。つまり、一度は違う場所に寄り、それから目的地であるお母さんのいる場所へ行くはずだ。


 ということは物干師さんが最初に留まるところが準備をする場所。ひょっとしたら自宅かもしれないので、物干師さんがどういうところに住んでいるのかとか、そもそも名前ってなんだとかわかるチャンスだったが、それは諦める。お母さんを連れ戻すことが優先だからだ。


「令くん、貸してくれてありがとうね」

「大丈夫。パパが帰ってくるまでに返せばいいよ」


 令くんのお父さんの車を借りたのだ。これで移動手段も確保したし、物干師さんに感づかれる可能性も減ったというわけ。


 それで、隣の駅あたりで十五分程度止まっていた令くんのスマホのGPSが動き出したので私たちも出発。スピードからして物干師さんもバイクか車に乗っていた。もうすぐ日付も変わるという時間まで、たっぷり四十分かけて走らせた。GPSの位置が止まったのは、千葉県の野田市というところにある大きめの工場だった。


 その工場に、物干師さんが侵入しようとしている。リュックを背負い、物干し竿を手にしている。それ武器にもなるんだ。

 工場は夜中だというのに所々明かりが漏れ出ている。私たちはそこから少し離れた診療所の駐車場を失敬して様子をうかがっているところだ。


「あそこにママがいるのかな」

 令くんが聞いてくる。

「たぶんね。そして危険な場所なんだと思う。私は行くって決めてるけど、令くんどうする?」

「もちろん、行くよ」

「言うと思った。小学生なのに勇気あるね」

「おねえちゃんこそ」


 普段なら足がすくみ、「やっぱり警察に頼もう」って言ってしまう状況。今は違う。不思議と勇気が沸いてくる。

 私は自分の荷物と令くんの家にあったスコップを、令くんは金属バットをそれぞれ持ち、工場へ向かった。


 物干師さんが建物の中にするっと入っていった。


 いよいよだ。


 私と令くんはすぐさま追いかけて物干師さんが侵入した扉の前に立つ。


 直後、扉に大きなものが叩きつけられるような音と衝撃が響き渡った。すぐにカランカランという勤続の棒が転がるような音。さらに咳き込むような呻きも聞こえてくる。

 物干師さんだ。

 物干師さんが襲われて、何らかの攻撃を受けたのだ。


 助けに行かなければ。


 しかし、あまりに急な展開と恐怖に身体が動いてくれない。私は令くんの方を見る。令くんも同じだった。身体が氷漬けにされたように恐怖で固定されてしまっていた。


 物干師さんが危険だと言っていたのはこのことだったのだろう。令くん家の調査である程度相手の予測を立てていたに違いない。だから私たちに来るなと言ったのだ。

 現に私たちは動けない。金縛りにあったように全身が反応しない。勇気はあるはずだ。あとはきっかけさえあれば必ず動ける!


 そのとき、中から話し声がした。物干師さんと相手が会話をしているようだ。何を話しているかまでは聞き取れない。

 私たちは恐怖に縛られている。物干師さんではない、おそらく敵である男の笑い声が聞こえる。


 やっぱりというか何というか。

 初めて出会ったときと同じように、それは唐突に訪れた。


「今回はアアア、『物干し竿』をオオオ、使いまアアアアーーーーーースッ!!」


 物干師さんの急なハイテンション。それは私と令くんの呪縛を解くのに十分な効果を発揮した。恐怖は勇気に塗り潰され、身体が軽くなる。

「イエエエエエエエエエエエエエエーーーーーーーイッ!!」


 私と令くんは叫ぶ。そのまま扉を勢い良く開けた。


 工場内はたくさんのダンボールがうず高く積み上げられていた。足元には物干師さんが、数メートル離れた先には痩せた眼光の鋭い四十代くらいの男。一瞬驚いた男と目が合ったものの、私たちが物干師さんの援軍だと察したらしい。ありがたいことにダンボールの影へと姿を消してくれた。

 

 私と令くんも物干師さんを引き摺って反対側のダンボールの後ろに避難した。

「なぜ、ここに来たのですか? どうやってこの場所がわかったのですか?」


 口から血を滲ませながら物干師さんが尋ねてくる。

「もちろん令くんのお母さんを助けるためでしょ、決まってるじゃない」

「師匠のバッグに僕のスマホを入れといたからね、場所がわかったんだよ」


 二人で物干師さんの質問に答える。


「危険だと申し上げたはずですが。いや、こうなったら仕方ありません。申し訳ありませんが、力を貸していただきます」

 物干師さんが身体を起こす。そして言葉を続ける。


「時間がないので手短に話しますね。お母様は奥の部屋に監禁されています。あの男は殺しだけはしないので生きているのは間違いありません。ただ彼は護衛や誘拐など、殺人以外の悪事なら何でも請け負う荒事専門の男です」

 呼吸を物干師さんは整えた。

「職業は『とうもろこ師』。文字通りとうもろこしを飛ばして攻撃してきます」


 こんなときだけど、ちょっと私はにやけてしまう。とうもろこしで攻撃ってなんかかわいい。


「攻撃を受けるとこんな感じになります。左手を見てください、骨が折れています」


 全然かわいくない! 物干師さんの左手首付近が腫れあがっている。一発でこんな破壊力は凄すぎる。とうもろこし怖っ! ほら、令くんは目をキラキラさせない! なんかかっこいいって思ってるまなざしだよそれ。


