五月.晴人のいい人
「ふわーあ」
魔術準備室に一人きりの
授業が終わって喜び勇んで部室に来てみれば部屋は開いているものの誰もいない。せっかく魔法で遊べると思っていたのに期待外れもいい所だ。
今日の活動が休みだとは聞いていないから、少なくとも先生は来るだろうが、どちらにしろ待たなければいけない。時間を潰すにしても、この部屋にもまだまだ興味を惹かれるものはあるし、自分の持ち物でも暇はつぶせる。
しかし、力也にとってこの部活の一番の楽しみは先輩や先生の魔術を見ることだ。まだまだ一人で新しい魔法に挑むほどの技術もないし、知っている魔法で遊ぶのもいまいち。
さてどうしたものかと天井を見つめていると、入り口の戸が静かに開いた。
「失礼する」
やっと誰か来たかと思ったら、力也の知らない女性だった。思考と行動が硬直する。ただ単に知らない人だったからというわけではない。その容姿に目を奪われたからだ。
嗚呼言葉を知らない自分が憎い。頭の中で文字をかき集めてもその美しさを十全に表現することはできないだろう。だが、どこかで見たことがあるような……。
彼女は室内を一通り見渡すと、固まったままの力也に話しかけた。
「すまない。君は魔術部員か? 晴人はいないのか?」
晴人のことを呼び捨てだ。いや、別に呼び捨てでもいいのだが、どうしても関係を疑ってしまう。制服ではないからここの生徒ではなさそうだし、教師なら分かる。見た感じ二十代前半と言った所。晴人も大人びているとは思っていたが、まさか年上のそういう人がいるとは。
「……? どうした?」
「あ、はい。俺も今来たところでして。探してきましょうか?」
「いや、そこまでしなくてもいい。伝言だけ残していくか」
彼女のその言葉に力也が紙とペンを用意しようとすると、彼女はそれも手で制した。
彼女は胸の前の空中に指で円を描く。すると、そこにシャボン玉のような透明の球体が出現する。それに顔を近づけると、小さな声で二言三言何かを呟いた。
「よし、と。さて、邪魔をしたな。ではな」
そう言うと、彼女は長い髪を翻して颯爽と部屋を後にした。
「え、あ。さ、さようなら……」
残されたのは力也と、宙に浮かぶ透明の球体。これは、何なのだろうか。力也は近づいて見てみることにした。
空中にとどまっている。ふわふわという感じではなく、一点に留まっている。形もシャボン玉のように不安定ではなく、どちらかと言うと水晶玉のように固そうだ。こんなものは見たことがない。魔術の代物であることは間違いなさそうだが。
……、触るな、とは言われなかった。
指でツンツンとつついてみると、やはり固い。動く気配もない。まるで見当もつかない。
しばらく眺めたり触ったりしていると、再び部屋の戸が開いた。
「お、武石。来てたのか」
「さっきブチョーさんを訪ねてきた人がいたっス」
「ん。誰だろう」
「美人さんでした」
「それは必要な情報なのか。む、これは」
晴人が宙に浮く球体に気付いた。
「それ、その人が置いていったんスけど、なんなんスかね?」
「ああ、これは……」
晴人は知った風にその球体に触れる。すると、球体は音もなく弾けた。
『伝言だ。帰りにサラダ油を買ってきてくれ』
弾けると同時に先ほどの彼女の声が中から聞こえてきた。まるで中に溜まっていたように。
「音をその場に残す魔法だ。指定した相手が触ることで音が再生される」
「へ~。そんな魔法もあるんスね」
「ああ。紙に書くか携帯電話を使えばいいのに。全く、姉さんは古風で困る」
確かに今となっては重宝される魔法ではなさそうだ。
ん? 姉さん?
頭の中に晴人と彼女の顔が並んだ。切れ長の目、通った鼻筋、不敵な口元がぴたりと一致する。彼女を見た時の既視感はこれだったか。
「え~っ。お姉さま来てたの!?」
急に大きな声を出したのは莉生だ。
「そんなことなら先生の手伝いなんてするんじゃなかった!」
「ご、ごめんなさい。一人だと大変だったから……」
謝る凛の目に涙が溜まる。
「センパイ、どうしたんスか」
「佐倉はな、姉さんのことが好きなんだ。狂信的に」
晴人の口からため息が漏れる。
「あ、そういう。なんか複雑っスね」
「ああ……」
晴人はやれやれと肩をすくめた。今は彼女の怒りがこちらに向かわないように身を縮めていた方がよさそうだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます