第8話 小学生の場合 中編

 スーパーマーケット「ベルセルク」。


 令くんのお母さんが働いていた職場だ。週に一度十倍になるポイントシステムだけでなく、日替わりで普段なら五百円以上する商品の百円セールが行われている。それらが受け、ベルセルクは繁盛している。正直私もよく使っているスーパーだ。令くんのお母さんに会ったことがあるかもしれない。


 確かに、ひと月前に退職していたことは令くんさえ知らなかった。


 しかし、職場は別だ。


 仕事を辞めるときは二週間から一ヶ月前までには伝えるはず。ならば辞める理由を知っている同僚がいるかもしれない、というのが物干師さんの考えだった。


 その考えは的中する。スーパーの応接室で店長と話すことになった。四十代くらいで人のよさそうな顔。体型は太っているが、安心感というか頼りになりそうな身体つき。物腰も不快感を一切与えない話し方だった。


 物干師さんが私の荷物を持ち、私メインで店長と会話するよう促す。店長も私を主軸と決めたらしく、正面に座ってくる。そんな店長と会話していると、ある程度方向性が見えたのだ。


「今からだと二ヶ月前ですね、ええ先月辞めましたから。どうも最近、もうひとつの仕事が忙しくなってきてうちには来れないということでした。どんな仕事か? ええ、聞きましたよ。結婚の仲を取り持つ仕事って言ってました」


 意外過ぎる回答だ。私は質問を重ねる。


「結婚相談所みたいなやつですか、それともマッチングアプリみたいな?」

「いえ、私も結婚相談所かと思って聞いたんですが、どうやら仲人らしいです」

「なこうど?」


 耳にしたことはあるが、どんなものなのかわからない。そこで物干師さんが説明してくれた。


 要するに結婚する二人の間を取り持つ存在で、結婚相談所スタッフの専属バージョンに近いようだ。昔は二人の仲だけでなく、両家族の橋渡しという重要な役割も担っていたそうである。もちろん令くんはポカンとしている。ちょっとかわいい。


 お礼を言って応接室を出ようとする。すると、店長に呼び止められた。


「最後にちょっと気になったことがありまして。仲人って結婚する人と近しい人物や仲がいいとか仕事先の上司とかが務めると思うんですが、阿古賀さんはこう言ってました。『二人とも今度初めて会うんです』」

 






「ここが僕の家だよ」


 店長から聞いた最後の言葉に心をもやもやさせながらも令くんの家に到着した。


「では気持ちを切り替えて、お邪魔しましょう。ここでお母様の行方をヒントだけでも掴みたいところです」

 物干師さんが言う。スーパーマーケットからここまで、饒舌なはずの物干師さんがほとんど喋らなかった。唯一話したのは「お母様は連れ去られた可能性が高いでしょう」ということだだけである。


 もし連れ去られたと仮定すると、自宅で夕食の準備中か、インターホンを鳴らして玄関先に出てきたときに襲われたと考えるのが自然だ。

 私たちはその痕跡を探しに令くんの家へ来た。


「お邪魔しまーす」

「お邪魔致します」

「いいよ、別に。誰もいないんだし」


 令くんが玄関の扉を開ける。少し広めの一般的な一軒家だ。玄関は片付いていて乱れた様子はない。靴は庭用と思われるサンダルとお母さんのパンプスが揃えてある。私の家は靴の上に靴を乗せるくらい散らかっているのに。星井くんといい家野さんのときといい、整理整頓が上手な人が多い。


「阿古賀さん、玄関はいじっていませんか?」

「いじってないよ、キッチンもそのままだし」

「なるほど、玄関で襲われたわけではないでしょう。お母様の靴が残っていますし」

 そう言って玄関マットをひと撫でする。

「玄関マットには土が多少ついていますね。ということは玄関から土足で侵入し、キッチンにいるお母様を襲撃。そして気を失わせたあと連れ去った。これが一番しっくりきます。阿古賀さん、お母様は玄関の鍵を閉めないことはありましたか?」

「うん。ママが家にいるときはあんまり鍵閉めてないよ」


 令くんが答え、物干師さんが私を見て頷く。この仮説で進めていこう、ということだろう。私は令くんに次は台所を見せるよう促した。


 台所は、まさに料理中ですという光景だった。切りかけの人参にボウルに入ったじゃがいも。テーブルにはお皿が並べてあった。日常を思わせる。


 唯一違ったのは倒れた椅子だ。

 流し台のすぐ背後にある椅子だけが倒れていた。

 物干師さんが椅子に近づき調べ始める。私もそれに倣って近くの床を見渡してみたが、キッチンマットが乱れている以外には変わったところを見つけられなかった。せいぜい落ちていたとうもろこしの粒だけだ。


 一粒だけ落ちていたコーンを拾い上げる。そこでふと疑問を持った。

「あれ、物干師さん。コーンが落ちてたんだけど、今日の料理に使われてないよね?」


「えっ? みみみ見せてください!」


 ありえないくらい狼狽した様子で物干師さんが反応する。いやいやコーンが一粒落ちてただけだよ。そんなリアクションされたらこっちまで不安になるわ。


 とりあえず一粒のコーンを物干師さんに手渡した。

 物干師さんはじっくり見ている。心なしか震えているようだ。

 たっぷり三十秒ほど観察してから物干師さんは言った。


「いろいろわかりました。お母様が誰に連れ去られたか、そして九割方監禁されている場所も」

「えっ」

「えっ」


 令くんと私が同時に声を上げた。そんなとうもろこしなんかでわかっちゃうのかよという驚きと、お母さんが取り戻せそうだという嬉しさが半々にこみ上げる。ただ全く事情が呑み込めない。まずはどういう流れでそういう結論を出したのか教えてほしい。


 私はできるだけ協力したい。令くんの力になりたいのだ。

 そんな私の思いは届かなかった。


「ですが、その場所に行くのは私ひとりだけです。畑良さん、令くんを連れて自宅に帰ってください。私は一旦準備をしてから今夜すぐにお母様を取り戻しに向かいます」

「ちょっと! いきなり何言っているの、ちゃんと教えてよ!」

 食い下がる。

「言えません。言えることがあるとするならば、ここから先は命に関わるくらい危険だということくらいです。畑良さんの同行もこれにて終了致しますので、どうか阿古賀さんを保護してください」 

「だからどうして危険なの!? 説明もなしに終了とか言われても納得できるわけないでしょ!」

「納得する必要はありません。ここからは企業秘密と思っていただければ問題ないでしょう。それでは失礼します」


 物干師さんは家を出て行こうとする。私は何故だか涙を流していた。何もわからない、何もできないのはこうも悔しいのか。

 令くんが物干師さんに抱きつく。物干師さんは令くんを優しく引き剥がし、一言二言声をかける。令くんは下を向いたまま頷く。表情は見えない。動かない。


 物干師さんは出て行った。


 しばらくの間、扉を見つめていた。あっという間の出来事に何も考えられない。

 きっと令くんも同様だろうな。私は令くんに視線を移した。


 え?


 阿古賀令よ。何で嬉しそうにガッツポーズしてるの?


「おねえちゃん、成功だよ! これから師匠を追いかけよう!」

「師匠!?」


 初めて物干師さんのこと呼んだと思ったら師匠か! マジで悪影響。


 いや、それより。

「追いかけるって、どういうこと? どっち行ったかも、どこに行くかもわからないのに!?」

「さっき抱きついたとき、師匠の荷物に僕のスマホ入れたんだ。だから場所はわかるよ、GPSで」


 策士。マジで策士。

 たしかアカウント登録してあれば、そのアカウントでスマホの場所がわかるんだっけか。

 私のスマホで令くんにログインしてもらえば場所を特定できる!


 物干師さんを追いかけられる!


 私の脳が回転しだす。


 すぐ追いかけてもいいが、物干師さんに見つかってしまったら意味はない。

 このあとどういう行動を取ればいいのか。必死に考える。


「わかった。令くん、物干師さんを追いかけよう。ただし――」

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