トレンドは鳩鉄砲君

まずいお寿司

トレンドは鳩鉄砲君

 高校1年生の冬。将来についてぼんやりと考えていた帰り道のこと。

 出会ってしまった。八百屋で。


 姉は一流の大学に入学し、順風満帆なキャンパスライフを送っていて、それを父も母も素直に喜んでいた。僕も嬉しい。

『そのくせ弟のあんたは……』

『この出来損ないが!』

 などと罵られることはなく、父も母も『おまえはおまえのペースで生きなさい』と将来についてプレッシャーを与えるでもなく、姉も『思う様にやりなね』と優しい言葉をかけてくれる。

 しかし、逆にそれがプレッシャーになっているが、将来をせかされるよりは全然マシだなと思う。クラスメイトの久太郎は両親に将来のことを口酸っぱく言われているようで、かなりげんなりとしんなりとしていた。

「冬休み1回位会えたら会おうぜ」

「うん。初詣とかいいんじゃない」

「そうだな。じゃあまた」

「うん。また」

 僕と久太郎は駅で別れを告げて、それぞれ違う路線に乗った。

 最寄り駅に着いたと同時に母からLINEで連絡があり、『今日は鍋にするから白菜と春菊買ってきて』という依頼が入った。

 非常にシンプルな仕事だ。誰かからお使いを頼まれてそれを買ってきて依頼者に渡す。これで生計を立てたい。プロのお使い師だ。

 僕は現実逃避をしながら駅前にある八百屋へ向かった。

 その八百屋は八百屋にしては大きな店で、店頭では何人もの店員さんがオリジナルの口上で野菜達を薦めていた。それは時折ラップのような感じだったり、民族音楽のようだったりと、僕はその中で野菜を選ぶのがまあまあ好きだった。どこか違う場所へ来たようなそんな感覚に陥る。

 終業式がクリスマスイブだったので、街は何やらサンタ歓迎ムード。八百屋はいつになく混んでいた。おばちゃん達に揉まれながら僕は目当ての白菜と春菊を探していた。

「はくさいはくさいやすいよやすいよ148円」

 店員さん達の力強い口上の間を通って、今まで聴いたことのない透き通った声が僕の耳に入った。

「ん?」

 店頭でかかっている音楽を空耳したのかなと思ったが、その後も、

「しゅんぎくねぎしいたけぜんぶ100円」

 とはっきり聞こえた。

 僕はその声の美しさに鳥肌が立ち、シンプルに感動してしまった。

 え。めちゃくちゃ歌上手じゃない?もしかして僕が知らないだけで実は凄い有名だったりするのかもしれない。

 気が付けば僕はおばちゃん達をかき分けてその声の主の方へ向かっていた。

「サンタもやさいがだいすきだからみんなかってって」

 僕はその声にすっかり魅了されていて、独特な言い回しだけど一体どんな人が歌っているのか確認したくてたまらなかった。「ごめんなさい」と少しだけ人をかき分けてその声の元へと行くと、そこには僕と同い年位の黒髪ショートカットの女の子がいた。

「お客さん。どうしたの。豆が鳩鉄砲だよ」

 僕の心に鳩鉄砲から発射された豆が突き刺さるイメージが脳内を過り、よく分からないけど顔が熱くなったものの、

「いやいや!鳩が豆鉄砲では?!」

 僕は女の子の間違いを正さずにはいられなかった。

「そうだ。お客さん物知りだねー。それで何かお探しで?」

 女の子にそういわれて僕は本来の目的を思い出した。母から頼まれた鍋の具材の野菜を買わなかければ。

「キャ、キャベツとパクチーください!あ、袋いらないです」

「まいどあり~」

 女の子は僕にキャベツとパクチーを渡すと、また透き通った声で商品を薦めながらお客の波に消えていった。

 僕はしばらく呆然と立ち尽くしていたい気分だったけど、凄い邪魔なので足早にその場を立ち去った。

 一体あの女の子は何だったのか。


「惜しい!惜しいなぁ」

 僕が買ってきた野菜達を見て母は叫んだ。

「面目ない……」

 クライアントから依頼されたブツは白菜と春菊だったが、あの女の子との出会いにより僕の頭の中は真っ白になってしまった。もしこれがヤバイ人とのやり取りだったら殺されていた。

