#2 巷説 Ⅳ

「――とは言ったが、そもそも何故パーティーに行こうと思ったんだ?」

 ヨキネンはビーカーをやかましく鳴らしながら、それに負けじと声を張り上げた。

 魔術実験室は相変わらずかび臭いうえ、どことなく殺風景だ。必要最低限の道具だけが無造作に置かれている。

 がしゃん、と籠が置かれた。ヨキネンが私の対面に座るが――私と話す気はあるのだろうか。

「パーティーに行くべき理由はいくつかあるけれど……まずこのビーカーは何?」

 魔素測定試験薬やら、分光器やらを取り出して、今にも科学実験を始めそうな様子だ。ヨキネンは一瞬だけ顔を上げると、また手元を凝視して作業を始める。

「ビーカーか? 川の水が入っている」

 彼はビーカーの中身を試験管に移していく。試験管十二本の水面は、ぴったりと同じ高さに揃っていった。一息つくと、ヨキネンは付箋を手で弄んでうるさく鳴らす。

「厳密には、ルミサタマ川支流のヒーロセノヤ川の水。どれも採取後二十から二十二時間以内のものだ。約一キロメートル間隔、六ケ所の地点で採ってきた。川沿いを往復しながらな」

「川の水ってことは、この前言っていた例の」

 ヨキネンが私に向かって水をぶちまけてくれた日――彼は川の水について語っていた。その土地の信仰や伝承によって、自然の中の魔素量は変わるという。私たちの住むルミサタマでは、水に含まれる魔素が他の地域に比べて明らかに多いのだとか。

 ヨキネンの仮説に基づいたあの日の実験は、それはもう大成功だった。川の水を動力源にした障壁は、生徒も教員も全員教室の外へ閉め出してしまった。窓から侵入した先生がコップを撤去して、やっと障壁は解除される。朝の騒動から約三時間。そのあいだ問題なく術式が動いていたのだから、水に含まれた魔素はかなり多いといえるだろう。

 英雄、あるいは創造神であるワイナミョイネン――そしてこの地域の水が持つ魔素。ヨキネンはそんな妄想を語っていた。今日も今日とて、妄想を検証するために色々と楽しんでいるのだろう。

「イーリスさんご名答。水が空気よりも魔素を多く含んでいることは、実験で確認できた。だから次は、どこの水がより多くの魔素を含んでいるか調べるんだ」

 言いながら彼は試験薬をスポイトで吸い取る。試験管すべてに三滴ずつ垂らすと、軽くゆすって攪拌した。試験管は黄色から紫のグラデーションを描く。

「こいつを分光器で見れば、スペクトルの吸収線の出方で水が持つ魔素量を比較できる。大雑把に、だがな」

「魔素の量が多いほど、その水を採取した地点は魔素の源に近い、ってことなんだよね」

「ああ。未知の特性がまだまだあるエネルギーのことだ。魔素の源が特定できたとして、その事実が何に繋がるかは分からないが……とてもワクワクしないか!」

 無邪気な笑みを浮かべてヨキネンがはしゃぐ。相変わらず楽しそうだ。私に変なちょっかいをかけてくるのはいただけないが、彼の純粋な好奇心はとても心強いものだ。『スズランの手記』の秘密を暴くのは――明らかに一筋縄ではいかないのだから。

「私も実験とか考察とか好きだな。ワクワクする」

「……そうか」

 私は何か困らせるようなことを言っただろうか。ヨキネンの返答までに謎の間があく。私に言われたくないとか、そんなところだろう。ヨキネンの思考回路はいまいち分からない。彼は咳ばらいをすると、急に席を立った。

「とりあえず川の水の話は置いておこう!」

 言葉を区切ると、実験室の奥へと消えていき――すぐに小箱を抱えて戻ってきた。入っているのは、学校の制服に合わせる礼装用ネクタイやスカーフだ。いったい何に使うつもりだろう。

「見ての通り俺はパーティーに行く気満々なんだが、まずはイーリスさんの目的ぐらい聞いておきたくてだな」

 あろうことか、ヨキネンは制服にネクタイをあててみせた。ヴァルハラクラブがやるパーティーは、言わばどんちゃん騒ぎだ。若気の至り、としか表しようのない場に畏まった服なんて、確実に悪目立ちする。

