序章「千代の過客」②

公儀こうぎくさは日本各地に根付いております」

「奥州もかね」

「無論」

 芭蕉と曾良は徒歩で温泉神社に続く参道に入った。宿にしている高久の名主なぬしから借り受けた馬もいたが、それは町の宿場に預けてある。

「ならば、わざわざ江戸から隠密を送っても得る物など無いであろう」

「たしかに、草が得られぬ物を余所者よそものが得られる筈もありませんからな」

「ふーむ……」

 草とは忍者の隠語で、主に敵国に潜伏して情報収集や調略を行う者を指す。草はその土地に馴染むために場合によっては数十年、親子数代に渡って潜伏し続けることもあるという。

 先ほどの手鏡の母娘もそういった手合いなのだろう。

「また、はぐらかすつもりではなかろうな」

「いえ、全てお話いたす所存に。ですが何から話せば良いものか」

 山の中腹に神社の鳥居が顔を出す。山の傾斜はゆるやかに見えたが、中天の日光が容赦なく二人に降り注ぐ。

「飲んだ茶がもう汗に変わるようだわ」

「神社につけば手水ちょうずで口もすすげましょう」

 澄ました顔で答える曾良は、いつもの見慣れた姿である。観念して吹っ切れたようにも見える。

「ふむ…… ではワシから聞こう。お主は先ほど黒脛巾くろはばきが動いた、と申したな」

「……やはり気になりますか」

「当然よ。事と次第では命に関わる」

 黒脛巾組、とは戦国大名伊達だて政宗まさむねが創設した隠密集団である。伊達家が用いた黒い具足にちなんでこの名で呼ばれた。しのびとしては甲賀伊賀に比類する精鋭で知られ、当時若干24歳で南奥州を制した政宗の覇業を陰ながら支えたと伝わる。

 芭蕉が旅の目的地とする奥州平泉は仙台伊達藩現在の宮城県から岩手県南の所領。決して避けては通れぬ相手である。

「ワシを公儀の隠密に見せかける、それが定府殿のはかりごとであろう」

「ご明察めいさつ通りに」

 曾良は眉ひとつ動かさずに即座に答えた。

 芭蕉は足を止めると杖でコンコンと地面を2度叩く。

 曾良は片膝を地に着けて芭蕉にへりくだった。

「ワシをおとりに、奥州の草が伊達の秘密でも暴こうとか、そういう筋書きかね」

「おおよそは、ご明察通りに」

 まるで座禅ざぜん警策きょうさくのように、芭蕉はパーンと杖で曾良の肩を打ち据えた。

 曾良は声も出さず微動だにもしない。

「金子の代償が命とは悪ふざけが過ぎるではないか」

「いえ、恐れながら…… 宗匠の身に危険はないものと存じます」

 曾良はしっかりと芭蕉を見据えて口を開く。その場しのぎの言い逃れのような感はない。

「なぜそうと言い切れる」

「定府殿と伊達とは共謀の関係にござる」

「……は?」

「ことはすべて宗匠の知らぬところで始まり、終わる手筈になっておりました」

 呆気にとられてポカンとした芭蕉であったが、咳払いをひとつ、平静を装う。

「……まぎらわしい言い方をしおって」

 曾良に立つように促すと、膝の土を払ってやった。

「伊達まで抱き込んで定府殿はいったい誰をたばかるつもりだ」

「伊達であって伊達でなき者たちにござる」

「ふむ…… 奥州一関いちのせきの田村家のことかね」

 田村たむら家、とは戦国時代に奥州三春現在の福島県三春町を治めた戦国大名である。いにしえの征夷大将軍坂上田村麻呂さかのうえのたむらまろを祖とする。

 戦国末期、子宝に恵まれなかった田村家は伊達政宗に一人娘のめご姫を嫁がせ、産まれた子の1人に田村を継がせる約束を交わした。しかし政宗の代では約束は果たされず、田村家は断絶となってしまう。

 その後、承応2年西暦1653年になって伊達藩2代藩主の子、つまり政宗と愛姫の孫の1人が田村姓を名乗り、ようやく約束が果たされることとなる。これが現在の田村家である。

 一関田村藩現在の岩手県一関市は平泉の南。北上川きたかみがわ磐井川いわいがわという二つの大河が交わる要衝ようしょうで知られる。

寛文11年西暦1671年の伊達の騒動は宗匠もご存知かと」

「政宗公の庶子がくわだてた伊達家62万石の簒奪さんだつ…… とかまあ、面白おかしく語られておるようだが」

「一関はその首謀者、伊達兵部ひょうぶがかつて治めていた領地にござる」

「追放された兵部の代わりに田村が一関を治めたというわけか」

「いかにも」

 芭蕉と曾良は再び湯泉神社を目指して歩を進める。重苦しい空気は晴れて足取りも軽い。

「そのおり、田村は一関の領内にある者たちを見つけかくまった、と噂されております」

「ほう…… なんだね」

「伊達兵部を野心に駆り立てた、藤原ふじわらの黄金、その在処ありかを知る一族にござる」

 芭蕉は考える間も置かず、一笑に付した。

蝦夷現在の北海道に船を出したかと思えば今度は奥州で宝探しとは。定府殿も好奇心旺盛なお方だ」

 光圀は貞享5年西暦1688年に快風丸という大型船を建造し、北海道に探検隊を派遣している。こうした光圀の型破りな人物像が、のちにお供を連れて世直しの旅をする黄門様のイメージの元となっていく訳だが、それはまた別のお話。