「息子よ。約束のブツと違うので死んでもらう」

「動機が鍋の具材って!大ニュースになるよ!」

「面白そうね」

「面白くないよ!」

 その後父が帰ってきたので、家族揃って鍋を囲んだ。

 父は席に座るなり「水炊きなのに白菜じゃなくてキャベツとパクチー?」と違和感を感じ取っていた。

「犯人は息子」

「……ちょっとね」

 八百屋のことを父と母に話すかどうか迷ったが、あの素晴らしい声の持ち主が気になるので事情を話した。

「えー。そんな娘いたかしら?お父さんみたことある?」

「俺もたまに寄るけど見たことないなぁ」

「あ。僕もしかして心霊的な何かに遭遇した感じ?」

 確かに言われてみれば、僕以外のお客さんは誰もあの娘の声に耳を貸さず買い物していた。

「幽霊が野菜売る?」

 母の言葉はもっともで、物品を売りさばき金銭を受け取る幽霊等古今東西探してもいないだろうし、恐らく新人なんだろうという結論に辿り着いた。

 でもあの声は少し人間離れした特別な何かを感じた。僕にはそう思えた。

 その夜、僕は久太郎に八百屋の件をLINEしたら直ぐに返信が来た。

『一目惚れで草』


 一目惚れ。辞書で引くと一度見ただけで好きになることと書いてある。

 いやいや。そういうことではない。僕はあの娘の声に魅了され、そして何かとてつもない大きな可能性を感じた。これは恋愛感情とかではなくファン。そう。ファンという気持ちが一番しっくりくる。

 今までこんな気持ちを感じたことがない。これはきっとそう。サンタさんがくれたクリスマスプレゼント。

 というようなことを、クリスマスの翌日になんとなく会うことになった久太郎に話した。

「ふーん」

「興味ゼロ!」

「いや。完全に一目惚れだなって」

「だからそんなんじゃないって。まだ1回しか見たことないし、それに幽霊説も出てる」

「は?」

「父と母に聞いたらあの八百屋でそんな女の子見たことないって」

「なるほどですね」

「というわけでこれから見てくる」

「もしかしたらその女の子だけじゃなくて、俺もこの世界も全ておまえが見ている夢かもしれないぞ」

「それなんだっけ。胡椒の夢?」

「スパイシーかよ」

 などど下らないやりとりを久太郎とだらだらと交わし、お昼過ぎに解散した。

 そして僕はそのまま駅前の八百屋へと向かった。

「本当にいなかったらどうしよう」

 しかし、そんな心配をよそに、

「やさいもいそがしいおおみそか。かんけいないけどながねぎ78円」

 その女の子はいて、やっぱりその声はどう考えても最高だったし、女の子は他のお客さんにそのねぎを売っていたからこの世に存在する方で間違いなかった。

 僕は嬉しくなって頼まれてもいないのにそのねぎを買って「ほら見たことか」と父と母と久太郎に自慢したくなった。

「すみません。ねぎ下さい!」

 凄い。なんでこんなに嬉しいんだ。今まで感じたことがない胸が熱くなる気持ち。

「はいよー。あ、この間の鳩鉄砲君」

 女の子は僕を認識していた。

 その瞬間地面が盛り上がり僕を乗せてどんどん上へ上へと突き進み、ついに天国に来た。恍惚。もしかして、久太郎のやつさっき僕が飲んでいた飲み物に何か怪しいドラッグを入れたのではないだろうか?