「さらに『とうもろこ師』の必殺技がこれです。名を『ポップコーン』と言います」


 またもやかわいい名前の技を伝えながら物干師さんは腹を見せる。鍛え上げられた腹筋が焼けただれている。

 どうやら熱したとうもろこしを放ち、命中した瞬間に破裂。それでとんでもない衝撃が来る技らしい。物干師さんは咄嗟に後方へ跳んで衝撃を逃がしたって言ってるけど、それでも扉に吹っ飛ばされて吐血するほどの威力みたい。物干師さんの運動能力でそれだったら私や令くんだったら一発でアウトね。


「とうもろこし飛ばすだけで骨を折って、ポップコーンは人を吹っ飛ばすって反則だわ……」


 令くんのお母さんはとうもろこ師による奇襲を受けて気絶させられ、そのままここへ運ばれたということになる。コーンが落ちていたことからとうもろこ師による仕業だと物干師さんは気づいた。だからアジトであるこの工場へ来た。


 話は繋がった。すべてはあの目つきの悪い『とうもろこ師』のせいだったということだ。

 お母さんを救い出すにはあの男を倒さなければならない。でもどうやって?


「物干師よぉ、仲間連れてくるなんて初めてなんじゃあねえか。お前は俺と同じでチーム組まねえと思ってたぜえ」


 とうもろこ師が話しかけてきた。工場全体に反響してどこにいるかはわからない。


「俺らみたいな消えゆく職業はよぉ、仕事の取り合いになっているよなあ」

 遠慮なく話を続けてくる。こちらの返事を期待してはいないらしい。


「そうするとだ、お前みたいなやつが多ければ多いほど、俺の仕事が少なくなるってことだよなぁ」

 やはりどこにいるのか見当もつかない。反対側のダンボールの影にいるはずだが、どのあたりか把握するのは不可能そうだ。


「だからよぉ物干師ぃ、今日で引退させてやるぜえ、一生入院生活になりやがれ!」


 破裂音と共に、とうもろこ師のいる側にあるダンボールが崩れる。

「あれが、ポップコーン」


 令くんが感動している。今そういう時間じゃあないよ。


「入り口付近に、私の物干し竿はありますか? 先程ポップコーンを受けて落としてしまったのです。あの物干し竿さえあればとうもろこ師に勝てます」

 背後から私に話しかけてくる物干師さん。私は入り口の方へ視線を移す。


 あった!


「あったよ、取ってくる!」

 そう言って身体を起こした瞬間、私の目の前で風が吹いた。直後、額に痛み。

 額を触ると出血していた。


「その辺に居やがったのかあ、わりぃな姉ちゃん一発で仕留めてやれなくて。次は外さねえから安心してくれよぉ」


 ダメだ、たった数メートルが遠い。取りに行けない。ダンボールを崩したのは威嚇じゃあなかった。とうもろこ師が自分の視界を開くためだったんだ。

 この工場には木の板もある。それを盾にすればとうもろこしは防げるかもしれないが、ポップコーンの衝撃までは躱せない。壁に叩きつけられて終わりだろう。


「僕が行くよ、おねえちゃんよりも小さいし、走るのも速いんだ。当たらないかもしれないから」


「ダメだよ」

「ダメです」

 私と物干師さんが同時に止める。さすがに無謀だ。あのコントロールを考えたら何発も連続で外すとは思えない。


「でも、僕が一番可能性あると思うんだ。大丈夫だよ、師匠の力になりたいんだ。何より」

 強い目だった。

「ママを助けたい」


 これは止まらないやつだ。この子はやる。あいつが外す可能性に賭けるしかない。


 じゃあお願い、と喉まで出かかったとき、閃くものがあった。


「わかった、じゃあお願いするね。でも私が『GO』と言ったら飛び出して。いい、必ず物干師さんに物干し竿を届けて!」

「うん!」


「おせえよ、お前らよぉ。しょうがねえ、こっちからい……ああ!? なんだこれはぁ!?」


 様々な光と煙が行き交うファンタジーワールドへようこそ!


 私は持っていた花火に火をつけてそこら中に放ったのだ。カラフルに光り、音を鳴らし、煙を上げて行く花火たち。


 おばあちゃん、素敵なお土産ありがとう!!!


「令くん! GO!」


 私は声を張り上げる。


 同時に飛び出す令くん。


 室内なのでスモークが焚かれた状態。


 とうもろこ師は狙いを定められない!


 令くんは物干し竿を拾い上げ、こちらへ走り出す。


 痛みを押し殺し立ち上がる物干師さん。


 令くんと物干師さんがすれ違う。


 すれ違いざまに手渡される物干し竿。


 最後の力を振り絞り駆け出す物干師さん。


 煙が減ってくる!


 とうもろこ師が物干師さんを見つける、そしてコーンを撃つ!


 物干し竿で、コーンを弾く! とうもろこ師に急接近!


 とうもろこ師が次の弾を構え、撃つ!


 再び物干し竿でコーンを弾く!


 とうもろこ師が指先を燃やしながらコーンを持つ、ポップコーンを撃つ姿勢だ!


 しかし、放つ前に物干師さんが渾身の一撃をとうもろこ師に叩き込んだ。


 煙が晴れていく。


 物干し竿を片手に立っている物干師さんと、気絶しているとうもろこ師がはっきりと見えた。


 私は膝を擦りむいた令くんの足にタオルを当てながら、その姿を見ていた。 

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