「ヨキネンはその格好でパーティーに行くつもりなの?」

「駄目か?」

「私たちが行くのは映画賞のパーティーじゃないよ? 本気で言っている?」

 ヨキネンはがっかりした顔で肩をすくめる。

「もちろん冗談だ。派手好きな学生の集まりだ。当日は、私服の中でもいくらか主張する服を着ていくさ」

 当たり前といった様子で言うあたり、本当に冗談だったようだ。ネクタイをどかして机に肘をつく。上目遣いの視線は挑発的だ。

「ヨキネン、自分が誤解されやすいなと思ったことはない?」

「そんなの毎日に決まっている!」

 彼は自信満々で言い放った。そして軽く鼻を鳴らす。

「だが誤解されたところで何だというんだ。俺は凡人! イーリスさんと違って、邪魔は入らない。それで」

「なぜパーティーに行こうと思ったのか、でしょう」

「ああ」

 鋭くなった雰囲気を一瞬でほどいて、ヨキネンはにやにやと笑った。今までどおりの変人、と切って捨てられるはずもない。だから――迷う。

 彼は貴重な協力者だ。教会で力を持っている母も彼のことを認めている。『スズランの手記』の話題を共有できるし、どんな指摘も鋭い。

 だが不安もある。ヨキネンはおそらく「知る」ためには手段を選ばない。どこか自分を顧みない節さえある。さっきの誤解の話も、普段の振る舞いもそうだ。そんな彼が、他人の想いを尊重できるのだろうか。私たちが調べ回っている秘密は、一歩間違えばアルマスさんを傷つける凶器になる。その秘密の一端をヨキネンに握らせるのは――私が言えたことではないが、少しだけ抵抗がある。

「その前に、一つだけ聞かせて」

 ヨキネンは勢いよく上体を起こした。珍しく真顔でこちらを凝視してくる。

「いいぞ。何について話せばいい?」

「アルマスさんに恩返しがしたい、って私が言ったら、ヨキネンはどう思う?」

 ヨキネンは目をつむって眉間にしわを寄せる。その反応は妥当だ。誰だって、アルマス・ヴァルコイネンを忌避している。そこへ来て恩返しだなんて、本来以ての外だ。

 けれど私は救われたのだ。彼の敷地内で遭難したといっても、アルマス・ヴァルコイネンが私を助ける義理はない。見殺しにしようが、警察に引き渡して立ち去ろうが、それはアルマスさんの落ち度にはならない。私が『彼の者の領域』に突っ込んだせい、あるいは、子どもから目を離した両親のせいだ。

 アルマスさんは助けてくれた。凍死しかけた私を温め、病院へ向かい、わざわざ治療までしてくれたのだ。その行動にどんな理由があったとしても、彼にお礼をしたい。

「恩返しか。悪くないんじゃないか? 事実の追求と恩返しを混同しさえしなければ」

 意外だ。ヨキネンのことだから、冷静かつ論理的に否定してくるものとばかり思っていた。彼のことを、もっと信じてみてもいいのかもしれない。

「ヨキネンにも人の心がわかるんだね」

「俺は凡俗の民だからな! 理解力は半端なものではないぞ!」

「わかったわかった。じゃあ話を戻そう」

 手帳を開いて、もう一度頭の中を整理する。ただの偶然だろう、と何度も考えなおしたが――偶然なはずがない。

「私がヴァルハラクラブのパーティーに行こうと思った理由は、『命』の話が出てきたから」

「『命』か。エレノアさんが勧誘を受けたと言っていたな。不死、という単語も出てきた。はっきり言って命だのなんだの意味不明だ」

 ヨキネンは首をかしげる。私も同感だ。

「『命』がいったい何を意味しているのかは、ごめん、私も知らない。けれど最近になって、似たような話を頻繁に聞くの。まず、アルマスさんの忠言」

 ――カルト集団に気をつけろ。

 彼は確かにそう言った。邪悪なドラゴンと呼ばれ、今は平然とこの街で暮らすアルマス・ヴァルコイネン。その彼の言葉だからこそ、学校の掲示板や警察の注意喚起とは、明らかに性質が違う。彼が大学で働いているからといって、ただのカルト集団にそこまで意識を向けるようにも思えない。