 僕は恍惚をさまよい、幸福の真っ只中にいた。

「はい、ねぎ。78円だよー」

「あ、ありがとう!あ、あの!君の声凄い素敵!」

 女の子から葱を受け取り、勢いで口走った瞬間、僕は現実に引き戻された。

 一体何を言っているんだ。

 お店で働いている女の人の声を素敵だねと褒めてしまったけど、突然そんなこと言われても向こうは困惑。いやキモがるだけではないだろうか。

 やってしまった。

 盛大に後悔したが時すでに遅し。

「あ……あ……」

 女の子は顔を真っ赤にして震えていた。これは前に学校のクラスメイトが男子と喧嘩していた時と同じ表情で、いわゆるクソキレている状態。

「あぁぁぁぁぁ!」

 手で顔を隠し叫びながらお店の2階へと消えていった。

 訪れる沈黙。注がれる視線。熱くなる僕のほっぺ。

 八百屋の店員さん。そこにいるお客さん。全ての視線が僕を突き刺して、恥ずかしさが爆発しそうになった瞬間、

「コラァァァァ貴様ぁぁぁ!娘に何をしたぁぁぁ!」

 人混みをかき分けてやってきたのはジョジョに出てきそうな屈強なおじさんだった。

「ご、ごめんなさい!」

 捕まれば殺される。僕は全速力でその場を離れた。


「おまえ、アクティブだな。明けましておめでとう」

「……そんなつもりはなかった。明けましておめでとう」

「陽キャじゃん。今年もよろしく」

「違うよ。だからといって陰キャでもない。その真ん中の無。無キャラクター。無キャだよ。今年もよろしく」

 大晦日の夜。久太郎と近所の神社に並んでいたらいつの間にか年が明けていた。その間に先日の八百屋事件のことを話したら陽キャ扱いされてしまった。

「今後どうすんの?」

「誤解は解きたいけど……」

「声が綺麗って褒めただけですって?」

「それだとナンパしやがってと更に怒られそうだね……」

 はぁと吐いた溜息が白い煙となって、新年の空気に混ざって消えた。終わり。

 などどポエミーな気分に浸る位しか、今の僕にはできることがなかった。だってその女の子と僕は友達でも何でもないし、また八百屋に会いに行って謝るなんてそろそろストーカーレベルの行いだ。前に親戚の叔母さんから聞いたことがあるストーカーの話もこんな内容だった。きっと噂されているだろう。

 つまりもう八百屋には行かずあの女の子のことは忘れろということだった。

 久太郎と別れ帰宅して、布団の中に潜り目を瞑ったが、どうしてもあの娘の声が頭から離れなかった。

「どう考えても凄い声なんだけどなぁ……」

 でもこれ以上考えたところでどうしようもなかったし、今後会うこともない。綺麗さっぱり忘れるしかない。

 あの言葉は過ちだったのだ。

「悲しみ……」


 元旦の午前中。僕はこの時間が1年で1番好きで、近所から少し離れた公園まで散歩するのが毎年の恒例の行事となっていた。

 昔、その公園で1人の少女が歌をうたっていて、僕は天使みたいだなって思ったという2次元的なエピソードでもあればいいのだが、そんなことはなく、むしろ一度だけDQNに絡まれて有り金を盗られて最終的に警察を呼ぶ騒ぎになったというトラウマエピソードしかない。

 ロケーションは最高であまり人がいないが、その分やっかいな人種とエンカウントする確率もあるリスクが高い場所だった。

 それでもそこに行くのは、公園が高台にあって、ブランコに乗って見える景色が最高に綺麗だからだ。

 今年もそれで新年を始めようと意気揚々と公園に向かい着いたものの、残念ながら今年は先客がいた。逆光でよく見えなかったが、とにかく図体がでかいことは分かったので、僕は自分の気配を悟られないように立ち去ろうとしたが、うっかり木の枝を踏んでしまい相手にばれてしまうという漫画でしか見たことのない失態をおかしてしまった。

 図体がでかい人はその音で僕に気付き、こちらの方を見た。

「……君は」

「え」

 どうやら図体がでかい人は僕のことを知っているようだったが、僕は知らなかった。恐らく勘違いか、少し頭の機能が人とは少し違っている可能性の人で、この後僕は何かといちゃもんをつけられてどうにかされてしまう。

 そんなことを考えている間に、図体がでかい人はこちらに向かって歩いてきた。

 早く逃げろと本能が叫ぶ。

 でも足がすくんでしまい僕は上手く動けなかった。

 図体がでかい人は僕の前に立ったその瞬間、僕は気が付いた。

「この間は怒鳴ってしまい申し訳なかった」

 八百屋にいたジョジョおじさんだった。

「あ、いや、えと、その」

 予想外の展開に僕の頭はしばらく真っ白だったが、ジョジョおじさんが自動販売機でコーンポタージュを買って渡してくれる頃には、いくらか落ち着いた気分になった。

 怒鳴られた時は怖かったけど、物腰は柔らかで話てみると優しいおじさんという印象を受けた。

「この間、娘から聞いたんだ」

 まさかとは思ったけど、ジョジョおじさんはあの娘のお父さんだった。

「は、はい」

 娘からという言葉を聞いて僕の背筋がこわばった。そして申し訳ない気持ちが一気に押し寄せてきた。

 迷惑だ。

 そう言われるのを覚悟したし、実際そうだろう。

「娘の声……褒めてくれたんだって」

「え?は、はい」

「それは……本当にそう思っているのかな?」

 僕は迷惑だと忠告されると思っていたので、ジョジョお父さんが今話していることを一瞬理解できなかったけど、どうやら迷惑ということを伝えるような空気ではなさそうだった。

「ほ、本当というのは……?」

「娘の声を褒めた気持ちに邪な気持ちはなく、嘘偽りの無い感想なのかという意味だよ」

 ジョジョお父さんは僕の目を真っ直ぐ見ていた。その表情は咎めるとかそういった類のものではなく、純粋に僕の気持ちを知りたがっているように思えた。

 だから僕は正直に話した。

 娘さんの声は今まで聞いたことがないとても綺麗な声で、それで思わず褒めてしまったことを。そして迷惑をかけてしまいごめんなさいと謝罪した。

「そうか」

 しばらくしてジョジョお父さんは静かに呟いたが、どこか少し嬉しそうだった。

「あの、娘さんの声よく褒められるのでは?」

 ジョジョお父さんは僕の質問を聞いて目を丸くしていた。

「君は本当にそう思っているんだな」

「は、はい」

 よく意味は分からなかったが僕は頷いた。

「逆なんだよ」

 ジョジョお父さんはそういって説明してくれた。

 娘さんは子供の頃から自分の声質に違和感を感じていて、中学生になる頃には完全なコンプレックスになっていた上に、同級生にからかわれることもあったそうだ。

 でもそれにいつまでもくよくよしていても仕方がないということで、最近自ら八百屋の店頭に立ち克服しようとしていると。

 それを聞いて僕は素直にかっこいいと思った。腐るんじゃなくて、努力して克服しようとしている姿勢を。

 そうか。地声は別で、あの声は歌声のようなものなのかと思った。そしてあの声は先天的なものではなく、努力して得られたものなんだなと。勿論元からっていうのもあるとは思うけど。

「娘さん……かっこいいですね」

「私も……そう思うよ」

 僕達は見つめ合い、なんだかそんな雰囲気になったので、コーンポタージュが入った缶を軽く打ち付け乾杯した。


「なんでヒロインのお父さんとの好感度を上げてるんだよ。つかそこはその娘がその公園にいるべきだろ!」

 3学期が始まり、いつもの放課後に僕が久太郎に元旦のことを説明した。久太郎は憤慨していたが、そんなこといわれても困ってしまう。

「それでその娘とは会ったん?」

「いや。会ってないよ」

「なんでだよ!」

「いいんだ」

「よくねぇだろ!」

 ぎゃあぎゃあと叫ぶ久太郎の言葉を流し、僕は窓の外を見た。

 きっとあの娘は今頃八百屋で歌っているんだろ。

 目を瞑り、その光景を想像した。

 めでたしめでたし。

 とはならなかった。そもそも学校に通っているんだから午前中は八百屋にいない。

 1月の下旬。家に帰ると母親がタブレットを渡してきた。

「あんた!この娘のことでしょ?!幽霊の娘!」

「な、なに?!ラリってるの?!」

「いいから見て!」

 母のテンションがなぜこんなにも異様なのか不思議で仕方がなかったが、その理由は直ぐに分かった。

 母から見せられた動画には、あの八百屋の娘が店頭で歌いながら野菜を売られる様子が撮影されていた。

 再生回数はアップロードからたった1日で10万回を超えていた。かなりのバズりようだった。

「あら。本当に上げたんだ」

 ジョジョお父さんと別れる時、「娘さんが野菜を売る姿動画に取ってyou tubeに上げたらきっと人気でますよ」と半分本気半分冗談でいったが、どうやら本気にしたみただった。

 でもジョジョお父さんが上げなくても、いつかは誰かが気が付いて上げていたと思う。

「お母さん。この声綺麗でしょ」

「うん。とても綺麗。でも!そんなことより!この動画の最後を見て!」

 母がシークバーを最後辺りに持って行くと、あの娘はカメラに向かって喋っていた。

『あの、私がこの動画を上げてもらおうと決意したのは、鳩鉄砲君のおかげです!ちゃんとお礼を言いたいので、鳩鉄砲君!この動画を見たらお店に来て下さい!』

 あの娘はキラキラした目で喋っていた。

「鳩鉄砲君ってあんたじゃないの?!」

「違うよ。そんなわけないじゃん」

 僕は笑いをこらえるのに必死で、母が何か言っているのを適当に流し、部屋に戻った。

 ベッドに寝転がり、もう一度動画を見た。ヘッドホン越しでもあの娘の声の透明はちゃんと伝わってきた。

『鳩鉄砲君!』

 動画の最後、あの娘の言葉に僕は腹を抱えて笑った。

 Twitterを見ると、トレンドに鳩鉄砲君が上がっていて、僕は更に笑った。

 ひとしきり笑った後、今度こそあの娘を考えながら目を瞑り、やがて眠気が襲ってきたので、寝てしまう前にあの動画を再生し、また目を瞑った。

 起きたら、こちらこそありがとうと伝えにいこうか。

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