「やはり笑われますか」

「まあ、定府殿が好みそうな話。だが…… 田村は伊達の支藩であろう。わざわざ手の込んだことをする必要もあるまい」

「田村家当主の宗永後の建顕殿は将軍様の覚えもよろしく、定府殿も伊達も表立っては手が出せぬ存在とのこと」

 この当時、田村宗永は将軍徳川綱吉つなよしの側近として、外様から譜代への、異例の抜擢を受けている。一関藩の立藩も将軍綱吉の鶴の一声によるものであった。

 ちなみに綱吉の宗永への寵愛を今に伝える物のひとつに時太鼓がある。当時、徳川御三家のみに許された城下町に時刻を知らせる太鼓の使用を、一関藩は特例で許されていた。参勤交代で一関を通過した盛岡南部藩現在の岩手県北と青森県東は恨めしく思い『一関に過ぎたるもの』と評したという。

「また、かつて政宗公が愛姫の護衛にあたらせていた黒脛巾の一派が、今や騒速衆を名乗って田村の忍となり、黒脛巾とたもとを分かっております」

 騒速そはや、とは伝説的に語られる坂上田村麻呂の愛刀の名である。現在も京都清水寺に現存する。騒速衆とは差し詰め、田村家の懐刀といったところか。

 伊達政宗の正室であった愛姫は、その生涯の大半を人質として、奥州から遠く離れた京都や江戸で過ごした。その側に仕えた忍達も長い年月を経て、伊達家ではなく愛姫の、ひいては田村家の忍へと変貌していったのだろう。

「かくして一関の名のごとく、伊達領内に伊達が踏み入れぬ地が生まれたというわけだ」

 我ながら上手いことを言ったわとひとごちる芭蕉であったが、すぐに待てよと思案する。

「おい、やはりそのような物騒な地に、濡れ衣を着せたワシを放り込もうとしているのではないか!」

 曾良は苦笑いを浮かべながら首を振って否定した。

「黒脛巾が動いたということは、事はもうすでに成った、ということでござる」

「ふむ?」

「伊達が欲しかったのは奥州に迫る公儀隠密の報。田村につけ入る口実」

 曾良が言うには、黒脛巾は「将軍と懇意こんいの田村が伊達の転覆を謀って隠密を手引きした」との嫌疑をかけて田村領内の検分を迫るのだという。

 騒速衆が大人しく従えばよし。逆らえばゆえありとみなし騒速衆の殲滅をもって一関を掌握する。

「しかし宗匠はただの俳諧師。あとは誤報を信じた黒脛巾のひとり相撲として内密に処理され、事は終息いたします」

 面倒な騒速衆さえかたがつけば、一関への侵入を阻む者はなく隠密の庭。田村家が抗おうとも隠し事は丸裸にされることだろう。

「……血が流れるのではないかね」

「関与せずとも元より伊達の内紛。遅かれ早かれ起こっていたことで、宗匠が気に病むことではないかと」

 悪びれずに淡々と答える曾良が、芭蕉には少々しゃくにさわる。

「そこまでして…… 藤原の黄金と言ったか、あれば良いがな」

「ええ…… ことの起こりは7年前、水戸屋敷に忍び込んだ──」

 芭蕉はよいよい、とパタパタ手を振って曾良の話をさえぎる。

「どうせ与太話のたぐいであろう」

「いや、真偽はともかく与太話などでは──」

「詰まるところ、だ」

 食い下がる曾良にピシャリと言い放つ。

「昨日のワシも明日のワシもなにも変わらん、そういうことだな」

「そうなりますな」

 二人は最後に高笑いで締めた。

「……だが定府殿には文句のひとつも言わねば気が済まん。江戸に戻ったらお目通り叶うものだろうか」

しかと調えておきます」

 光圀の飄々ひょうひょうとした笑顔が昨日のことのように思い浮かぶ。立派になった今の姿を見てもらいたい、というのが芭蕉の正直な心境である。

「ワシはそんなに怪しく見えるものかね」

「江戸で高名な伊賀生まれの俳諧師。誰もが怪しむ隠密のたたずまいかと」

「ふむ…… そうかもしれんな」

 今では那須での長期滞在を強要されたことも、土地の名士がこぞって宿に押しかけたことも、すべて合点がいく。奥州に伝聞を飛ばすために曾良が仕組んでいたのだろう。

 見れば温泉神社の鳥居は目前に迫っていた。

 話に気を取られて景色を楽しむことをすっかり忘れていた自分に気がつく。いかんいかんと呟いて芭蕉は後背の景色を振り返った。

 日に照らされた那須の緑が酔いしれるほど鮮やかに見えた。俯瞰に見る門前町にも風情がある。

 ああ、と曾良も感嘆の声をもらす。

「この景色もここでしか味わえぬもの。しかと目に焼き付けておこうぞ」

 はいと答えた曾良だったが、そんな余韻にひたる芭蕉の姿にこそ、見るべき価値があるように思えた。

「失礼ながら、宗匠はなぜ俳諧師に?」

 弟子としての素朴な疑問が口に出る。

「ワシは生来、何をやってもうだつの上がらない人間であったが、良き友と良き師に巡り合って心だけは磨くことができた」

「四季を愛でる風羅坊ふうらぼうというモノですな」

 曾良がしおらしく芭蕉の普段の口癖を引用してみせる。

「うん…… その心だけはついぞ、捨てられなかった、ただそれだけのことだよ」

 過去を想うと早逝した友の姿が虚空に浮かぶ。

「伊賀を捨てたワシには偽の隠密が関の山よ、なあ蝉吟せんぎん殿」

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