「『命の流れ』『不死化』って言葉で信者集めをしている集団がいるらしいの。アルマスさんが、そいつらには近寄るなって」

「また命に不死。ドラゴン信仰か何かか?」

「さあ? そこまでは教えてもらわなかった」

 ヨキネンは厭味ったらしく肩をすくめると、続きを催促する。

「エレノアさんが勧誘された話とアルマス・ヴァルコイネンの忠言……その二つだけじゃないんだろう? イーリスさんが馬鹿じゃなければ、の話だが」

 ひどい言い草だ。私だって、行き当たりばったりな行動しかしないわけじゃない。

「もちろん三人目がいる。ローレントさん――ローレント・D・ハーグナウアーの話にも共通項があった」

「アルマス・ヴァルコイネンの腹心、だったか。あの目立つ赤髪の怪しい奴」

「そう、その人。ドラゴンの暴走は、命を過剰に吸収したせいだって。昔アルマスさんから聞いたらしい」

 ローレントさんの話の中では、ドラゴンの暴走の引き金が『命』だと語られた。世の中には命を吸収できる一部のドラゴンがいて、彼らは命を吸い過ぎると放出するのだ、と。余剰分の命を放出するために起こる魔力暴走、それが『堕ちる』という現象らしい。

「命は吸収するようなものなのか?」

「私が受けたのはざっくりした説明だけで、実在を示す証拠も、命がどういったものなのかを示す証拠もない。でも」

 ヨキネンが続きを静かに遮った。

「同じ名前でありながら関係がないのだとして、こうも頻出するものだろうか」

「そういうこと。私は、三人が語る『命』に、何か繋がりがあるんじゃないかと思っているの」

 ドラゴンの生態は未だ明らかになっていない。不死のメカニズムも、卓越した魔法も、姿を変化させられる仕組みも、何一つ原理が解明されていないのだ。なのにアルマスさんとローレントさんは、少なくとも不死や暴走については知っている風だった。誰がどんな嘘をついているかは分からない。そのせいで私が誤解しているということもあり得る。しかしだからといって無視できるものでもない。

「なるほどな。確かにパーティーで調べてみるのが手っ取り早い。寧ろ、現状唯一の手掛かりとさえ言える」

「でしょう? そういうわけで、パーティー当日はよろしく。相棒」

「……ん」

 締まりがない。ヨキネンはどこか上の空だ。待っているとようやく返事をした。

「あ、ああ。任された……相棒。ところで話は変わるが、折角なのでドラゴンの暴走について、フィーリクスの写本の内容も教えてくれないか。何か手掛かりになるかもしれない。アルマス・ヴァルコイネンもかつて魔力暴走を起こしたということだし、その『命』とやらの記述があるのかどうか――」

 ヨキネンは矢継ぎ早にまくし立てる。『スズランの手記』の謎に、それだけ興味があるということだろう。彼の言うことも一理ある。ヨキネンならどう思うのか、私も興味が湧いてきた。

「もちろんいいよ。とはいえ、大筋はヨキネンが知っているのと大して変わらない」

「アルマス・ヴァルコイネンが悪辣な敵として描かれている、という理解でいいか?」

「その通り」

 ローレントさんの昔話によれば、ドラゴンは堕ちるときに凶暴性が増すらしい。しかもアルマスさんは齢二千年。ドラゴンの中でも長寿にあたる。『命』の話が確かなら、アルマス・ヴァルコイネンは堕ちる種類のドラゴン、ということになる。

 けれど、それにしたってあのアルマス・ヴァルコイネンが、あんなにも残酷なことをするのだろうか?

『スズランの手記』も、その写本も、何かがおかしい。

 疑念はずっと燻り続けている。目の前のヨキネンも、写本の内容を聞いたら私と同じように訝るのだろうか。もしかすると、私の抱いている違和感の正体を言語化してくれるかもしれない。


「ここから始まるのは、よく目にする英雄譚。フィーリクスが邪悪なドラゴンを打ち倒す話」

 そして――呪いに蝕まれていく日常の話だ。

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